お稲荷さんちのアライグマ 〜魔性のあの娘〜

右中桂示

アライグマと思春期男子

 林太郎は現在中学三年生。無事に志望校に合格し、来月にはもう高校生だ。

 だから受験前に合格祈願をした近所の稲荷神社に御礼参りに来ていた。信心深い両親にはその辺り厳しく教えられている。

 稲荷神社は五穀豊穣や商売繁盛の神。本当は学業の神に御参りするべきだったかもしれないが遠出する余裕はなかったのだ。結果的に合格したのだから何も問題はないだろう。


 鳥居を潜り参道を行けば、稲荷神社だから狛犬ではなく狛狐に迎えられる。


 その横に、彼女を見つけた。


「可愛い……」


 思わず声が出た。それ程の美人がそこにいた。


 グレーのゆるふわショート。スッキリと整った顔立ち。大人っぽい雰囲気のようでいて、どこか幼い印象もある。

 カジュアルな服装がよく似合う。まだ寒いのに生脚が眩しい。

 縞模様の尻尾を付けているが何かのキャラのコスプレだろうか。

 なんせよ飛び切りに可愛い。

 まるでアイドルや女優。これまでの人生で直接見た事なんてない。


 狛狐の台座をブラシで掃除しているので参拝客ではないようだ。かといって神社の人間にも見えないが。

 その掃除が終わったのか、狛狐全体を回って確認。むむむと迷った後に頷く。その仕草一つ一つも可愛い。


 林太郎は、しばらく彼女から目を離さないで立ち尽くしていた。


「全くあなたと来たら!」


 と、そこに神職の男性が現れる。

 中学の女子の間でもこの神社にはイケメンがいると有名だった。

 美男美女でお似合いではあるが、その彼は青筋を立てて怒っている。


「こら、またお菓子を勝手に食べたでしょう! アレはお客様の為に用意していたのですよ!」

「だってお腹空いてたし」

「いい加減に我慢を覚えなさい」

「えー」

「今の立場を自覚したらどうですか。いつまでも野生動物のままなら役所に連絡しますよ!」


 神職の怒りは相当のもの。彼女は問題児なのだろうか。

 だとしても穏やかではない暴言。酷いパワハラだ。


 林太郎は咄嗟に飛び出していた。


「あの! すみません、それは流石に言い過ぎじゃないですか!?」


 二人の視線が林太郎に刺さる。


 片や可愛らしい小さな驚き。

 片やしまったマズイ所を見られた、という苦い顔。


「あ、はい。そうですね。今のは確かに……その……」


 しどろもどろに弁明する神職。美形も台無しの醜態だ。


 その隙に彼女は林太郎の後ろに隠れた。


「そうだー。ひどいぞー」

「くっ……卑怯ですよ! 第三者を味方につけるなんて!」

「やっぱり僕がいたら困るんですね?」

「いえ、これは……」

「いけー。ひどいキツネをやっつけろー」


 応援がむず痒いが、彼女の味方になれて嬉しい。一種の万能感すらあった。

 神職は悔しげに歯噛みするばかりだ。


「分かりました。お説教は終わりです。その代わりしっかり働くんですよ!」


 遂には捨て台詞を残して去っていく。


 そうして彼女と二人きり。

 万能感が消えて、逆に緊張してきた。

 林太郎は深呼吸してから会話を試みる。


「……えっと、大変でしたね。あの人も立場が立場なのに、人を動物扱いするだなんて」

「? でもあたしがアライグマなのは本当だし」

「え?」


 あまりにも自然な言葉に呆けてしまう。

 視線は尻尾に向いた。フサフサで揺れるそれは確かにリアルだ。


 妙な空気の中、彼女はとぼけた風に声を上げる。


「……あ。これ言っちゃダメなんだっけ。他の人にはしゃべらないでね」

「あ、はい……」


 本当だと信じさせるような、演技臭さのない物言い。

 だが、まさか。そういう設定を忠実に守っているコスプレイヤーなのだろう。と林太郎は自分を納得させる。

 だとしたら神職の台詞もその設定の一環という事だろうか。悪い事をした。


 と、考えていたら、間近に彼女の顔。そして軽い感触。

 驚いて咄嗟に離れてしまった。


「えっ! ……えっ!?」

「鼻、さわらないでほしかった?」


 彼女は首を傾げ、鼻をピクピクと動かしている。

 当たったのは鼻と鼻だ。それと匂いも嗅いだのか。

 まさに動物がするようなスキンシップ。本格的ななりきりで、他意はないのだろう。

 だとしても心臓が激しくドキドキしている。


「じゃあね。あたし行かなきゃ。キツネがいない方がのびのびできるし」


 彼女はブラシを持って社務所の方へ行こうとする。

 当然の反応か。彼女の方に話を続ける理由はない。


 だから林太郎は決意した。

 今ここで話さないでいたら、二度とチャンスはないかもしれないのだから。

 勇気を出して行動する。


「あの! いつか、もし時間があったら、一緒に出かけませんか?」


 手を掴み、一世一代の気持ちで誘う。

 合格発表の時よりも不安と期待が大きい待ち時間。直接的過ぎたか、強引だったか、違う誘い方が良かったかと今更な考えがグルグル巡る。


 そしてしばしの後、彼女はキョトンと首を傾げた。


「なんで?」

「えっ……」


 拒絶ではない、純粋な疑問らしい問いかけに、言葉が詰まる。

 一目惚れしたからです。

 なんて言えない。他の言い訳も思いつかない。

 このまま話さないでいたら終わってしまう。

 そう思うのに勇気はすっかり萎んで、何も言えない。

 掴んだ手も放して、その場に固まってしまう。


 そして彼女は林太郎から興味をなくしたように淡々と言う。


「あたし、ここからはなれないでいたほうがいいと思う。キツネは見てなくても分かりそうだし」

「えっ、あ……」

「じゃあねー」


 呼び止める間もなく今度こそ行ってしまう。

 後ろ姿も見惚れる程に可愛いが、これが見納めになるのか。追いかける事は出来なかった。


 じっと手を見る林太郎。

 柔らかくて温もりのある彼女の手の感触は、まだ強く残っていた。


「……手。もう少しぐらい放さないでおけばよかったなあ」


 その後林太郎は、一人静かに御参りをする。

 賽銭箱には奮発して五百円玉を投入。

 彼女ともう一度会って話して、出来れば深い関係になれますように。

 そう心から真剣に願った。




 ……本来の目的は為さないでいたと林太郎が気付いたのはその日の夜、布団に入ってからだった。

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