彼氏に捨てられて傷心していた隣の席のギャルの愚痴話をいつも通り適当に相槌して聞き流していたら、勝手に好感度爆上がりしてて知らないうちに恋人にさせられていた話。

そらどり

彼氏に捨てられて傷心していた隣の席のギャルの愚痴話をいつも通り適当に相槌して聞き流していたら、勝手に好感度爆上がりしてて知らないうちに恋人にさせられていた話。

 俺、南雲夕貴なぐもゆうきの隣の席にはギャルがいる。

 

 彼女の名前は小鳥遊たかなしねる。明るいブロンドの長髪にクリスマスツリーの飾りのように校則違反のアクセサリーを何個も身に付けている、まさに絵に描いたようなギャルだ。

 いやクリスマスツリーというのは誇張が過ぎたが、それを抜きにしても顔立ちは学年一と称していいほど可愛らしく、明るい性格でいつもクラスの陽キャとつるんでいる人気者。目立たない俺とは対照的で、隣の席でなければ関わることもない相手である。


 まあ、関わると言っても小鳥遊さんが一方的に絡んでくるというだけで、俺から何かしらのアプローチをする訳ではない。

 陽キャの話なんて全く分からないので、話好きな小鳥遊さんが満足するまで適当に相槌をして聞き流す。日々の安寧を守るためには隣人とのトラブルを避ける必要があり、我を出さず聞き役に徹することで円滑なコミュニケーションを成立させるという寸法だ。


「ねえ聞いてよ南雲っち。私さ、彼氏に捨てられちゃったんだよね……」


 さて、そして今日もまた小鳥遊さんの話を聞く時間がやって来たのだが、どうやら本日は中々にハードな内容らしい。

 うーむ、これは長くなりそうな予感。まあ、最初だし取り敢えず聞き返すくらいはしておくか。


「へえ、それはまたどうして?」


「昨日の夜に突然別れてほしいってメッセージが来たの。なんか、他の人と付き合うからって」


「へー、乗り換えってやつか」


「うん。あまりに急だったから私も気が動転しちゃって、何度も返信したんだけどブロックされちゃったのか既読すらつかなくて……」


 そう言って声を沈ませる小鳥遊さんだったが、俺からすればそんな昼ドラ的ドロドロ展開が身近で起こっていたとは驚きしかない。やっぱギャルともなれば人生経験が豊富らしい。

 っと、親身になってる場合じゃなかった。昼から開催のピックアップガチャを引かなければ。この日のために石貯めてたんだよなー。


「予兆がなかったわけじゃないんだけどね。前に駅を歩いてたら彼氏が他の女と手を繋いで歩いてるのを見かけたことがあったの。気のせいだと思って見て見ぬフリしたんだけど、多分あの時から浮気してたってことなのかな」


「なるほどー」


「なんで捨てられちゃったのかな。自分で言うのもなんだけど私って結構尽くすタイプだし、あいつのために何でもしてきたつもりだったのに。でも、もしかしたらそういうところが鬱陶しかったのかな……ねえ、今回の件って私が悪いのかな? 悪くないよね? ね?」


「そうだねー」


「……南雲っちは優しいよね。いつも私の愚痴話を聞いてくれるし、そうやって慰めてくれるし。南雲っちだけだよ、ここまで親身になってくれるのは。他の友達に話しても冗談半分で笑ってくるだけなんだから。あんたらには笑い話でも私にとっては笑い話じゃないっつの」


 お、ここで最高レア確定演出とは熱い!

 もう石使い切ったんだから頼むぞー。ここまで期待させといて常設キャラだったらマジ泣くからなー。


「あー、もしかして私って南雲っちのこと案外好きなのかも。いつも私に寄り添ってくれるし、一緒にいて救われるっていうか、南雲っちといるとなんだか安心できるんだよね。ぶっちゃけあいつとの関係も最後の方は冷え切ってたし、捨てられた手前誰かと付き合うのに今更抵抗はないからさ」


「そっかー」


「あ、もちろん都合が良すぎる話だって分かってるんだよ? お前も乗り換えるのかって後ろ指差されても仕方ないこと言ってる自覚はあるし。でもほら、実際私って絶賛フリーだし、南雲っちさえ良ければ付き合ってみたいなって思ってるんだけど……ど、どうかな?」


「俺は良いと思うけどなー」


「そ、そっか! 良かった、南雲っちも私と同じ気持ちでいてくれてたんだね……」


 んんー! 炎帝カグツチ! 確かにピックアップキャラだけど俺が欲しいのはもう片方!

 おいおいマジかよー。確かに常設キャラじゃないから泣かなくて済んだけどさ、このキャラぶっちゃけ弱いし、もう一方の雷帝ボルツが人権キャラだからそっちが良かったんだけどなあ。


「あ、ごめん、この後バイトがあるんだった! ……じゃあそんな感じで明日からよろしくね?」


「ん? おおー」


 急用なのか音を立てて去っていく小鳥遊さんに、遅れて画面から顔を上げた俺は適当な返事を返す。


 ぶっちゃけ全然話を聞いてなかったが、去り際の表情を見るにお悩み相談は良い方向で解決したのだろう。

 やけに嬉しそうなのはどうしてだろうかと引っかかる点はあるが、まあ、それだけ聞き役を全うできたということで自分を褒めてやるべきか。


「さーて、俺もそろそろ帰りますかね」


 背中をググっと伸ばし終え、俺はリュックを背負って教室を後にする。

 しかしこの時の俺は、この選択が後に悲劇を生む結果になるとは思いもしていなかった。




◇◇◇




「南雲っちー! 今日のお昼一緒に食べよーよ!」


 次の日。登校してきた俺を席に座って待ち受けていたのは、満面の笑みを浮かべながら手を振ってくる小鳥遊さんだった。

 いや、隣の席なんだから待ち受けているのは当たり前なのだが、基本的に彼女はクラスの陽キャ達と過ごしていることが大半で、ぼっち人間である俺に話し掛けてくるのはその友人達が教室にいない時に限る。言うなれば暇つぶし相手だ。


 だからこうして優先的に話し掛けてくるのは珍しいし、このような誘いをしてくるのは更に珍しいので、思わずキョトンとしてしまう。


「え、なんで?」


「そこ疑問に思うところ? もう私と南雲っちの仲なんだし、昼食を一緒に取るのは普通でしょ?」


「そうなのか……?」


 席が隣同士だから、という理由で昼食を共にするのが理解できないという訳ではない。

 ただ、実際に俺達がそんな試みをした覚えはない。それに、小鳥遊さんがいつも友達と昼食を共にしている光景はよく目にするので、どうして急に俺と食べる気になったのか全く分からなかった。


「いや、でも小鳥遊さんっていつも友達と一緒に食べてるだろ?」


「今日から南雲っちと食べることにしたの。了解も得てあるから安心して。……ま、まあ、あいつらとの仲を気遣ってくれるのは素直に嬉しいけどね」


「気遣い……?」


 別に気遣っているつもりはなくて、ただ単に疑問に思ったことを指摘しただけなのだが。

 どうして照れくさそうに顔を赤らめているのか分からず困惑する。何かとんでもない勘違いが起きている気がしなくもないが、それを断定し切れるだけの根拠は今のところ持ち合わせていない。


 まあ、小鳥遊さんはギャルだから、こういうバグった距離感が普通なのかもしれない。それなら余計な疑問を抱かず流れに従った方が無難だろう、と俺は後頭部を掻きながら結論付けた。


「んー、小鳥遊さんがそれでいいなら別に構わないけど。俺はいつも一人で食ってるから何ら問題はないし」


「良かった~! じゃ、お昼休みになったら屋上に集合ね。南雲っちのために今朝早く起きてお弁当作って来たんだから」


「て、手作り? それはまたすごいな……」


 俺と昼食を共にするだけではなく、わざわざ手作り弁当を準備してきたとは。行動力の凄まじさに面を食らう。


 タダでご相伴に預かることになって申し訳ない気持ちもあるのだが、断りを入れる方がかえって失礼な気がするので、ここは小鳥遊さんの善意に甘えることにする。食堂でお金を落とさずに済むので、俺としては非常に助かるのだ。

 

「南雲っちが好きそうなものをたくさん詰め込んだからね。楽しみにしててよ?」


「ああ、分かった」


 誘うような笑みで期待を煽ってくる小鳥遊さんに頷くと同時、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴ったので、俺は席に座ってホームルームを受ける。


 そのまま一限、二限……と、午前の授業を受けてようやく訪れた昼休み。指示された通り屋上に向かえば、一足先に教室を出てベンチを確保していた小鳥遊さんに笑顔で迎えられた。


「あ、南雲っち! こっちこっちー!」


「……さっきまで同じ教室で授業受けてたんだから、何も別々に移動しなくても」


「早く行って特等席を確保しないと座る場所がなくなっちゃうでしょ? ただでさえウチの屋上って人気スポットなんだから。それよりも、ほら、そこで突っ立ってないで隣に座りなよ」


「そうだな。じゃあ失礼して」


 断る理由がないので、小鳥遊さんの提案に従い俺は彼女の隣に腰掛ける。

 すると、何故か小鳥遊さんは俺の方へと寄ってくる。いや、寄って来るという表現では生ぬるい。制服の生地が擦れ合うほどゴリゴリに密着してきやがった。


「あのぅ、なんかやけに近くない?」


「え、変かな?」


「いやその、近過ぎるせいで色々伝わってくると言いますか……」


 体温や甘い匂いが伝わってくるのもそうだが、何か柔らかいものが腕に当たっているのは気のせいではないはずだ。隣人にしては距離感が異様に近過ぎやしないだろうか?


「私と南雲っちの仲なんだし、これくらいくっつくのは普通でしょ?」


「そうかな……いやまあ、ぼっちだから普通の定義とかよく分からないけど」


「南雲っちが気にし過ぎなんだよ。私は全然気にしてないし、というかむしろもっとくっついて私をたくさん感じてほしいくらい」


「そ、そっすか……」


「ま、耳を赤くしてる南雲っちに免じて今日のところは許してあげる。じゃ、そろそろ食べよっか」


 流石にこれ以上となれば理性が持たないので勘弁してほしかったが、一応は小鳥遊さんなりに手加減してくれているらしい。

 やれやれと密着を解かれてホッと胸を撫で下ろしていれば、小鳥遊さんは横に置いていた包みを膝上に移動させ、風呂敷を広げて弁当の蓋をパカッと開くと、ひけらかすように中身を見せてきた。


「じゃーん! 南雲っちの好きなものを全部詰めてみました~」


「うおっ、めっちゃ美味そう」


「南雲っちの好物はリサーチ済みだったからね。教えてもらったの結構前だったけど、覚えてて助かったよ」


 可愛らしい小判型の箱の中には、白米を中心に、唐揚げやハンバーグ、ほうれん草のおひたしにブロッコリーなどが彩り豊かに四隅に配置されている。

 しかもそれらは全て俺の大好物。いつだったか、会話の中で好きな食べ物を質問されて答えたことがあったのだが、彼女はそれを覚えていたらしい。


 ……ただ、一つだけ疑問があるとすれば、白米がハートの形に見えるのは果たして気のせいだろうか。

 見間違いかと思い何度も目を擦ってみるが、依然としてハートはハートのまま。これは指摘するべきなのか、それともスルーするべきなのか。


「どうしたの南雲っち? 顔が引き攣ってるよ?」


「え? あ、いや、その……なんか随分と可愛らしいデザインだなと思って」


「そりゃそうだよ。私の愛情が南雲っちにちゃんと伝わるようたっぷり詰め込んだんだから」


「さ、左様ですか」


 なるほど、確信犯であったか。


 いや、確かに小鳥遊さんの言い分は理解できる。

 要するに、「美味しくなーれ、萌え萌えキュン♡」という魔法の合言葉みたいなものなのだろう。決して他意はなく、あくまでも料理を美味しくするための愛情表現。それは理解できる。


 ただ、ただのお隣さん相手にこれはどうなのか。

 小鳥遊さんはギャルだから全く気にしていない様子だが、俺以外が相手であれば一瞬で勘違いされてしまうだろうに。やっぱ陽キャの考えることって分からん……


(……まあ、俺のためにせっかく作ってくれた訳だし、取り敢えずいただくとするか)


 疑問は潰えないものの、胃袋が音を立てて食べ物を催促してくるので俺は箸を手に取る。


「あ、ちょっと、何勝手に食べようとしてるの」


「あれ?」


 しかし、横から手を伸ばした小鳥遊さんにあっさり奪われてしまった。


「なんで止めるんだよ? 俺のために作ってくれたって言ってたのに」


「だからって一人で勝手に食べていいとは言ってない。あと、南雲っちは箸を持っちゃダメだからね」


「んん??」


 一人で勝手に食べてはいけないとはどういうことか。しかも箸を持ってはいけないとは。意味のよく分からない命令に頭上で疑問符が浮かぶ。

 ではどうやって食べればいいのかと思っていると、小鳥遊さんは小さく溜息を付く。


「鈍いなぁ南雲っちは。こうなったらもう選択肢は一つしかないでしょ?」


 そう言って箸を掴み直した小鳥遊さんは、その先端を合わせて唐揚げを挟むと、そのまま俺の口元へと運び始める。

 そこでようやく気づく。これは……


「あの、小鳥遊さん? まさかとは思うけど、そのまさかなことしようとしてない?」


「ふふふっ、やっと気づいた? そのまさかよ」


 答え合わせとばかりにニヤリと笑う小鳥遊さんの顔を目の当たりにして、堪らず背中から冷や汗が滲み出た。


「いやいやいや! 俺達がやるのはいくら何でもおかしくない!?」


「全然おかしくないよ。というか、私達くらいの仲ならみんな平気ですると思うけど」


「それは流石に違うんじゃないかなあ!?」


 いくら友達がいない俺でも、今回ばかりは小鳥遊さんの言うことに異議を唱えざるを得ない。

 もしそれが本当だとすれば、今頃教室ではクラスメートらによる春のあ~ん祭りが絶賛開催中ということになる。恋人でない者同士で食べさせ合う行為が当たり前だと言うのなら、それはただの地獄絵図でしかない。それとも、陽キャにとってはこれが本当に普通なのだろうか?


「ほら、もじもじしてないで。早く食べないと昼休み終わっちゃうよ?」


「い、いや、それはそうだけどさ……」


「周りの人もチラチラ見てるし。ここで恥ずかしがってたら意気地なし男だって噂されちゃうと思うけど?」


 躊躇しているのをいいことにジワジワと外堀を埋めてくる小鳥遊さん。全くと言っていいほどやめてくれる気配はないし、俺が折れない限りこのやり取りは終わらないらしい。

 それに、気づけば周囲には生徒が増えていて、好奇心の籠った眼差しを向けている。イチャつくカップルと誤解されている気がして何ともむず痒いが、確かにこのまま注目を浴び続けるのはちょっと良くない。


「はぁ……分かったから、さっさとやってくれ」


「それでよろしい」


 本音に言えばギャルの戯れなんぞに付き合いたくはないが、折れるしか選択肢がない以上さっさと済ませた方が賢明だろう。

 溜息を付いて仕方なく屈すれば、小鳥遊さんは満足そうに頷き、途中で止めていた運搬作業を再開する。


「はい、あ~ん♡」


「っんぐ」


 そして、口元に運ばれたそれに顔を近づけ、ぎこちなくも頬張る。


「どう? お味のほどは?」


「……美味いっす」


 冷めているのにジューシーな肉厚で、それでいて衣のしっとり感とマッチしている。

 確かに美味しい。美味しいのだが……なんかもう色々と甘いせいで素直に味を楽しめない。


 本当に隣同士でこんなことをし合うものなのだろうか。女子が友達同士でじゃれ合う程度でなら分からなくもないが、男女、しかも隣同士でというのは見たことがない。悪ふざけ……にしては雰囲気が変だし、本当にギャルは考えていることがよく分からない。


 ボッチ故に今も動悸が収まらないが……まあでも、小鳥遊さんが喜んでくれたのなら良しということにしよう。


「じゃあ次はハンバーグね。はい、あ~ん♡」


 訂正。やっぱ勘弁してください。




◇◇◇




「いや、流石にウチに来るのはちょっと……」


「いいじゃんいいじゃん。私達の仲なんだから」


 その日の放課後。昼食だけかと思っていたら、今度は俺の家に行きたいと言い出してきた。


 百歩譲って一緒に帰りたいまでなら分かる。俺がボッチというだけで、仲の良い人と帰りたいと思う心理は何となく理解できるから。でもね、いきなり家に行くのは違うと思うんですよ? 


「さっきから私達の仲ってずっと言ってるけどさ、いくら何でもこの段階で男の家に行くのはおかしくないか?」


「えーそんなことないよ。私の友達だって、初日には部屋に入れてもらったって言ってたし」


「それはそれでどうなのかなあ!?」


 もはや友達同士の距離感ですらないじゃないか。その友達も大概だけど、やっぱり距離の詰め方がえげつないよ小鳥遊さん。


 これまでは面倒だからと余計な疑問を抱かず流れに従ってきたが、今回ばかりは抗わざるを得ない。

 しかし既に帰路に就いていて、小鳥遊さんは俺の隣にべったり付いて来ている。というか、昇降口を出た直後からずっと腕に抱きつかれているせいで歩きづらい。

 

 さてどうしようかと顔を歪ませながら考えていると……


「あれ? 誰かと思ったらねるじゃねーか」


 視界の先にある路地から出て来た女連れの男が、すれ違いざまに小鳥遊さんの名前を呼んできた。制服を見るに他校の生徒のようだが……


「え? あ、恭介きょうすけ……」


「最後に会ったのが先月だからそれ以来か。元気にしてたか?」


「う、うん。してた……」


「ふーん。まあ、だからなんだって話だけど」


 やけに口調が馴れ馴れしいが、もしかして知り合いだろうか。そういえば昨日、彼氏と別れたって話を小鳥遊さんから聞いた気がする。ということはもしやこの人が?


「恭介も……元気そうだね」


「まあ、おかげさまでな。お前と別れたおかげで遠慮なく彼女と遊べるし、本当に捨ててよかったよ」


「そう、なんだ……」


「こいつはいい女だよ。年下だけどお前と違って淑やかで男を立てられるし。お前はピク〇ンみたいにベタベタくっ付いて来てウザかったからな~」


「……」


 男が軽薄な態度で話をする中、小鳥遊さんは力なく俯いている。

 教室での明るいギャルの姿は何処にもない。何も言い返さず、その場でただ表情に影を落とすだけの彼女の姿はひどく小さく見えた。


 話を聞くだけでも男の方が明らかに悪いと分かる。なのに、どうして小鳥遊さんが黙って言われなくてはいけないのか。

 小鳥遊さんはいい人なのに、こんな男に捨てられたのかと思うと腹の奥が熱くなる。ただ教室で席が隣なだけの関係とはいえ、この状況で黙って見ている訳にはいかなかった。


「南雲っち……!」


 気づけば俺は、小鳥遊さんの前に割って入り、その男と対峙していた。


「おい、小鳥遊さんをそれ以上悪く言うのはやめろよ」


「は? んだよお前? 俺は男と話す気はさらさらねえんだけど」


「こっちにはあるんだよ。小鳥遊さんは俺にとって大切な人だからな」


 そう告げると、右の裾をキュッと掴まれた気がした。振り向けば小鳥遊さんの手が小さく伸ばされていて、強張っていた表情が和らいでいるように見えた。出しゃばり過ぎたかと思っていたが、どうやら杞憂だったようで俺も安心する。

 

「こっちは元カレとして意見してやってんだよ。付き合ってた分こいつのことはよく分かってるからな」


「だからって物みたいに扱っていい訳ないだろ。てかそもそも、小鳥遊さんをピク〇ンで例えんなよ失礼だろ。仮にピク〇ンだとしても、ピ〇ミンがいなきゃロクに戦えねえじゃねーか。ピクミ〇のありがたみを知らないとは、さてはお前〇クミンやったことねーだろ? ピク〇ンってすげえんだからな? ピ〇ミン舐めてんじゃねーぞ」


「ピク〇ンピク〇ンうるせえよ! 任〇堂の刺客かテメェは!」


「とにかくだ。さっきの発言は小鳥遊さんに失礼だ。撤回してくれ」


 確かに俺は小鳥遊さんの隣の席の人間風情だが、この男よりも俺の方が彼女の良いところを知っている自負がある。

 最初はボッチの俺に絡んできて面倒とか思っていたけど、それでも明るく話し掛けてくれるし、些細なことでも笑ってくれる。気づけば彼女と話す時間が楽しくなっていた。


 多分、俺は小鳥遊さんのことが好きなんだと思う。

 だからだろう、小鳥遊さんが否定されると、俺まで否定された気分になる。相手が元カレであろうと、俺の好きな人を侮辱するのは許せなかった。


 しかし、そんな俺の頑なな態度を不快に思ったのか、男は眉間にしわを寄せて明らかに不機嫌な形相を見せた。

 

「俺達の会話に急に入って来やがって……そもそもお前は無関係だろうが!」


「無関係じゃない! 俺は小鳥遊さんの隣の席の―――」


「か、彼氏だよ!」


「そうそう彼氏……ん? 彼氏?」


 え、急に何を言ってるんだ小鳥遊さんは?


 チラッと小鳥遊さんの顔を覗き見る。しかしとても冗談を言ったような表情には見えず、かといってこの場しのぎの嘘をついた訳でもなさそう。ど、どういうことだ?


「彼氏しぃ? こいつがぁ?」


「そうだよ! 昨日から付き合ってるの私達!」


 そうなの!? 昨日から付き合ってるの俺達!?


 突然の衝撃過ぎる言葉に、さっきまで煮えくり返っていたはずの憤怒がどこかへ飛んで行ってしまった。


(えぇっと、ちょっと待ってくれ。え? 昨日から俺は小鳥遊さんの彼氏に? キッカケとかあったっけ? いや、なかったくない? もしかして俺が覚えてないだけとか? でも思い当たる節もないしなあ)


 ……いや、そういえば一昨日の帰りから様子がおかしかったような気がする。

 相談を終えた去り際にやけに嬉しそうだとか思っていたが、まさか俺……何かやっちゃいました? うん、やっちゃいましたねこれ。


「ハッ、捨てられたと思ったらもう次の彼氏かよ。見境ねえ女だな」


「見境ないのはあんたもでしょ。それに、南雲っちはあんたと違って優しくてカッコいいんだから」


「とかいって、どうせ寂しさを紛らわせるための穴埋め程度にしか思ってねえんだろ?」


「違うよ! 私は本気で南雲っちのことが好きなの!」


「なら俺達の目の前でキスでもしてみろよ! 出来るよなあっ、カップルならよお!」

 

 うおーーーい!? 頼むからこれ以上状況をややこしくさせないでくれえぇええ―――!!


 くそっ、悪役のテンプレみたいなこと言いやがって……こっちは訳が分からずてんやわんやなんだから少しはこっちの事情を察してくれよ。


 まあでも、流石にこんな安い挑発に小鳥遊さんが乗る訳ないか。

 今に呆れかえっていることだろう、と斜め後ろに目をやってみると……


「いいよ、やってあげようじゃない!」


 むしろ強気な姿勢でいらっしゃる!? 男気あり過ぎでは小鳥遊さん!?


「よし、するよ。南雲っち」


 え、マジで? こんな道のど真ん中で? しかも目の前で見られながらするの? ファーストキスがいきなりアブノーマルなシチュとか強者すぎない?


 しかし既に小鳥遊さんは受け入れる姿勢に入っていて、ここで怖気づくのは状況的によろしくない。……やるしかないか。


 ということで、意を決した俺は小鳥遊さんに少しずつ顔を近づけ……そっと口づけを交わす。

 柔らかくしっとりとした感触に、ほのかに漂う甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。理性が解けそうになるという表現はこの時のためにあるのかもしれないと思った。


 キスがこれほどまでにすごいものだったとは。初体験がこんな場所でなければもっと素直に感動できたんだろうなぁ……


「どう? これで納得してくれた?」


「マ、マジでやるとは……こんな通りのど真ん中でとか、普通恥ずかしくてできねえだろ」


 いやなんでお前が引いてんだよ、とツッコんでやりたかったが、まあ普通はそう思うよね。

 でも、元はといえばお前が変なことを言い出したのが原因なんだからな? 最後まで悪役キャラ貫いてくれないとこっちも気まずいんだわ。


 さっきまで言い合いしていたのが嘘のように沈黙が続く。男は居心地悪そうに視線を逸らしているし、小鳥遊さんも正気に戻ったのか顔を赤くして縮こまっているし、どうしてくれんのこの空気? 


 「帰りてえ~」と現実逃避しつつ俺も視線を彷徨わせていると、男の後ろにいる女子に目が行く。

 会話に入らず最初からずっと男の後ろに隠れているせいで存在を忘れていたが、確か男の彼女さんだっけか。てか、あの制服見覚えがあるな。


 どんな人なんだろうかとさり気なく顔を覗き見てみて……俺は思わず声を上げた。


未優みゆ!?」


「え、えへへ、奇遇だねお兄……」


 俺が名前を呼んだ途端、ビクッと肩を揺らすと、観念したのか小さく顔を出した。

 

「お前なんでここに……?」


「その、彼氏と放課後デートしてたら偶然、ね。まさかお兄に会うとは思ってなかったから気まずくてつい隠れちゃったけど……」


 未優は俺の妹なのだが、男癖が悪く一時期は週単位で彼氏をとっかえひっかえしていたため、両親からこっぴどく叱られた前科がある。

 てっきり懲りたのかと思っていたが、陰でこっそり悪癖を続けていたらしい。妹ぉ……


「は? え、お前、こいつの妹だったの?」


「うん。黙っててごめんね恭介。なかなか言い出すタイミングがなくて」


 未優が頷くと、男の顔からサーっと血の気が引いていく。

 まあ、さっきまで彼女の兄に喧嘩を売っていたのだから仕方ない。まさか俺も、最後にこんな大逆転が待っていたとは思いもしなかったよ。


「それじゃあつまり、お前が俺の御兄さん……ってこと!?」


「御兄さん呼びやめて?」


 どう考えても同年代だろあんた。むず痒いわ。




◇◇◇




 その後、すっかり態度を変えた男からの謝罪を受け入れ、俺はすっかり気分を良くした小鳥遊さんと一緒に帰路を進む。


「最後の恭介の顔見た? 完全に私達のこと怖がってたでしょ」


「まあ、あれはちょっと同情しちゃうけどね」


「他人を見下してばかりいるから痛い目に遭うんだよ。あー本当に清々した」


 背筋を伸ばして晴れやかに笑う小鳥遊さん。色々なことが立て続きに起こり過ぎた気がするが、取り敢えず彼女に笑顔が戻ってよかったと思う。


 なんて呑気なことを考えていると、不意に小鳥遊さんが「ねえ」とトーンダウンした声で呼んできた。


「さっきはありがとね、私のこと助けてくれて」


「いや、別に。気づいたら体が勝手に動いてたって言うか、俺もちょっと許せないなって思ったから」


「でも、すごくカッコよかったよ。流石私の彼氏って思ったし、誇らしかった」


「……」


 屈託のない笑みでそんなことを言われると、心臓がチクリと痛くなる。

 小鳥遊さんからカミングアウトを受けるまで俺はひとつ大きな勘違いをしていて、成り行きで彼氏として振る舞っているに過ぎない。ある意味、騙しているようなものだ。


(このままじゃ良くないよなぁ……)


 負い目を感じたままこの先も小鳥遊さんと接したくはない。それは彼女のためであり、自分のためでもあるのだ。

 

 俺は後頭部を掻くと、足を止め、意を決して小鳥遊さんと向き合う。


「悪い。俺さ、実は色々と勘違いしてて、さっき小鳥遊さんに言われるまで恋人になってたなんて知らなかったんだ」


「それ、どういうこと……?」


「この前、元カレのことで俺に話しかけてきただろ? でも俺、適当に返事してて小鳥遊さんが告白してたの全然聞いてなくて……弁当を作ってくれたのも一緒に帰ってくれるのも、単なる友達付き合いの延長なのかなって勘違いしてた。本当悪い……」


 言いたいことを全て吐き出して、俺はバカ正直に要らぬことまで言ってしまったと後悔した。

 軽いノリであっさり言えば良かったものの、せっかくの空気に水を差してしまっては元も子もないだろうに。こういうところがボッチである所以なのだ。


 そのせいか、小鳥遊さんは何も言わない。

 傷つけてしまったと思い俺は目を伏せていると、予想外にも彼女はあっけらかんとした声でこう言ってきた。


「じゃあ、やり直そっか。告白」


「……え?」


 呆気にとられてしまう。告白をやり直す? それは一体どういうことなのか?


「あの、それってどういう……」


「そのままの意味だよ。要するに、付き合うにあたって南雲っちは私に負い目を感じてるってことでしょ? だったら今までのことは一旦なかったことにして、改めて付き合えば万事解決って思わない?」


「そうかな……そうかな……」


 確かに負い目はなくなるかもしれないが……


「けど俺、小鳥遊さんに酷いことしたと思ってて……」


「あー南雲っちってそういうの気にするタイプ? でも私は別に気にしてないよ。まあ、確かにちょっと肩透かし感はあるけど……黙ってた方が良いことをわざわざ言ってくれたのは素直に嬉しいからさ」

 

 明るい声色でそう告げると、今度は視線を逸らして頬を掻く仕草を見せる。


「それに私もね、ちょっと負い目を感じてたんだ。あの時、かなり一方的に迫ってたから……もしかして無理矢理付き合わせちゃってるかなってずっと不安だったの。だからこれは、私のためでもあるってこと。お分かり?」


「な、なるほど」


 つまり互いに負い目を感じていたという訳か。

 どことなく俺を気遣って話を合わせてくれた気がしなくもないが、ここでそれを指摘するのが無粋だということくらいボッチでも分かる。


 小鳥遊さんのさり気ない優しさに感謝しつつ、俺は改めて彼女を向き合った。


「じゃあこの前は私が告白したから、今度は南雲っちの番ね?」


「まあ最初からそのつもりだけど……な、なんかこう、緊張するな」


「あれ? まさかこの期に及んで怖気づいてる? のファーストキスを奪っておいて酷いなあ」


「ぐっ、言ってくれる……」


 あまり煽ってこないでほしいんだけどなあ。

 でも、そういう明るさが彼女の取柄で、俺が惹かれた所以なのだから甘んじて受け入れるしかない。何度かの深呼吸を終えて覚悟を決めると、俺は目の前の最愛の人に想いを告げた。


「好きです。付き合ってください」


「うん、こちらこそ!」


 満面の笑みの小鳥遊さんから快い返事を贈られ、ようやく俺は緊張から解放された。


 答えなんて分かり切っていたはずなのに、声にして伝えられるとそれだけであらゆる感情が込み上げてくる。恋愛なんて大したことないとずっと思ってきたが、どうやらそうも言っていられなくなってしまったらしい。

 

 随分と単純な自分に呆れるが嫌悪感はない。俺は、彼女になった小鳥遊さんと共に再び帰り道を歩き出したのであった。

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彼氏に捨てられて傷心していた隣の席のギャルの愚痴話をいつも通り適当に相槌して聞き流していたら、勝手に好感度爆上がりしてて知らないうちに恋人にさせられていた話。 そらどり @soradori

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