王子さまのおねしょ

那智 風太郎

HANASANAIDE

 ある日のこと、とある国の王子様がおねしょをしてしまいました。

 目覚めた彼はベッドのそばに立ち、敷布団にできた大きなシミと濡れたパジャマを交互に見つめ、大きなため息をつきました。


 やっちゃった、もう十一歳なのに。

 昨夜の晩餐会でジュースを飲み過ぎたかも。

 それに寝る前のトイレも忘れてたかも。


 その悩ましげな様子に着替えを持って寝室に入ってきた侍女が首を傾げます。

 侍女といってもまだ十歳。

 貴族の娘が王子の侍女となるのがこの国の慣わしでした。


「おはようございます、王子様。どうかされましたか」


 けれど王子は恥ずかしくておねしょのことを打ち明けられません。


「えっと、その……あ、そうそう、眠っている間に刺客に襲われたようなのだ。どうやら毒水を掛けて僕を殺めようとしたらしい」

「えッ! それは大変です。王子様、お怪我は……」


 驚いた侍女が無事を確かめようと近づいてきたので王子は素早く後退りしてそれを避けた。


「いや、大丈夫だ。なんともない。それより大きな袋を持ってきてくれないか。毒水が掛かった布団などを処分しなければならない」

「分かりました。すぐに衛兵たちを呼んでやらせましょう。医者も呼びますので王子様は寝室からそちらに……」

「あ、ちょっと、ちょっと待て」


 侍女が駆け出そうとしたので王子様はあわててその肩をつかみ、こちらに向かせて細い顎を指でクイッと持ち上げた。 

 イケメン王子に間近に迫られた侍女は息を呑んだ。


「でも、早くこのことを誰かに知らせないと」

「は、話さないで欲しいんだが、誰にも……」

「ど、どうしてでございますか」


 王子様は頭をフル回転させて言い訳を絞り出す。


「えっと、それはだな、その、あれだ。騒ぎになると困るだろ。王子が寝室で暗殺されかけたなんてことが公に知れたら、この城の衛兵たちは皆に無能扱いされてしまう」

「そんなことを言っている場合では……」

「いいから、僕のいう通りにするんだ」


 さらにイケメンな顔を寄せられ侍女は頬を赤らめます。

 そしてなんだかぽおっとして肯いてしまいました。


「わ、分かりました。では袋を持って参ります」

「頼む。だが、くれぐれも内密にな。あ、着替えは置いていくのだぞ」


 しばらくして王子が着替えを済ませた頃に、侍女が大きな布袋を脇に抱えて戻ってきました。


「王子様、仰せの通り持ってまいりました」

「うむ、誰にも事情は言わなかっただろうな」

「は、はい、途中で王妃様に見咎められましたが、なんとか誤魔化すことができました」


 王子はちょっと戸惑いました。


「え、母上に……。えっと、どういう風に誤魔化したのだ?」

「はい、王子様がお部屋の片付けをなさるので要らないものを入れる袋だということにして」

「そ、そうか、なるほど」


 なかなか機転が効く。

 けれど母上は勘が鋭い。

 すでにおかしいと気がついているかも知れない。

 王子様は慌てた。


「では、お前は下がっておれ。毒水に触れたら大変なことになる」

「いえ、危険ですから王子様こそ離れていてください」

「僕は大丈夫だ。お前こそ何かあったら取り返しがつかない」

「いえいえ、ここは私が」

「いや、僕が」


 二人が互いに袋の端をつかんで綱引きをしているとバンッと扉が開け放たれる音が響き渡りました。


「あなたたち、何をしているの」

「は、母上……」


 呆然と立ち尽くした王子の傍で侍女が毅然とした表情で頭を下げました。


「王妃様、無礼をお許しください。実は今朝、私が花瓶の水をベッドにこぼしてしまったのです。王子様はその過ちを庇い、しかも片付けまでしていただけると申されまして、さすがにそれはとお止めしているところでございました」


「えっ……」


 王子には訳が分かりません。

 けれど王妃は微かに頬を緩めて振り返り、お付きの者たちに告げました。


「そうですか。では王子に免じて許しましょう。良いか、そなたたちもこのことは他言無用。そしてしばらく下がっていなさい」


 そして人払いが終わると侍女に近づいて、耳元でこう囁きます。


「ふふ、そなたにはこれからもずっとこの子のそばにいて欲しい」


 侍女が目を丸くすると王妃はその顔にニコリと笑みを浮かべ、それからさらにこう言いました。


「けれど、今日のところはしばらく外に出ていてくれない?」


 その言葉に侍女はハッとした表情を浮かべて肯き、それから二人に向き直って礼をするとそそくさと部屋を出て行きました。


「利発なね。それに献身的だわ。王子、あの娘を離しちゃダメよ。それに比べて王子、あなたは十一歳にもなって……」


 王妃のこめかみが次第にピクピクと引き攣り始めました。


 その頃、侍女はドアに耳を預けていた耳を離し、神妙な顔つきでこう呟きました。


「王妃様、あまり叱らないであげてくださいませ」

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王子さまのおねしょ 那智 風太郎 @edage1999

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