見えててほしい

はたたがみ

見えててほしい

 少女は休みの日だというのに制服に身を包んでいた。補修や部活の類があったからではない。知り合ったばかりの相手に理由を訊かれることがよくあるが、その度に彼女は「可愛いから」と答えていた。本音である。

 両親はもちろん親戚にもこのことはよく知られていた。今そうしているように、親戚の家を訪ねる時も高校の制服を着ているからだ。


凍介とうすけ、雪ちゃん来てくれたわよ」


 その声がするや否や幼い少年が少女の――雪の元へ駆け寄って来た。従兄弟の凍介だ。

 あと一歩で雪に抱きつきそうだった凍介は、思い出したかのように動きを止めて雪から距離を取った。


「……こっち」


 凍介はそれだけ言うと案内でもするかのように雪の方を時折振り返りながら自分の部屋へと向かっていった。雪も彼を追い越さない程度の歩幅で彼の後ろをついて行った。

 以前の凍介は雪を見るなり見境なく力の限り彼女に抱きついていたのだが、最近の彼女への態度はその頃に比べると冷たいものだった。雪は自分の何かしらが原因で彼に避けられているのではと疑っているが、以前彼を気遣って休みの日に顔を見せなかったところ叔母から凍介が雪を呼べと駄々をこねているという旨の電話があったため、毎週こうして会いに来ている。

 会いに来た時はいつも凍介の部屋で勉強を教えていた。叔母によると元はそこまで勉強に意欲のある方ではなかったらしいが、最近はテストでいい点を取るために毎日欠かさず授業の予習復習をしているらしい。ちなみに凍介が勉強に力を入れるようになる少し前、たまたま彼の部屋で採点済みのテストの答案用紙を見つけた雪が彼の頑張りを褒めたことがあるのだが、雪自身はこのことを覚えていない。


「――今日はこれくらいかな」

「うん」

「休憩しよっか。トウってゲームとか興味ある?」


 雪は凍介のことをトウと呼んでいる。


「えっと、ある」

「よかった。実は今日持って来てる」


 雪はリュックから携帯型のゲーム機を取り出した。


「1つだけじゃん」

「だからトウがやっていいよ」

「ユキ姉ちゃんは遊ばなくていいの?」

「私は見てるからいい」


 雪が慣れた手つきでゲーム機を起動し、凍介に手渡した。


「……見ててくれるの?」

「うん。どうして?」

「別に」


 雪は時々、どこか何も無い場所を見つめていることがある。その場所にいるに向かって話しかけていることも少なくない。凍介や雪の家族はそのことについて理解は示しているし、特に不自由があったという話を凍介は聞いたことが無い。

 しかし彼は不安だった。雪がそうやって誰かを見ている時、間違い無く自分の姿は見えていない。声は聞こえていない。手を掴めば流石に気づいてくれるが、以前そうした時の雪は怯えの感情も含んだような顔で驚いた反応を見せていた。しかも自分が犯人だと分かった直後、ほんの一瞬不機嫌そうに眉を顰めていた。凍介にとってはトラウマだ。

 なので彼女に自分が見えなくなった時、凍介はただ待っている。自分を再び見てくれることを願って待っている。

 もちろんいつかは誰かとの会話を終えてこちらに向き直ってくれる。だがそのいつかがいつか訪れなくなるのではないかという不安が凍介にはずっとあった。


「ゲーム上手だね」

「ありがとう」


 見えている。ちゃんと見てくれている。

 凍介は自分に言い聞かせた。




 この僕、土佐村とさむらめぐるは幽霊だ。享年20歳。当時大学生。死に至るまでにドラマチックな出来事は特に無し。今は無期限延長となった人生の夏休みを謳歌しつつ将来のことをなるべく考えないようにしている。定職に就かないだけで幽霊にもちゃんと過ごす時間はあるというのは実に厄介だ。

 さて自己紹介はこのくらいにして本題に移ろう。迷子を見つけた。小学生の女の子だ。しかも知り合いだ。

 名前はそうだな……保護者でもない僕が小さな子の個人情報を話すのもよろしくないので仮にイガラシちゃんとしよう。本名の五十ごとうあらしにちなんでイガラシちゃん。現在小学2年生。僕が育った施設で暮らしている子の1人だ。とても優しく、施設で穀潰しのように扱われていた僕にも積極的に声をかけてくれたり施設を出た後も手紙を送ってくれたりしたぐらいには深い慈悲の心を持っている。


「お兄ちゃん……」


 そんな子が迷子になっていた。今にも泣きそうな顔で立ち尽くし、しかも僕なんかのことを呼んで助けを乞うぐらい精神的に追い詰められている。非常にまずい。

 さっきも言った通り僕は幽霊だ。ごく一部の人間を除き僕の姿は見えず声も聞こえない。某映画の地下鉄に住んでる幽霊や某漫画のもずくが大好きな外国人の幽霊と違って物に触れることもできない。つまり彼女を助ける手段が無いのだ。

 悔しいことこの上無い。何故なら今イガラシちゃんがいる公園は僕が施設を出てから住んでいるマンション(今も居座っている)から歩いてすぐの場所にあるからだ。買い物か大学に行くぐらいでしか外出しなかった僕でもこの程度の範囲なら土地勘とやらが確かにある。

 声をかけられれば、せめてそこら辺に落ちてる枝でも拾って地面に文字でも書くことができれば。あるいはもっと都合のいい奇跡が起きて、イガラシちゃんが幽霊ぼくを見ることができたなら。

 既に空は赤くなり、カラスの鳴き声が聞こえている。じき暗くなるだろう。

 僕がどうしたものかと頭を抱えていたまさにその時、その人はまたしても希望として姿を現した。


「土佐村さん何してるの?」

「会津さん!」


 偶然通りかかった様子の、学校は休みの筈なのに何故か学生服姿の少女が僕に話しかけてきた。

 彼女の名は会津雪。幽霊が見えるというとても珍しい能力を持った人物だ。僕が死んだ直後にちょっとした騒動で世話になり、それ以来何かと縁が続いている。


「丁度いいところに来てくれました。実は助けて欲しい子がそこにいて」

「どこに……ああ、分かった」


 会津さんはようやくイガラシちゃんに気づいたようだ。人通りが少ない場所なので生きている人間ではなく僕のような幽霊に意識を向けていたのだろう。


「取り敢えず近くの交番にでも届ければいいかな」

「いえ、住所知ってるのでそちらに」

「何で知ってるの……」


 会津さんから汚物でも見るかのような目を向けられてしまった。何かとんでもない誤解をされている気がする。


「施設の子なんですよ。ほら、前に話した僕が暮らしてたところです」

「何だ。怖がらせないでよ」

「まさかそんな軽率に恐怖を抱かれてしまうとは」


 ひとまず僕は会津さんに施設の住所とついでにイガラシちゃんに関する情報もいくらか伝えた。知っていた方が打ち解けやすくなるだろうと考えたからだ。


「え、わざわざ手紙書いてくれてたの?」

「はい。大体週に1回くらい」

「そっか……ここって土佐村さんが住んでるマンションの近くだよね」

「ですね」

「そっか……ふーん」


 会津さんは何か納得した様子だった。


「行ってくる」


 彼女はそう言ってイガラシちゃんの元へ歩いて行った。




 雪は五十ごとうあらしに対し、土佐村の友達だと名乗った。加えて彼から嵐のことを聞いていたので彼女のことを知っていると伝えた。嘘は言っていない。

 嵐は少し落ち着いた様子になり、雪に促されるまま公園のベンチに腰掛けた。それからここへ来た経緯をぽつぽつと語り始め、雪は彼女の話をただ黙って聞いていた。


「――そっか。だからここまで」

「うん」

「辛かった……じゃなくて、辛いよね」

「……うん」

「もう遅いし送ってくよ。お家に帰ろう?」


 雪はベンチから立ち上がり嵐に手を差し伸べた。

 嵐は何も言わずにその手を取り、2人は手を繋いだまま家路についた。

 嵐が暮らしている施設まではそう遠くなかった。職員に感謝されつつも雪は彼らの言葉を適当に受け流し、自分も早く帰らなければいけないからと半ば強引に別れを告げた。

 自分の家に帰る途中、雪はついて来ていた土佐村にふと訊ねた。


「私があの子と話してたこと、聞いてた?」

「いえ。流石に嵐の話を立ち聞きするのは気が引けるので」

「そっか。聞いてなかったんだ」


 雪はため息をこぼした。


「にしても嵐のやつ何をしてたんでしょうね。散歩なんてする子じゃないし、施設から遠くないとはいえあんな所に迷い込むなんて」

「土佐村さんには分からないよ。鈍いから」

「どういうことですかそれ……」


 その後雪は家に着くまで土佐村と口を利くことは無かった。




 会津さんの家の前で彼女と別れ、僕はすっかり暗くなった夜道をとぼとぼ歩きながら彼女の言ったことを考えていた。

 鈍いとは何のことだろう。まるで僕が他人の気持ちを察してあげられていないような言い方だ。従兄弟の推定初恋を奪っておいて彼の気持ちに気づく様子が微塵も無い会津さんには言われたくないものである。

 しかしまあ、今回彼女が通りがかってくれたのは本当にラッキーだった。あのままだと僕はただイガラシちゃんを黙って眺めていることしかできなかっただろう。幽霊ってのは実に無力だ。


「今日までは、生きてりゃよかったかもな」

「そしたら嵐ちゃんに告白されたかもしれませんね」

「いやいやそれは無いですよ……ん?」


 会津さんでもイガラシちゃんでもない、聞き覚えの無い少女の声がした。

 誰なのかと振り返る。しかし街頭に照らされただけの夜道に人の姿は無く、ただ野良猫の後ろ姿が暗闇に消えていくだけだった。

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見えててほしい はたたがみ @Hato-and-Gorira

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