第4話 放課後を飾るチルタイム

 最後の余鈴が鳴り、教室は歓喜が甦る。


 クリップボードを片手に去る振沢先生を大して気に留めず、授業という余儀なき束縛から解放されて、クラスメイト達は一層明るい表情を浮かべていた。


 愚痴混じりの談笑が弾み、放課後の時間を吟味する。

 弾む会話に紛れる生活音は三者三様で、特に理由はないのに教室に居座り無駄口を並べる女子もいれば、部活に励み猪突猛進と廊下を走る野球部の少年。狼藉者を止めようとメガネの委員長は全力疾走したり。小粒揃いの個性が際立つ1年A組は相変わらず退屈とは無縁だった。


 その喧騒を脇目も振らず、新だけは黒板消しを軽く叩いていた。

 教室の横にあるベランダにて絶賛孤立中。皮肉に日直と掃除当番がバッティングしており、不毛な住人にとって不都合な一時を過ごしていた。


 傾き始める青空を眺めて。時折吹く風は寒さを感じる。


 警戒していたが、幸いなことに雨宮千愛との一件について変化は起きていない。一喜一憂の青春を送る彼等には眼中にないのだろう。

 新の方もまた自意識過剰に反応することもなければ、無理に心の距離を置く必要もない。適度な距離感こそが人生の謳歌になり、将来の解決策に繋がる。


 別に人の繋がりに拘る必要はない。


 叩けば埃が出るように。目に触れるのは全て美徳ばかりじゃない。

 描いていた理想像が失望に終わる。本性に嫌悪を抱き、美化した期待が裏切りに変わる瞬間、自責を他人に押し付けてしまう。


 そんな、覚悟を放棄した人間模様が新は大嫌いだった。


(早く帰ってくれないかな)


 本当に居心地が良いのか上位カーストが居残っていて、その中心には雨宮千愛と後藤静馬が率いており、チャラ男の冨部公聖が盛り上げ役に勤しみ、不機嫌そうにスマホの画面を睨む金髪ギャルの篠原百花の顔色を伺う。そして実質ナンバー2の沖田将磨は本を片手に聞き耳を立てて微笑む。


 流石は別世界の住人。見える青春と言うべきか。


 しかし目の保養にはなれず、むしろ避けるべき景色の対象。

 身の丈に合わない幸せなんて目の前にある価値観を余計に狭くなるだけ。小さな喜びを実感してしまえば、それだけで当たり前の日常は彩りを飾れる。


 幸せは誰にでもなれるハズなんだ―――。



『―――■■』



 手を止めて、静寂を受け入れる。

 佇む時間はない。机に放置していたリュックを背負って、帰宅の準備を済ます新は乱雑に黒板消しを粉受けに放り投げた。


 一連の行動に意味はない。どうせ反復作業の日課だ。

 律儀に役目を果たそうと所詮は雑用。替えが利く消耗品の世界で特別感を求める行為自体が罪悪だ。真剣に取り組もうとするのが馬鹿馬鹿しい。

 道草を貪る泡銭の人生が染みるというのに。

 息をするように嘘を吐いて、上部だけの損得勘定の人間関係を眺める。


 自分だけが楽しめばいいのに。


 それが出来ない新は無価値と似た存在なのかもしれない。


「またサボり?」


 ふと思案に暮れて曇り顔の新に向けて、瀟洒な声音が迎えていた。

 新は前に向くと、相識のある人物が歩いてくる。約一ヶ月前にあった合格発表の日の際に少し面識があるだけの数奇な出会い。


 肩に掛かるのは甘水色の含んだ黒髪。鎖骨ミディアムの髪型は物柔らかな所作の度に揺れて。青のヘアピンの装飾が特徴的で、漆黒のニーソックスが似合う端麗な容姿をした彼女は新の隣の席に座るクラスメイト。


 栗花落美憂は怪訝そうな顔をしていた。


「栗花落か」

「いつも無関心の顔をして、どうせ退屈だったんでしょ。目を離すと姿を眩ませているし。伝達役の私を労うべきなんだけど。他に言うことは有りますか?」


 不在の間に仲介を担ってきた美憂は辛辣に不快感を増している。

 微笑を繕うがハッキリと逆鱗に触れており、新には弁明の余地がないらしい。


「感謝している。……一応?」

「なにそのタライ回しみたいな表現力……。まあ、いいでしょう」


 感情の矛を収める美憂。けれど眼光の鋭さは恐ろしい。

 貧乏くじを引いて、不機嫌になるのも分かる。彼女にとって面倒なことだ。正直新は独断専行タイプなので、丁寧に断ることが出来るのだが。


「日直と掃除は私がこなす。当番だし、貴方は気分転換に道草食えば?」

「いや、これ以上迷惑を掛けるというか……」

「得意でしょ?」


 まるで当然みたいな反応をして、彼女は不思議そうに首を傾げる。


 寂寞とした新の肩を叩いて美憂は改めて戸締まりの確認の為に離れていく。途中振り返り、ジト目で「邪魔なんですけど」と毒突いてきた。

 孤独な環境、居場所の無さに新は肩を竦める。何も言及せず薄情の目付きのまま退室する。代わり映えしない別世界の住人のレスポンスを無視して、雀色に染まる廊下を歩く新は帰路を辿ることにした。


 リュックを背負い直して横顔が通り過ぎていく際に。

 廊下側の窓辺でクラスメイトの談笑を聞かずダラダラと暇を潰して、億劫そうに頬杖付いた雨宮千愛は新の姿を目撃すると、露骨に微笑んでいた。


「……へぇ」


 探究心を揺り動かす衝動と共に。

 本性の指針には、印象的な愛らしさの微塵もない。


 あるのは共感だけ。

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今日の嘘と砂糖菓子 藤村時雨 @huuren

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