KAC20245「こゆきとのぞみのお悩み相談室 わたしをはなさないで/あなたをはなさない編」

地崎守 晶 

「わたしを離さないで/あなたを離さない」

「うう~ん……」

「ほら小雪、お会計済ませたから帰るわよ、後で返しなさいよね」


 グラスや空き皿の横でテーブルに突っ伏している白い頭に声をかける。さっきまで笑い上戸でワインをパカパカ呑んでしゃべりまくっていたこの女は、急に電池が切れたようにダウンしてしまった。飲み会で小雪目当ての男性が彼女を酔い潰そうとどんどん呑ませても逆に潰されることが常なのに、珍しいこともあるものだ。

 夏でも冬でも小雪が着込んでいる黒いパーカーの肩を揺するも、ぐったりした彼女は呻くばかり。


「ほら立ちなさいよ。……立てる?」

「うう~ん、立たれへ~ん……のぞみちゃん、抱っこしてぇ」


 わざとらしく甘えるよう口調の関西弁。


「そーいう冗談言う余裕があるなら大丈夫ね、置いてくわよ」


 呆れて肩から手を離して身を起こすと、小雪の伸ばしてきた手がわたしのスカートを掴む。


「いやや~、のぞみちゃんと一緒やないと帰らへん-」

「子どもかアンタは!

あーもう、珍しくベロベロになったかと思えばめんどくさいわね……」


 周囲の客の視線も気になってきたので、わたしはスカートをずり下げかねない小雪の手を取って彼女の肩を担ぎ上げた。


「お姫様抱っこで連れてって~」

「バカ、さっさと出るわよ!」


 夏樫小雪という女はいつもわたしを自分勝手に振り回してくる。思えば入試の時で隣の席になった時からそうだったし、入学式が終わった瞬間人込みの中からわたしの手を取って「のぞみちゃ~ん、ウチとサークル作ろ!」と来たものだ。こっちは講義のシラバスやらバイトやら考えないといけないことが山ほどあるのにグイグイ引っ張られ、気がつけばたった二人のサークルで先輩同期後輩教員果ては大学のご近所様御用達のなんでも屋活動に巻き込まれていた。

 何の経験も資格もない女子大学生二人で何が出来るのかと思いきや、小雪の謎の特技やら謎のコネやらツテやら学生のバイトでは賄えない出所不明の札束やらを使い、大小様々なトラブルを抱えた暗い顔をした依頼人をおおむね笑顔に変えてきた。わたしはと言えば小雪に振り回されるがままにその場その場をなんとか切り抜けてきただけ。けれども依頼人に感謝されるのは悪い気分はしなかった。

 そんなサークル活動を続けて2年経つが、小雪の口から無理とか依頼を投げ出すとか、そういう弱音を聞いたことはなかったし、弱った姿も見たことがない。バカは風邪を引かないということかと勝手に納得していたけれど、とろんとした顔でわたしに身を預けて引きずられる小雪という珍しいものを初めて見て、わたしは少なからず動揺していた。

 街灯が影を映し出す夜中の道を、小雪の部屋まで彼女と寄り添って歩みを続ける。無駄に背が高く胸と腰回りの肉付きが良いせいで一苦労だ。

 頭を肩に預けられているせいで、かぐわしい彼女の熱い吐息と雪のように白い髪の毛が首筋をくすぐって落ち着かない。わざとではないかと睨むと、瞼はぴったり閉じているので本人は半分寝ているようだ。


「全く……世話の焼ける……」


 意識してしかめ面を作っていると、


「のぞみちゃん、離さないで……わたしのこと、離さないで」


 その唇から零れた言葉は、ひどく小さく、そしてすがりつくようで。

 そして、いつも「ウチ」でコッテコテの関西弁で愉快がる調子で喋る小雪の口から「わたし」という一人称と、標準語。

 わたしは思わず立ち止まる。しばらく待っても聴こえてくるのは寝息ばかり。

 いつもの関西弁は演技なのか、今のすがりつくような弱々しい弱音が彼女の本音なのか。それともいつもわたしをからかっている彼女の悪趣味の延長なのか。わたしの反応を見て内心笑ってるのか。

 どちらなのか、わたしにはわからない。

 わからないけど……


「……アンタがわたしを巻き込んだんでしょ」


 春が来ればわたしたちは三回生。そろそろ進路を考えなけれぱならない時期だ。

 けれどこの無軌道でむちゃくちゃで謎ばかりの趣味の悪い女が、リクルートスーツを着て真面目に就職活動をしてまっとうな社会人になるとはとても思えない。各方面の専門家に繋がる謎の人脈といいどこから出てくるのかわからない活動資金といい、卒業したらしれっと「のぞみちゃ~ん、ウチらでベンチャー立ち上げたから一緒にやろ~」などとのたまわってくるほうが説得力がある。それも、わたしには一言も相談なく。

 だけど……悔しいことに、そうなったとしてもわたしは……


「今さら離してなんかやらないわよバカ。

だから……」


 アンタもわたしを離さないで。

 囁き声で呟くと、肩を揺すって小雪の体を担ぎ直して歩き出した。

 首筋に寄せられた唇から幽かな笑みが漏れた気がしたけど、わたしは確かめなかった。




 

 

 


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KAC20245「こゆきとのぞみのお悩み相談室 わたしをはなさないで/あなたをはなさない編」 地崎守 晶  @kararu11

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