籠の中の鳥

西しまこ

空へ

 ずっと籠の中の鳥だと思っていた。


 籠の中の鳥のわたしが、鳥を飼う。

 わたしはきれいな水色の、セキセイインコを飼っていた。唯一の心の安らぎ。すっかり慣れて、手乗りインコになった。

 部屋のドアも扉も完璧に閉めて、鳥籠の扉を開けて人差し指を入れる。インコのスカイがぴょんとわたしの手に乗る。ほんの少しだけの、癒しの時間。

 在宅勤務の夫は、健康のために朝と夕一時間ずつウォーキングに行く。

 そのわずかな時間がわたしの時間。

 一息ついて、お茶をゆっくり一杯だけ飲み、スカイを指に乗せる。

 鳥と遊ぶ。朝夕合わせての二時間が、赦された時間。

 スカイとしばらく遊んでから鳥籠に入れ、そして完璧に掃除をする。羽根の一つでも落ちていたらいけない。


 インターフォンが鳴ったので、玄関のドアを開けに行く。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 そう言ったあと、夫は無言で帽子とタオルを渡す。わたしは、帽子は帽子掛けに掛け、タオルは洗濯機に入れた。


 夫はシャワーを浴びて着替えをしたあと、リビングに入って来てちらりと鳥籠を見て言った。

「鳥を放すなよ。汚れるから」

「はい」

 わたしは夫がいないときにスカイを出していることを秘密にしていた。小さな秘密、小さな嘘。それがわたしを支えている。

 今からまた洗濯機を回し、掃除をして完全にきれいにし、それからごはんを作ろう。夫は仕事をしているのだから、家の中はわたしが完璧に整えなくてはいけない。


「なんだ、今日は肉を焼いただけか。楽でいいな」

 夕飯に生姜焼きを出したら、夫はそう言った。

「ごめんなさい」

「リビングの隅に雑誌が置きっぱなしになっていたぞ。見苦しい」

「……ごめんなさい。明日、ゴミの日だから準備をしていたの」

「さっさとやっておけ。お前は俺が養ってやっているんだから。いい暮らしが出来るのも、俺のおかげなんだ」

「――はい」


 夜のあれはいつもとても苦痛だ。早く終わるといい。いつもそれだけを願っている。

 荒い息遣い、乱暴な手つき、痛み。ぬるぬるとした気持ち悪さ。

 この行為に一体、どんな意味があるというのだろう?

 夜の昏さにわたしの気持ちも同化して、わたし、という存在は闇の中で形がなくなる。


 朝早くに目が覚めてしまった――夜明け前の、まだ暗い時間。

 着替えをしてお化粧をして、鏡を見る。……なんて、冴えないわたし。

 シャッターを開けて掃除をしていたら、朝陽が昇ってきて、部屋が太陽の光で満ちてきた。窓を開けて、ひんやりとした空気を吸い込んだ。

 気持ちのよい、冷たさ。そして朝の光。

 スカイが鳥籠で音を立てて羽ばたいた。まるで自由を渇望しているような音だと思った。


 スカイ、お前も出て行きたいの?


 わたしは鳥籠の扉を開いた。スカイはきょろきょろと辺りを見回して、それから嬉しそうに飛んで行った。開いた窓から空へと。春の初めの青い空にスカイは溶けていく。


 ある土曜日の朝、わたしは、鳥を放した。





    了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

籠の中の鳥 西しまこ @nishi-shima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ