はなさないで!

青樹空良

はなさないで!

「止めないで!」


 私は学校の屋上の手すりに手を掛けながら叫んでいた。

 空はすでに暗い。

 生徒はみんな下校していなくなっていると思っていた。

 職員室に電気はついていた。

 当てつけみたいに先生たちは学校にいたくせに誰も私が自殺したことになんか気付きもしなかった。なんて、明日のニュースにでもなればいいと思っていた。

 なのに。


「やめなさい!」


 白衣を着た保健の先生が、今にも飛び降りようとしている私と向かい合っていた。

 月明かりに照らされて、白衣が白く輝いているように見える。

 生徒の中でも美人だって評判の先生だ。それに性格もいいなんて最高だと男子たちが言っているのを聞いたことがある。そんな彼女にはきっと悩みなんてないんだろう。


「先生になんかわからないよ!」


 私は叫んだ。

 私は先生とは違う。

 美人で人生イージーモードなんかじゃないし、この先の人生に希望なんて全く持てない。生きていたって楽しくもない。

 だったら、今ここで死んだ方がマシだ。

 手すりの向こうへと足を掛ける。


「こらっ! はやまっちゃダメだってば!」


 先生がこっちに向かって走ってくる。

 あんなところから追いつくわけがない。

 私は手すりから手を離して、宙へと……、


「え?」


 次の瞬間、私の手はしっかりと先生の手に握られていた。

 意外と力が強い。

 じゃなくて、


「離してよ!」

「離さない!」


 先生は叫んだ。

 私は今、先生の手だけに支えられていて校舎からは宙ぶらりんの状態だ。先生は私を掴んでいるのとは反対側の手で屋上の手すりを掴んでいる。


「私は死にたいの!」

「なに言ってるの! 今引っ張り上げるからっ!」


 無理だよ。

 と、私は思う。

 だって、この状況だよ。

 細い先生の力で引っ張り上げるなんて、そんなこと出来るわけない。

 足下がスースーする。もうすぐ死ぬんだなって思う。


「先生、離してよ。先生まで死ぬことないんだから」


 私はちょっと落ち着いた気持ちになって言った。

 私はいい。自分で死にたいから死ぬんだ。

 だけど、先生まで道連れになることはない。


「今離せば、先生は助かるから」

「離さないって、言ってるでしょ!」

「どうして!」


 私は思わず叫んだ。


「私なんて助けてもいいことないのに! 助けられたっていいことあるかわかんないし」

「それでも、離さない。私の大事な生徒なんだから」

「……馬鹿じゃないの」


 心が冷える。私なんか助けてもしょうがないのに。

 先生の腕に力が入る。

 私から手を振り払おうか、なんて思ったとき。


「どっせーい!」


 先生から発せられたとは思えない、野太い声が聞こえた。

 一瞬、もうすぐ死ぬことさえ忘れた。


「今の声、どこ、から?」


 などと言っている間もなく、私は先生の胸元に釘付けになった。

 セクシーとかそういうことではなくて。

 先生の胸元からボタンがはじけ飛ぶ。

 そこから、見えたのは。


「え?」


 次の瞬間。


「うぉりゃー!」


 更に気合いの入った声が響いて、


「え? は?」


 私はあっという間に屋上の上に引き上げられていた。

 寝転がった状態の私の隣には、同じく先生が転がっている。


「よかった」


 寝転がったままで私の方を向いて、先生は笑った。そして、自分の今の姿に気がつくと、


「あらやだ」


 急に起き上がって胸元を整え始めた。

 というか、白衣で身体を隠している。


「あの、先生。さっき、ちょっと見えちゃったんですけど……」

「うっそー。バレちゃった?」

「……はい」

「アタシが男だってことは他の生徒には絶対に話さないでね。な・い・しょ。あ、ナイショと言えば、私もあなたが飛び降りなんてしようとしてたことは誰にも話さないから」

「あ、ハイ。ありがとうございます」


 そう。

 さっき私を助けようとしたとき先生の胸元から見えた胸は全く膨らんでいなかった。あれは、絶対男の……。


「先生、着痩せするタイプなんですね」

「そうなのよー」


 なんと言えばいいのかわからずに私が言った言葉に、先生はうふふと笑っている。

 これ絶対、さっきまで自殺しようとしていた人と、自殺しようとしていたのを止めた人との会話じゃない。


「今度から悩み事があったら、すぐに保健室に来なさいよ。私でよければ話くらい聞くからね。校門くらいまでは送るわよ。さ、行きましょ」

「……はい」


 先生に手を取られて立ち上がる。

 さっきはとても強い力で私を引き上げた先生の手は、今は優しかった。

 握ってみれば確かに少し骨っぽい男性の手だ。

 私はふとあることに気がついた。


「あのー、もしかして他の先生たちは知ってるんですか?」

「あったり前じゃない。仕事仲間だもの。でもね、生徒たちにはナイショにしてるのよ。刺激が強すぎるでしょ」

「は、はぁ」


 私は頷いた。

 確かに、刺激が強すぎる。

 というか、うちの学校の先生たち、つまらない先生がばかりだと思っていたけれどこんなすごい秘密を生徒たちに隠していたのか。

 ハートが強いというか、なんというか、すごい。


「っふ、ふふふ」


 なんだか笑えてきた。

 あんなに死にたかった気持ちは、いつの間にかしぼんでいた。


「あら、どうしたの? なにかおかしなことでもあった?」


 先生は首をひねっているけれど、おかしなことだらけだ。

 全く。さっきまで死ぬ以外の選択肢なんて考えていなかったのに。

 行きたい場所が出来てしまった。


「今度、保健室行きます」

「ええ、また話しましょ」


 私が言うと先生は笑って答えてくれた。


「さ、行こ」


 先生が歩き出す。

 自然に私たちの手が離れそうになる。

 急に不安になった私は、


「はなさないで!」


 咄嗟に叫んでいた。口に出してから恥ずかしいことを言っていると気付いた。

 だけど、


「うん。わかった」


 先生は私の手を再び握り返してくれた。

 あたたかい。

 この手は、私をここにつなぎ止めてくれた手だ。

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はなさないで! 青樹空良 @aoki-akira

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