魔女に恋した青年

くれは

 * 

 ある日、青年は森の奥に迷い込んでしまった。

 魔女が住む森というのは村の子供でも知っていることだった。森の奥に踏み入って魔女を怒らせることがないように、と村の誰もが言われて育つ。

 青年ももちろんそのことは知っていたが、少し迂闊な男だったのだ。

 戻る道もわからなくなり、鬱蒼とした森を歩き回り、青年は疲れ果てていた。不思議な家を見つけたのは、そんなときだった。

 家からは美しい女が姿を見せた。あれが森の奥に住むという魔女だとは、誰にでもわかることだろう。青年にもそれはわかっていた。

 けれど青年は、その美しい姿に一目で恋に落ちたのだった。

「道に迷って困っているのです。どうか助けてください」

 青年はまず、魔女に助けを求めた。魔女は青年の姿を見て、何を思ったか微笑んだ。気まぐれな魔女のことだから、機嫌が良かっただけかもしれない。あるいは退屈を紛らわす者がきた、とでも思ったのだろうか。

 魔女は青年を家にあげて、暖かなお茶と焼き菓子を出した。青年は感激して焼き菓子を食べ、お茶を飲んだ。

「助けてくださってありがとうございます。あなたは素晴らしい人だ。美しい人だ。僕は恋に落ちたのだ。どうか僕の心に応えてください」

 少々迂闊な青年は、魔女に自分の心を伝えた。魔女は微笑んだまま首を傾けた。

「わたくしは魔女ですのに」

「それでも良い。僕はあなたと共にありたい」

 魔女は何かを少し考える様子を見せた。それから、青年に向かって微笑みを崩さないまま言った。

「今日のところはお帰りください。大丈夫、この家を出ると帰り道が見えるようになっていますから、迷わず帰れるでしょう」

「では、またあなたに会いにきても良いでしょうか」

 身を乗り出す青年に、魔女は、ふ、と笑う。

「あなたのその気持ちが偽りでないなら、どうぞ。けれど、わたくしのことは誰にも話さないで」

「ええ、わかりました。決して話しません。また必ず会いに来ます」

 青年の言葉を魔女はどう受け取ったのか、わずかに微笑むばかりだった。青年は魔女に赦されたのだと浮かれて、村に戻った。

 村ではと晩が経っていた。青年の母親は青年をとても心配していた。青年は母親を安心させるように言った。

「大丈夫、森で少し迷っただけだ。こうして無事に戻ってこれたんだ、大丈夫だよ」

 魔女との約束を守って、青年は魔女に会ったことは話さなかった。

 けれど翌日、青年がまた森に行こうとするのを母親は止めた。母親は青年がまた森に迷って、今度こそ戻ってこれなくなるのではないかと感じていた。

 母親に止められて、青年は焦れた。一刻も早く魔女のところに向かいたい気持ちが、青年の口を滑らせた。

「そんなに心配しなくても大丈夫、魔女が助けてくれるから」

 魔女と聞いて母親は余計に心配したけれど、青年はもう母親を置いて家を出ていってしまった。

 再び魔女の家を訪れた青年を、魔女は迎え入れた。けれど、その顔に微笑みはなかった。

「話さないでと言ったのに、どうして話してしまったの」

 魔女に問いただされ、青年はそこではじめて自分が口を滑らせたことに気づいた。青年が見る魔女は、どこまでも冷たく静かで、美しかった。

「あなたが話してしまったのなら、わたくしの言葉は呪いになるのです」

 魔女が静かに告げると、青年の声は失われた。言葉を紡ぐことができなくなった喉を押さえて、青年ははじめて魔女を恐ろしいと思った。

「あなたの心が偽りでないのなら、どうか、わたくしのことを離さないで」

 囁くように、魔女が青年の耳に言葉を吹き込む。青年は恐怖から、頷く以外できなかった。そして力が抜けたように、床に座り込んだ。

 魔女はそれを見下ろして、微笑んだ。

「愛を語るあなたの言葉は嫌いではありません」

 青年の声を小さなガラスの小瓶に入れて、魔女はそれを耳元に近づける。ガラスの小瓶の中では、青年の声が必死に愛を語っていた。

 その隙に、青年は逃げようとした。床を這って、ドアに向かう。

 魔女はその情けない姿を見下ろして、残念そうに溜息をついた。

「わたくしを離さないでと言ったのに、それに頷いたのに、どうして離れようとするの? わたくしの言葉は呪いになると言ったばかりだというのに」

 魔女が告げると、青年の心は失われた。魔女はその心を声と一緒にガラスの小瓶に閉じ込めた。青年の体は力なく倒れる。

「あなたの心が偽りでなければ、もっと美しかったのでしょうね」

 魔女は手にした小瓶を眺める。ぼんやりと、青年の心が光る。そして、繰り返し愛を囁いている。

 すぐに魔女は興味を失くしたように、その小瓶を棚に片付けた。そして指先を一振りすると、青年の体を森の奥に放り出してしまった。

 森の奥に踏み入って魔女を怒らせることがないように、というのは、村の誰もが聞いて育つことだった。




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