離さないって言ったじゃない……
セントホワイト
離さないって言ったじゃない……
彼女の遺影を見ながら俺の心は空虚だった。
周りから向けられる視線も、彼女の両親から向けられる励ます声と裏に隠れた憎しみが肩に乗せられた手に込められていても気づかないほどに。
彼女の遺影は一週間ほど前に撮られた写真で、今となっては思い出の中にしかいない彼女と何も変わらなかった。
彼女が火葬場で燃やされ始めてどれくらい経ったのだろう?
結婚式をして新婚生活も順調に過ごしていたはずだ。付き合って数ヶ月で結婚をしたが馬が合っていて夫婦仲は決して悪くなかった。
世間から見ればバカップルだと陰口を叩かれても痛くも痒くもないほどに一緒にいた。
舞い散る桜を一緒に見た。夏の暑さを一緒に感じた。秋の味覚を一緒に食べた。冬の冷たさを笑いあった。
互いに意識しなくても何となく手を繋ぎ合っていた。あの温もりは、もうこの世の何処にもない。
「親族の皆様。終わりましたので、こちらへ」
その日、皮も肉も無くなった彼女を見て失ったものの大きさを知った。
心が引き裂かれる。消えた心に反するように身体は淡々と彼女の骨を骨壷に収めていく。
記憶をなぞれば幾らでも思い出せるのは何故なのだろう。
二十年以上を生きてきた中で彼女と一緒に過ごしたのは数年の話だ。人生の割合的に考えれば決して多くはない。
でも、一日の密度はどこまで遡っても彼女と過ごした時間に比べればどれほど濃いというのだろう。
動画を見て笑う彼女の顔。会社で嫌なことがあったと怒る彼女の顔。悲しい映画を見て泣く彼女の顔。怪我をした俺を心配そうに見る彼女の顔。
色んな表情を見せてくれた頭蓋骨を骨壷へと最後に収めれば、彼女は小さな骨壷へとすっかりと収まってしまった。
嗚咽しか出ない口を真一文字に閉めても流れる涙は止まることはなかった。
そして、それから彼女を墓石に収めるまで彼女と自分の親戚が話すだけで俺も両親も言葉は発することはなかった。
月日は経ち、時間があれば何となく足を向ける墓参り。
周囲の墓石よりも綺麗に掃除され、雑草などひとつも生えていない。
彼女の両親や自分の両親とも相談しながら部屋を片付け、彼女と過ごした痕跡は幾つもの写真や動画のデータばかりとなった。
「どうして、こんなことになったんだろうな……」
先週も綺麗にしたばかりの墓石を濡らしたタオルで何度も洗いながら考える。
あの日、少しだけコンビニのATMでお金を下ろすのに時間がかかり待っていると、突然に突っ込んできた車に彼女は轢かれてしまった。
年寄りのアクセルとブレーキの踏み間違えによる事故。悪気など微塵も無かったという釈明らしき言い分も全ては空しいだけだ。
すぐ終わるからと彼女を店の外に待たせておくべきではなかったのだ。あの日、もしもこうなると知っていたら絶対に手を離したりはしなかったのに。
「俺は、これからどうしたら―――」
墓前に手を合わせてこれからのことを考えていると、突然にべたりと粘着質な赤い何かが俺の手を掴む。
それは一瞬の出来事だった。もしも誰かが知れば白昼夢だと言うのだろうが、俺の最期を知る者は残念ながら誰一人としていない。残されたのは墓石の中で肉塊として果てた姿を晒すのみだ。
「離さないって、言ったじゃない……」
墓石がズレて、その間から伸びた血の滴る手が俺を引き摺り込む。そして彼女の悔しそうな懐かしい声を聞いて俺の意識は途絶えるのだった。
離さないって言ったじゃない…… セントホワイト @Stwhite
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