第5話 最初の練習
「みんな集合したということで、山岳部の練習を始めたいと思います」
びしっと手を挙げて選手宣誓するように言う空川。やっとのことで三人が体操服姿で昇降口前に集まる。気づけば、水平線が半透明なオレンジ色でグラデーションを作り始めていた。
「お、待ってましたキャンプ飯!」
「渚ちゃんノンノン、残念ながらキャンプ飯を作るわけではないんです。練習内容はズバリ──」
「ズバリ……?」
「……ランニングです」
……ら、ランニング?
思っていたのと違う解答が帰ってきて、思わず耳を疑う。
体力が必要な部活なのはもちろん知っているが、最初の活動ぐらい何か山岳部っぽいことをやると思っていたのだが……よりによって運動部に入るのが嫌な理由ランキングに上位で入っているランニングをすることになるとは。もう帰りたい。
「……ランニングじゃなくてもっと山岳部っぽいことしないか。白波さんが言ったようにキャンプ飯を作るとか」
「ひーくん、そんなことよりランニングの方が楽しそうじゃん!」
ふと横を見ると、なぜか目を輝かせて前のめりになる白波が。
「キャンプ飯とか登山したいって言ってなかったか? ランニングなんか一番つまらない練習だと思うんだけど」
「今、陸上を馬鹿にしたね……?」
あれ、いつの間に手のひらを返されているんだ。
「柊くん、登山において足腰の強さが基礎となるからやらないとダメだよ?」
「で、でもテント建てれなかったらどこに寝るんだ? 地面に寝るわけにはいかないだろ?」
「ひーくん、山に登れる筋力がないんだったらテントも使わないと思うよ。まずは基礎から始めないとじゃない?」
走るのはどうしてもしたくないのだが……多数決でいうと一対二。俺の意見が聞き入れられるわけがなかった。
最後にちゃんと走ったのはいつだったっけ。マラソン大会も体力テストも手を抜いてしかいなかったことを考えると、中学一年の頃まで遡ることになるだろうか。
アニメで観たキャラに憧れて、体育の授業で走り方を真似していたのを覚えているな。この走り方にかっこよさを感じていただけに、みんなも真似してくれたのが嬉しかったのだが、笑い者にされていると気づいたときは恥ずかしさで死ねそうだった……。
「今思いついたんだけどさ、体力測定も兼ねてランニングしたいからレースしない?」
「え、レース?」
「レースね……競争するんだったら勝ったら何かあるの?」
「うーん、勝ったらっていうよりドベの人が他の二人にジュースを奢るってのはどう?」
「ちょっとレースは──」
「いいね、なんか燃えてきた! コースは校舎を一周でどう?」
俺が口を挟む間も一切なく、二人で勝手に決め事をしていく。
……そういえば、そろそろラノベの新刊が発売される頃だな。
何巻か買おうと思っていた俺にとって数百円は手痛い出費だ。レースをしないのが本望だが、することになってしまった以上ここは意地でも勝たなければいけない。
「ひーくんは走るの苦手?」
「……そうだな」
「走るのは楽しみだけど……久しぶりに走るからちょっと不安なんだよね」
ランニングを楽しみにしているのだと思っていた白波だったが不安なのか。競争をすることも相まって走るのが億劫になっていたが、俺より運動が出来そうな白波も俺と同じ不安があるのだと思うと、その嫌な気持ちからも解き放たれた。
「じゃあ、位置について……よーいどん!」
空川の突然の掛け声にタイミングが合わせられず、俺を置いて二人はコンクリートの地面を蹴る。俺も遅れを取ってスタートラインから出る。
同じリズムを刻む足音。足の動きに連動しようとした腕の振り。久しぶりの走りはぎこちなく見えないだろうか。昔の記憶を頼りにしたフォームでいい感じに走れているのだろうか。
そんなことはさておき、数メートル先にいる二人に追いつくまでペースを上げて走っているのだが、追いつくどころか背中がだんだんと遠ざかっていく。
今朝歩いていた並木道を空川たちは一定のハイペースで隣り合う。
山岳部の基礎としてランニングをしている空川ならまだしも、白波は走るのが久しぶりと言っていたわりには速くないか。というより、空川よりも白波の方が余裕そうに見える。並んでいる空川と比べて、フォームも足取りも余計な力が入っていなく幾分か軽やかだ。
「今の渚ちゃんじゃない?」
「え、渚ちゃんって中学のときに陸上で全国大会入賞してた子?」
道路脇のグラウンドから陸上部の会話が耳に飛び込んでくる。
なるほど、陸上で全国大会入賞と。白波さんと俺で並走するくらいのイメージだったのに……甘い言葉で安心させて裏切るのはやめてください。
「……はあ、はあ」
コース全体の距離を考えると俺のいる並木道はまだ序の口だが、運動不足が早速走りに影響していた。走るペースはゆっくりと下がっていき、二次関数的に空川たちとの距離が開いていく。俺がグラウンド横を通り過ぎた頃、空川たちは体育館の方へと向かうカーブに差し掛かっていた。
「ひーくん遅いよ!」
後ろを振り返って白波が大声で叫ぶ。
あだ名を大声で叫ぶのはやめてくれ……変な噂が立つのは嫌なんだが。
俺は伏し目がちにカーブを曲がり、荒い舗装が施されたアスファルトの道を抜ける。
コースは終盤に近付いていた。先頭を走る二人の姿は疾うに見えなくなっていて、言わずとも俺が最下位になることは確定していた。
……今月分は我慢か。
気持ちとともに重くなっていく足取り。景色の流れる速度も次第に緩やかになっていく。アスファルトの道を越えた先にあるのは体育館。そして、正門に戻るまでの長い一本道。そこからゴールまではすぐだ。誰も見当たらないから、二人は先に行ってしまったのだろう──。
「空ちゃんあとちょっとだよ!」
「……もう動けない」
聞き覚えのある二つの声がどこからか聞こえてくる。声の在り処を探していると、体育館横の茂みの近くで二人の姿を見つける。地面に横たわる空川と無理に腕を引っ張る白波……うん、どういう状況なのかが全くわからない。
「……えーと、何をしているんだ」
「空ちゃんが走ってくれないんだよ!」
「走ってくれないって……足攣ったら走れないでしょ」
こいつ、また足を攣ったのか。
「あとちょっとなんだから足攣ってでも走らなきゃ!」
「む、無理……」
放心状態で空をぼーっと見つめる空川と自前の陸上精神を押し付ける白波。そして、それを遠目に眺めて呆れる俺。
白波があまりにも鬼すぎる。こんなちっぽけなレースに陸上部の根性論はいらないんだけどな。
「レースなんだから最後まで諦めちゃダメだよ!」
白波の一言に俺ははっとさせられる。
このレースは俺の最下位が分かりきっていた。途中から俺が奢ることを受け入れて、待ちに待ったラノベの新刊を買うことも保留になるのだと理解していた。だが、空川が走れなくなった今、諦めた欲望を取り戻すチャンスなのでは。白波の言う通り、諦めたらダメだ。
「お先に!」
「ちょっと、柊くん⁉」
反射的に俺はゴールラインへと動き出していた。溜まった疲れは吹き飛んでいて、鳥籠から解放された鳥のように体は軽かった。後ろから聞こえてくる空川のいちゃもんも俺には届かない。
「ひーくん、待て!」
「渚ちゃんも⁉」
大きな足音がだんだんと迫ってくる。顔に受ける夕方の風は涼しく、この上なく爽快だった。
◇
ガタン、ガタン。
「柊くんも渚ちゃんも酷すぎるでしょ!」
「えーと、これはちょっと勝ちたくなっちゃっただけで……」
購買に置かれた自動販売機に俺たちは集まっていた。問い詰められる白波を横目に俺は自動販売機からサイダー缶を取り出して炭酸音を鳴らす。
沈む太陽は空を茜色に染めていた。久しく見なかった美しい夕焼け。俺はキンキンに冷えたサイダー缶をぐっと傾ける。
「ひ、ひーくんは悪くないの?」
「渚ちゃん、そうやって逃げちゃダメだよ?」
聞かないふりをして、俺は色付いた空を眺める。
この二人がいると少々カオスだが……山岳部、案外悪くないのかもしれない。
そこに山があったから! @aizawa_138
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