Octet 5 メタモーフォーセス

palomino4th

Octet 5 メタモーフォーセス

はなさないで——

と私はあなたに言った。

その時は心からそう思っていた。

あなたにはそうし続ける強さのないことを私は知っていたけれど、その瞬間は本気で思っていた。

私の身体を抱く腕も手を握る指も、少しゆるめるだけてこぼれ落ちてしまう絆ではあったから。



さがさないで——

と私はあなたに言った。

あなたをこばむ事は出来ない私は、あなたから遠ざかることしか出来なかった。

星空の流れをさかのぼりあなたの知らない土地へ私は駆けた。

目眩めくるめく山河に足跡を残さないように逃避行をやりおおせた。

私は、私を閉ざす私だけの牢獄と城塞じょうさいに逃げ延びた。

どこまでも広い平原の中に私は私自身をひとやに変えた。


ゆらさないで——

と私はあなたに言った。

ただの樹を揺すぶらないで。

今は丘の上の一本の樹である私。

祈りは届き変身は成功した。

人間の肉体はとうに失われ、魂は地と空に伸びる根と枝に納められた。

ねむり夢見るだけの樹をそれでもあなたは探し当てる時が来る。

時を経てあなたの身体は消え大陸を巡る風になった。

風は森の隅々まで入り込み樹々の枝をざわめかせる。

あなたの手が触れる時、枝を縁取ふちどる幾万の葉が見開かれる。

きっと森を震わせる風を呼び込む。


もやさないで——

と私はあなたに言った。

熾火おきびのようにまだ燃え上がる火種は胸にくすぶっている。

一本の古い樹の中で思いを睡らせて時間の過ぎるままにさせていたい。

あなたの存在は危険。

灰をかき混ぜ火をおこし樹が樹でなくなるようにしてしまう。

起き上がればもう止めようのない炎の柱を私は恐れた。

世界中の森を食べ尽くす舌は灰に埋れながら、今もその時を待っている。


はなさないで——

と私はあなたに言った。

私の名前はもう口にしないでと。

千年の時間が隔ててもあなたの唇が出す声は私の耳に届く。

あなたの声を幾億のささめきから聴き分けることが出来る私の耳。

夢の砦が何層張り巡らされても、それを破り私を起こしにくる。

風の姿のあなたは遠く遥かに私の名を呼び吹き続ける。

月面下の呪われた昼と夜に。

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