スタンドバイミーエイリアン
キジトラ
第1話
「やあ! 僕はウォンディ星から来たんだ! 君らで言う所の宇宙人って奴かな。まあ、そんなことより今日から君を観察させてほしい! いいかな!?」
「……え?」
目の前に急に現れたその人物は、はっきりとした声で俺にそう言った。
──
夕暮れ時の公園。遊具で遊ぶ園児や小学生も帰宅し、静かになったその場所は一人で黄昏るには絶好の場所である。
かく言う俺、
それなのに、目の前のこいつに邪魔された。白い肌に長い白髪を携え、白の服を着た、とにかく全身真っ白の目の前のこいつ。
ウォンディ星? 宇宙人? 何言ってんだ。頭おかしいのか?
「君はここで何をしているんだい?」
「いや、別に……何もしてないです」
「ほう。この星の生物は『何もしない』ということをすることもあるのか! なるほどなるほど……」
そうブツブツ呟きながらこいつはメモを取り出した。
どうやら本当に頭がおかしいらしい。
しかし、俺にはどうにもこいつについて気になることがあった。
ついさっきまで、この公園には俺以外に誰もいなかった。たとえ、こいつが公園のどこかに隠れていたとしても、俺に見られずに目の前に移動するなんて芸当は到底無理だ。
つまりこいつは、いきなり目の前に現れたということだ。そんなこと、普通の人間に出来るだろうか?
「あの、どうやって目の前に来たんですか」
「僕は光子転送機を使ってこの惑星に降り立っただけ。君の目の前に来たのはただの偶然さ」
「……はぁ。そうですか」
よし。こいつは不審者だ。
とりあえず適当に理由を付けてここから離れよう。
「すみません。今から塾あるんで帰りますね」
俺はブランコから立ちあがって、そのまま小走りでその場を離れた。ヤバい人は目を合わせると襲ってくるらしいから、一応目を合わさないように。
「ちょいちょい! 僕は君に何もしないって」
嘘つけ。不審者は総じてそういうこと言うんだよ。
遠くから聞こえてくる奴の声に心の中でそう反論しながら、俺は自宅までの帰路に就いた。
「ただいま」
玄関を開けるとかぐわしい山椒の香りがした。恐らく今日の晩ご飯は麻婆豆腐だな。
そんな予想を立てつつ、俺はリビングに入った。
「おかえり」
リビングに来た俺を迎えたのは、いそいそと仕事着に着替える母だった。
「今日、麻婆豆腐?」
「うん。よく分かったね」
「匂いがしたもん」
にやっと笑う俺の頭を母は優しく撫でた。
前髪が邪魔でよく見えなかったが、母の顔は笑っているように見えた。
「んじゃ、私もう行くから。ご飯早めに食べなさいよ」
「うん。分かってる」
そう言って、母は仕事に行った。
さて、まず風呂に入ってからご飯を食べて、皿洗いをして。
……その前にちょっとだけゲームしちゃお。
『不真面目な息子をどうか許せ』と母に念じつつ、俺は自分の部屋に向かう。そして、部屋の扉を開けた。
「おかえり! 遅かったね」
「うおっ!!」
誰もいないはずの俺の部屋から、声が聞こえた。それもさっき聞いたばかりの声だ。
驚いた勢いで尻餅をつく。お尻に走った痛みに思わず涙を浮かべながらも、俺は部屋の中心の居座っているそいつに、
「おまっ! なんでこの部屋にいるんだよ!!」
部屋の外に響き渡るくらいの声量で怒鳴った。普通の人ならばぎょっとするレベルの剣幕でだ。にもかかわらず、奴の反応は淡白だった。
「言っただろう? 僕は宇宙人だ。住居の侵入など容易い」
ニヤリと笑うそいつを見て、俺は理解した。
こいつはやばい。マジでいかれてる。この期に及んで、まだそんな訳の分からないことを言っているのか。
こうなったら、もうやるしかない。実力行使するしかない。めちゃくちゃ怖いけど、あいつらよりはましだ。それにちゃんと警察に説明すれば、正当防衛だって分かってくれるはずだ。
「おりゃ!」
俺の拳は正確に奴の顔を捉える。このままいけば奴の鼻をにやけ面ごと破壊できるだろう。
だが、
「え……!?」
真っ白な奴の顔を奴の血で真っ赤にさせるはずだった僕の拳は、虚しくも空を切った。もしも漫画だったら『スカッ』という情けない擬音が発生しているかもしれない。
それにもかかわらず、奴は目の前に何事もなかったかのようにしている。言うなれば、全くもって触れることが出来ないのだ。
「僕の体は君たちとは違う次元に存在しているからね。少し体をいじって君だけに見えたり聞こえたりできるようにしているけど、君からこちらには何もできないよ」
当たり前のように話すそいつを見て僕はようやく理解した。
「お前っ……人間じゃないのか?」
「だから、最初から言ってるじゃないか。僕は宇宙人だって」
そういえば会った時、そんなこと言ってたか。でも普通信じられるかよ。目の前に宇宙人がいるなんて。
今一度、俺は奴が最初に言っていた言葉を思い出す。
「お前確か、俺の事を観察したいって言ってたよな。あれはどういうことだ?」
「今、僕は星外学習をするためにこの星へ来ているんだ。この星の時間単位で一週間、その星の様々な事を知り、理解し、学ぶ」
「そのためには、その星に棲む生物に直接会って、どのような生活をしているのかを知ることが一番効率がいいと考えた、ということだ」
星外学習。こちらで言う校外学習に近い物だろうか。にしても、規模とか色々違いすぎるけど。
まあ、とにかくこいつは、俺の生活を観察するためにわざわざ他の星からやってきたってわけか。
「ま、君が嫌だって言っても僕は君の観察を止めないから。そこの所はよろしく頼むよ」
くそ。にやけ面が滅茶苦茶腹立つ。というか俺は一週間こいつに話しかけられ続けるって事か? 割としんどい……。
でも、こんな突飛な話を誰かに信じてくれるとは思えないし。納得するしかないか。
「分かったよ」
「物わかりが良くて助かるよ。さて、君の名前を聞こうか」
「榊原勉。お前は?」
「僕の星には名前の文化が無いんだ。呼び方は君が決めてくれていい」
名前か……。宇宙人? いやこれは長いし。エイリアンとか……いや、これもそんなにしっくり来ない。
悩みながら僕は頭をぐるぐる回らせる。そんな時、部屋の片隅にあった僕のお気に入り映画『エイリアン』のDVDが目に入った。
確か、この映画の主人公の名前はエレン・リプリー。そうだ。リプリーという名前はどうだろうか。ちょうど二人とも宇宙人に繋がりあるし。というか、本物の宇宙人だし。
「よし、じゃあお前の名前はリプリーだ」
「リプリーか。良い名前だ。じゃあ勉、これからよろしく頼むよ!」
こうして俺、榊原勉と宇宙人、リプリーの奇妙な共同生活がスタートした。
──
「……とむ」
「うぅ~ん」
「勉!」
「うわっ!」
大きな声で呼ばれ、僕は深い眠りから覚めた。まだ眠気で霞む目をごしごし擦り、よく見てみるとそこにはエプロン姿の母が立っていた。
「ほら、早く起きてご飯食べちゃって。もう朝の11時よ」
「分かった……」
そうだ。あの後風呂とご飯をさっさと食べて、その後徹夜でゲームをやったり漫画を読んだりしたのだった。
それもこれも、母の横でニヤニヤ笑っているリプリーのせいだ。この星の文化を知りたいとかなんとかで、夜通し付き合わされた。朝六時にようやく解放されて少し睡眠はとれたけど。
「はは。勉怒られちゃったね」
「お前のせいだろ」
「何? なんか言った?」
しまった。リプリーの声は僕以外には聞こえないんだった。
「いや、何でもないよ。母さん」
「そう。なるべく早くリビングに降りてきなさいよ」
そう言って、母は僕の部屋から出ていった。階段を下りる音を聞いて、母が一階に行ったのを確認した後、僕はリプリーを睨む。
「おい。母さんがいる時はあんま喋りかけるなよ」
「ごめんごめん。いや、それにしてもこの国の娯楽文化はすごいね。”まんが”に”げえむ”、とても刺激的だったし、勉強になったよ」
「お前らの星にはそういうのは無いのか?」
「僕らの星では、何百年も前にそういう文化は無くなってしまったんだ。過度の暴力描写や刺激は意味のない争いを生むからね」
「ふうん。つまんなそうな星だな」
娯楽が無い世界。確かに無駄な争いは減らせるかもしれないけど、中学男子にとってゲームや漫画が無い生活って言うのは地獄に等しい。そんな環境で、いったい何を楽しみにして生きていけばいいんだよ。
「その中でも、僕が気に入ったのはこれだよ」
そう言ってリプリーは映画のディスクを手に取った。
「これはいいね。まさに別世界を探検しているみたいだった」
確かに、リプリーはゲームをした時よりも、漫画を読んだ時よりも、映画を見ている時が一番興奮していた。隣で『面白い面白い!!』と叫ぶもんだから、全く映画に集中できなかった。
でも、この中から映画を選ぶセンスはさすがだ。かく言う俺も三度の飯より一本のB級映画が好きなのである。
「ふっふっふ。そんなに言うなら、いいとこ連れてってやるよ」
「え!?」
「映画はな、部屋でダラダラ見るのもいいけど、映画館って場所で見るのもいいんだよ。音響、大画面の映像、邪魔する音も何もないから、映画に没入できる。あの場所でしか味わえない迫力があるんだ」
俺が映画館の良さを説明するとリプリーはモジモジしながら、
「つ、勉。もし、もしね? その場所に連れてってほしいって言ったら……君はなんて言う?」
その場所──つまり映画館に連れて行ってほしいと頼み込んできた。
俺はフッと笑いながら、
「当然だ。連れてってやる」
「や、やったっーー!!」
快諾してやった。リプリーは俺のベッドで跳ねながら大はしゃぎしている。俺も少し高揚している。
自分の好きな物に興味を示されるというのはなかなかに悪くない気分だ。その相手が例え、宇宙人だとしても。それに、今まで俺は映画館に誰かと一緒に行くと言った経験があまりなかった。親と行くことはあっても、友達同士で行ったりとかはしたことない。というか、友達自体がそんなにいない。
とどのつまり、俺もこんな経験をするのは初めてで、結構嬉しいということだ。最初の相手が宇宙人になるとは思わなかったけど。
「じゃ、朝ごはん食べたら早速行くか」
「行こう行こう! 朝ご飯なんか歩きながら食べよう!」
「いや、それは行儀悪いよ……」
ひんやりと冷房の効いた薄暗い空間。前方にそびえたつ大きなスクリーン。俺はあらかじめ買っておいた席に座る。今回見る映画は字幕付きだから、少し後ろ目の方の真ん中の席にしておいた。
リプリーの分の席は買わなかった。一人で二人分の席を買ってるとなんか変な目で見られそうだし。それに今は平日の昼間だから、他の人もほとんど入ってこないだろう。
「ここで映画を見るんだね……!」
俺の隣の席に座ったりプリーがワクワクとした声色でそう言った。
「そう。雰囲気あるだろ?」
「うん。ところで、勉。その食べ物と飲み物は何だい?」
「ポップコーンとコーラ。映画を見るにはこれが欠かせないんだ」
もちろん、映画館で何を食べようと何を飲もうとマナーを違反していなければ自由だ。でも、個人的にこの組み合わせは王道かつ外せない。正直言うと僕は、この二つを一緒に食べるとおいしいと発見した人に、表彰状を送りたいくらいだ。
「へえ。メモしておくよ。『えいがを見るには、ぽっぷこーんとこおらが欠かせない』っと」
「そんなことまでメモするのか?」
「新しい知見だからね!」
「知見って」
映画のつまみをどうするか、なんて超どうでもいいことが宇宙人にとっては新しい発見レベルになるのか。面白いな。
そう、面白いのだ。まだ会って一日も経っていないけど、話していて楽しいし、リプリーはいつも新鮮な反応を見せてくれて面白い。
外国の友達がいる人はいつもこんな気分なのだろうか。だとしたら、羨ましいな。俺は心の底でそう思った。
しばらくすると、照明が落ち、辺りがさらに暗くなってきた。これはもうすぐ映画が始まる合図だ。
「こ、これは!?」
「そんな驚くなよ。もうすぐ映画が始まるんだ」
慌てふためくリプリーを宥め、俺は煌々と光るスクリーンに目をやる。
「じゃ、楽しむぞ。リプリー」
「もちろん!」
そうして、俺とリプリーは映画を堪能したのであった。
──
昼下がり。ある人は優雅なランチタイムを過ごし、ある人は汗を垂らしながら仕事に奔走する。様々な人が街を往来するその時間は、正にゴールデンタイムだ。
そんな時間にもかかわらず、俺とリプリーは家路に就いていた。会話は無い。理由は、なんとなくわかる気がする。
都市部を離れ、俺たちは住宅街に入った。次第にすれ違う人もいなくなっていく。それを好機と見たのか、リプリーは会話の口火を切った。
「ねぇ、勉」
「うん?」
「僕が言いたいこと分かってるよね?」
「いいや?」
あくまでしらを切る俺に耐えられなくなったのか、心の内に抑えていた不満が飛び出たのか、リプリーは鬱憤を晴らすかのように大声で叫んだ。
「僕たちが今回見た映画、そんなに面白くなかったくないか!?」
リプリーが言うことも一理あると思う。確かに先ほど見た映画は正直言って『微妙』、『中の下』といったような言葉が似合う何とも言えない物だった。
だが、楽しめなかったかと言われればそうではない。ぶっ飛んだ展開やスプラッタシーンが爽快で、見てて気持ちよかった。
「そう? 俺は楽しめたけど」
「本当か!? 僕はお世辞にもそんなこと言えないぞ!」
リプリーがつまらないと感じたのは、たぶん名作に慣れてしまったからだろう。僕の部屋に置いてあったのは、映画史に残るような傑作中の傑作だった。それを見た後にあの映画を見れば、つまらないと思うのも納得できる。
「あのなぁ、この星で作られてる映画の全部が全部、面白いってわけじゃないんだよ。というか面白いって言われてる映画の方が断然少ないし」
「そうなのか……」
「それにな。ああいうB級映画でも見方とか、視点とか変えればさぁ、面白いってなるんだよ」
「……そうなのかい?」
未だに懐疑的なリプリーに、「そうなの!」と俺は念を押す。
「世の中面白いものばかりじゃ駄目なんだ。つまらない物を好きな奴だっているし、つまらないものがあってこそ、面白い物が際立つ。どっちも必要不可欠なんだよ」
「無駄を愛すこと。これがこの星で重要なことなんだ」
「ほう。『無駄を愛す』か」
リプリーはメモを取り始めた。今までたくさん僕の言うことをメモしてきたけど、大切なことを言えたのは今回が初めてな気がする。
「やはり君たちには僕たちと違った考え方があるようだね。僕の星では無駄な物を極力削ぎ落とすのが主流の考え方だから」
「削ぎ落とすってどういうこと?」
「僕の星では思想や肉体の違いは不必要な争いを招くとされ、機械によって見た目を統一化させたんだ」
「ってことは……リプリーの星にはリプリーみたいな見た目の奴しかいないって事か?」
「そう。でも、そのせいで技術の発展がずっと前から進んでいないんだ。それが問題視されててね」
思想が全て同じならば、意見のぶつかり合いは起きない。でも、そのせいで技術の発展が遅れる。平和を求めた結果が、その星の停滞を促したのか。何とも皮肉な話だ。
「その結果、様々な星を巡って良いと思った所を盗もうという話になったんだ」
なるほど。それで星外学習ってことか。
「いや、いいんだけどさ。俺、そんな役に立つこと教えられてる?」
「勿論だよ! 特にこおらとぽっぷこーんの話! あれは盲点だった」
……なんだかリプリーの星の未来が不安になってきた。
「それはそうと、リプリーさ、なんか映画中にスゲー興奮してなかった?」
リプリーは映画を見る時、大体興奮している。でも、あの映画を見ている時は今までとは違うえらい興奮のしようだった。
ずっと興奮していたわけではない。日本語訳で特定の単語が出るたびに、めちゃくちゃ盛り上がっていたのだ。確かその単語は……
「ケツの穴……だったっけ」
「あれは、僕たちの星の言葉が出たからだよ。まさかここで聞けるとは思えなかったからね。確かこちらの言葉で『勇気』だったかな」
「勇気!? ケツの穴が!?」
なんてこった。リプリーの星では勇気という言葉をケツの穴と発音するらしい。想像しただけで最悪だ。頼むからそんな高潔な言葉を下品な言葉で穢さないでくれ。
「それ、俺の前で二度と言わないでくれ」
「なんで? いい言葉だろ? ケツの」
「やめろぉ!」
──
それから俺たちは映画を見まくった。面白い物も、面白くない物も、二人で見た。そして感想を言い合った。時には意見がぶつかり合うこともあったけど、数分経ったら笑っていた。
映画だけでなく遊園地にも一緒に行った。二人でジェットコースターやメリーゴーランドに乗った。リプリーは心底楽しんでいる様子だった。俺はその姿を見るのが嬉しかった。
そして、あっという間に一週間が経とうとしていた。
「あぁ~。今日も面白かったな!」
俺は自室のベッドに倒れながらリプリーにそう話しかけた。
「うん。特に最後の列車が工場に突っ込んで、そこで主人公の夢が覚めると言うオチは最高だったよ!」
「あれな! マジで意味わかんなくて最高だったわ」
今日は、というより今日もリプリーと映画を見に行った。何本も見たが、その中でも特によかったのは『列車と逃避行』というタイトルのコメディ映画だった。リプリーの反応を見るにどうやらリプリーも同意見らしい。
「そういやさ、もう明日の夕方で一週間だよな」
「うん! 明日の18時35分25秒できっかり一週間だよ」
てことは、あと一日ちょっとしか残ってないって事か。
「よし。じゃあ、その時間までなんかするか」
俺は部屋に散らばった映画を漁り始める。この部屋にはたくさん映画があるし、俺もまだまだリプリーに見せたい映画がたくさんある。
あと一日しか残っていないんだ。だったらリプリーが大好きな映画をたくさん見て、それでお別れしたい。
「ねえ、勉」
「ん?」
リプリーの呼び声に思わず俺は振り返った。その時、俺は何か神妙な雰囲気を感じ取った。いつものおちゃらけているリプリーの声色とは違う、どこか真面目な、何か訴えかけるような声だ。
「一つ、聞いてもいいかな?」
「何?」
「僕はずっと不思議に思っていたことがあってね。この星では君のような未成年者は、ガッコウと呼ばれる教育機関に通うと聞いたことがあるんだ。でも、君はそこへ行くような素振りすらない」
「……」
「加えて、君の部屋にかけられている
リプリーは部屋の隅にある物を指さす。本来あるはずのしわもあまり無く、ずっと使っていないせいか、少し埃で汚れている。でも、いつか使う時があるかもしれない。そう母に言われ、一応大切に保管してきた
俺の学校の制服だ。
「その服と同じ服を着た人を、街中で見たんだ。その人は君と同じような年齢だった。恐らくガッコウに通っているのだろう。でも君はこの数日間、それを触ろうとも、見ようともしなかった」
「もうそんなのいいよ。質問ってなんだよ」
「すまないね。前提が長くなってしまった」
そう言いながらリプリーは優しく微笑む。その一方で俺は、笑うことはおろか、リプリーの顔を見ることも出来なかった。
そしてとうとう、質問が投げかけられる。
「君は、この星で言うガッコウへ行く権利を持っているにもかかわらず、その場所へ行かない。いわゆるフトウコウと呼ばれる部類の者なのかい?」
「……なんだ。感づいてたのか」
俺はベッドに腰かけた。
「そうだよ。俺は学校に行けてない」
「理由を聞いても?」
「理由なんて簡単だよ。クラスの奴らからいじめられたんだ。それで何もかも嫌になって、学校に行かなくなっただけだ」
小学生までの俺は、クラスの中心で目立つというわけでもなく、勉強がめちゃくちゃできるというわけでもなく、ただただ普通の奴だった。
先生からの評価も恐らく可もなく不可もなくという感じで、友達の数もクラスの中心人物と比較すれば雲泥の差だ。でも、少ないけど友達もいたし、何よりあそこには居場所があった。
中学生になってもそんな取り留めのない生活が続くと思ってたんだ。
ある日のことだ。『生意気な目だ』とヤンキーぶった奴に因縁を付けられ、そこからいじめが始まった。暴力、金のせびり、服も脱がされたことだってある。
そんな俺の姿を見て、小学校からの友達はすぐに俺から離れていった。理由なんて簡単に想像がつく。
あいつと同じ目に遭いたくない。
俺だって友達がそういう目に遭っていたとしても、助けに行けるかは分からない。後先考えずにそういうことが出来るのは、映画の主人公だけだ。
でも、あの時の俺はそういう風に達観した目で見れなかった。顔を殴られ、胸ぐらを掴まれ、尚も榊原勉を無いものとして扱う彼らに、俺は思ったんだ。
裏切られた。
そこから、常に人を疑うようになるには早かった。優しくされても、親切にされても、心の中でどこか人を疑う俺がいた。
そうなってしまうと、どうしても不満が表情に出てしまう。他人に不躾な態度をとってしまう。そうして、自分の周りから人がどんどんいなくなっていって、そしてとうとう、いじめっ子くらいしか俺に近づくやつはいなくなった。
罵られ、踏みにじられ、コケにされる毎日。そんな日々が数か月続いた。
そして、ある日の朝に思ったのだ。
学校に行きたくないと。
「これが質問の答えだよ。リプリー」
「……」
俺の話を黙って聞いていたリプリーは、どこか悲しげな表情を浮かべた。たった一週間、過ごしただけの俺に同情してくれている。
その事実が嬉しくて、嬉しくて。俺の目頭は自然と熱くなった。
「そんな顔すんなって。俺はもう気にしてないし、もう学校に行く気はないから」
泣きそうなのをリプリーに気付かれたくなくて、俺は無理矢理顔を笑わせる。もう大丈夫だと、心配はいらないと、彼に伝えたかった。
「……そうか」
リプリーは静かにそう言った。
「さ! しんみりした空気はここで終わり。ゲームすんぞ!」
重たくなった空気を、俺は手をバシッと叩いて消し飛ばす。こんな状態でゲームしても絶対楽しめるわけがない。せっかく最後の日なのだから、リプリーと思う存分遊びたい。
俺は再びゲームを探し出そうとした。その時だった。
「勉、学校に行こう」
「……え?」
リプリーはいつもと変わらない笑顔で、それでも何か覚悟を決めたような顔で、俺にそう言った。
「いつでもいい。君が行きたい時でいい。出来れば僕がまだいる明日がいいけど」
「……え」
先ほどの話を聞いていなかったのだろうか。あそこには僕が望む居場所はない。行っても地獄が待つだけの場所に何故行かなくてはならないんだ。
「いや、さっきも言ったろ? 俺はもう学校いいんだって。別に行きたいわけじゃないし、それに今は学校行かなくたって勉強しようと思えばできるしさ」
「確かに僕もそう思う。本当に学校に行きたくない人なら、行かなくてもいいと思うよ」
俺はリプリーの言葉に違和感を覚えた。その言い方。それじゃ俺がまるで、
「学校に行きたいと思っているみたいじゃないか」
「そうだ。君は本当はこの生活にうんざりしているんだろ?」
「……それはお前の勘違いだ。第一、根拠はあんのかよ」
「ない。ただの勘だよ」
はっきりと勘と言い張るリプリーに、俺は口を噤む。
勘だなんて馬鹿馬鹿しい。全くもって馬鹿馬鹿しい。俺は自分の意思でこの選択を選んだんだ。誰かにそれを咎められる筋合いなんてないはずだ。
大体、こいつはたった一週間映画を見ただけの関係だ。友達でも何でもない。明日にはこいつはいなくなり、俺にはいつもの日常が戻って来る。
ただ、俺はこのまま拒絶し続ければいい。それだけで何も答えずに済むのだ。
「だから俺は──」
再度リプリーに拒絶の意思を示そうと、彼の顔を見た瞬間だった。
いつの間にか、リプリーは長い前髪をかき上げていた。不意に現れた美男子のような顔立ちには目もくれず、俺の視線はある一点に集中していた。
こちらを見る、白い瞳。髪や腕といったほかの体の色と何ら変わらない、白い瞳。
けれども何もかも包み込み、まるですべてを受け入れてくれるような優しい瞳。
ここまでかかってようやく理解したのだ。
リプリーは今、榊原勉を見ているのだと。
「……っ」
彼の真っすぐな視線に当てられ、ついに心の奥に閉ざしていた本音が吐露した。
「……行きたい」
「俺だってなあ! 学校に行きたいよ! 行きたいに決まってんだろうが!!」
ずっとずっと誰にも打ち明けられなかった本音。担任の先生にも、母にも、ずっと言う気など無かった本音。
「なんで俺なんだ! なんで俺なんだよ! 何にもしてないのに! なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!!」
怖くて言えなかった、こんな簡単な拒否すら言えない臆病な自分を呪った、あの日の本音。
「俺を殴ったあいつらはクソだ! それを見て見ぬふりしてるやつもクソだ! そうやって何もしないで他人を憎み続ける俺もクソだ!!」
止めどなく、止めどなく、溢れ出ていく。心という名のコップの中に入った、本音という名の水を部屋中にこぼし続ける。
自分を含んだ、自分を押さえつける物への恨みの文言。それはもはや留まることを知らない。
「終わったかい?」
リプリーの暖かい声がしてようやく気付く。部屋の時計を見るに、俺は一時間も叫び続けていたようだ。
ずっと大声を出し続けていたせいか、喉に激痛が走っている。頭も熱くなり、沸騰しているのではないかと感じるくらいだ。
「君の本音が聞けて良かった。スッキリしただろう?」
「ああ……楽に……なったよ」
まだ冷めやらぬ頭を無理やり回転させ、リプリーに感謝の意を伝えた。
「そこまで思っておいて、なぜ学校に行かないんだい?」
俺が話した本音。それを聞いたリプリーにとって、その質問は至極当然の物だ。極論、学校に行きたいならば学校に行けばよい。
だが、俺には明確な理由がある。俺はその感情を知っている。
「そんなの決まってんだろ。……怖いからだよ」
榊原勉の欲求を押さえていた最大の要因。それは『恐怖』であった。暴力を振るわれ、心無い言葉で傷つけられる。それを奇異な物、面白い物として見る周囲の目。
あの場所、学校には榊原勉が恐ろしいと思うものが詰まっている。そんな場所に自ら赴くなど正気の沙汰ではない。
「俺はさ、『君の人生の主人公は君だ』っていう言葉、吐き気がするくらい嫌いだよ。だったらなんで周りの奴らは俺を傷つけるんだって思う。モブならモブで黙って
映画の中ではたとえ言い争いはあれど、脇役は必ず主人公の言うことを聞く。
しかし、榊原勉の人生という映画はそうではない。主人公を痛めつけ、蔑み、ただただ誰も見えない影へ排除しようとする。
ならばきっと、俺の人生の主役は俺ではないのだろう。
「たぶん、主人公ってのは平気で誰かを傷つけられる奴なんだろうな。そうじゃなきゃ悪役を倒すことなんかできない」
「それは違う」
俺の言葉を、リプリーは真正面から否定した。
「僕は君と色々な映画を見た。面白い物もあれば、感動する物もあったし、くだらない物もあった。でもその中で、所謂主人公となっている人物にはある共通点があったんだ」
「一歩を踏み出したんだ。
「きっと、停滞した状況から何かを変えようと一歩を踏み出した者、それを主人公と呼ぶのではないかな」
「一歩を踏み出した者……」
一歩を踏み出す。
この言葉が妙に俺の中でしっくり来た。
「きっとそれを出来た者はみんな主人公になれるんだと思うよ」
一歩を踏み出した者が主人公になれる。それがリプリーが出した答えだ。人間よりも遥かに頭がいい宇宙人が出した答えだ。
ならば、俺の願望も叶うのだろうか。
ならば、俺も。
「なあ」
「ん?」
「俺も、主人公になれるかな」
「うん。きっとね」
リプリーは優しい笑みを浮かべた。
──
「はぁ、痛ってぇ」
夕暮れ時の公園。遊具で遊ぶ園児や小学生も帰宅し、静かになったその場所は一人で黄昏るには絶好の場所である。
本来ならばいつものように夕日を眺めているのだが、今日はそうにもいかない。なんせ隣に真っ白で愉快な奴がいるからだ。
「酷い顔だね。勉」
真っ赤に腫れた俺の顔を見て、リプリーはそう言う。
なぜこうなったかと問われれば、まあ簡単な話、逆らってやったのだ。久々に学校に来た俺を搾取しようとしたいじめっ子に。
当然そんなことをすれば、暴力を振るわれる。だからこっちも殴り返してやった。その後は互いの拳の応酬だ。
おかげで学校から四日間の停学処分を食らった。学校に復帰した初日にまた学校に来るなと言われたなんて、馬鹿な話だ。もしかしたら日本で俺が初めてかもしれない。
でも、全く後悔なんてしていない。それどころか清々しい気分だ。顔の傷がめっちゃ痛いのはちょっと嫌だけど。
「平気だ」
「そう? それにしてもよく頑張ったね」
「お前のおかげだよ。リプリー」
きっとリプリーがいなければ、俺はずっと部屋に閉じこもっていただろう。自分の本音を心の奥に閉じ込めてしまっていただろう。
全部、全部、リプリーのおかげだ。
「君は僕に映画という贈り物をくれた。だから僕も君に贈り物をしたかっただけさ」
「……そっか」
そんな恩を感じなくたっていいのに。あの時の俺はただ、映画を見る相手が欲しかっただけなんだから。
「あぁぁ、喉が痛い。ちょっと学校で叫びすぎたかな」
「叫んだ? 何をだい?」
「あいつらに向かってく時さ、『ケツの穴ァァァァ』って叫んでやったんだ」
「それは何故だい?」
「……お前本気で言ってんのか? 教えてくれたのはリプリーだろ」
「何の……ああ」
リプリーは思い出したかのようにポンと手を打った。その後、ふふっと微笑む。
「後が心配だね」
「まあ大丈夫だ。なんとかなる」
先のことなんて何にもわからない。でも、なんとなく大丈夫な気がした。
きっと乗り越えられるだろう。今日みたいに、一歩踏み出せる少しの勇気があれば。
「勉。もう時間だ」
夕日が沈む、と同時にリプリーの体が光り出した。
「リプリー! 俺……」
まだこの星にいてほしい、なんて言葉は言えなかった。そんな我儘は言えなかった。
これは俺が何をしようと変えられない運命。きっとこれは映画の終盤で、もうすぐエンディングロールが流れるところなのだ。
「勉」
リプリーもそれに気づいている。だから、
「……!」
そっと彼は手を差し出した。
俺も溢れそうになる涙をぐっとこらえて、自分の手を差し出す。
そして初めて、リプリーの手を握った。
初めて握ったリプリーの手は明らかに人間の物ではない肌触りだった。
それでも暖かくて、暖かくて。彼も血の通った生物なのだと、この身で感じられた。
「勉。君と出会えてよかった」
その瞬間、リプリーは眩い極光に包まれた。
「う……」
光でくらんだ目をごしごしして、俺は辺りを見回す。
そこには、もうリプリーの姿は無かった。
「リプリー……」
俺は夜空を見上げる。様々な星たちが夜空に広がっている。いつも見ている光景なのに、この瞬間だけはとても、とても綺麗に見えた。
俺は星の一つに手を伸ばす。その星がリプリーの星なのかどうかはわからない。でも、リプリーの星の光がいつか届くように、俺の星の光もいつかリプリーの星にきっと届く。何万年かかろうが、何億年かかろうが、きっと届く。
「ありがとう。リプリー」
その言葉に、誰も返事はしてくれない。
それでも、この言葉にまるで返事をするかのように。
夜空に散らばる星たちは煌々と、煌々と光り輝いていた。
スタンドバイミーエイリアン キジトラ @yamadasyou
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