玻璃と彩

ナナシマイ

毒キノコのほうも嬉しいらしい

 旅人として訪れていたロトビ村に住むようになったきっかけは、父さんの死だ。

 流行り病だった。村の人たちもたくさん死んでしまって、悲しみに暮れたわたしたちの、けれども視界だけが賑やかだった、あの日。

 奇妙な色彩感覚を持つロトビ村の住人になることを、わたしは決めた。

 わたしを抱きしめる腕も、振り乱した髪も、泣きじゃくるその顔も。大人も子供もみんな、もとの色がわからないくらい、村人たちは身体のあちこちがさまざまな色に染まっている。

 空の色に果実の色。鉱石や花、それから、心の色。

 赤や青といった言葉では足りない色を使い、言葉以上の意思を伝えあうのが彼らの風習だ。そして、家族や親しい人のあいだで大事な日や心が大きく動くことがあったときには、その気持ちを分かちあうため身体にも色を写す。

 葬儀の日。色とりどりな風習を身に残す死者たちのなか、父さんの褪せた遺体がぽつんと目立っていた。どこかの国で見た、棺いっぱいに詰まった別れ花の中で眠るようにも見えた。それくらい鮮やかだった。ほんとうは、父さんだけが死んでしまったんじゃないかと錯覚するくらいに。

 そんなときだ。村人の一人が、流れ続けるわたしの涙の色を玻璃に写して持たせてきたのは。村人はわたしに、玻璃を父さんの額に押しつけるよう促した。

 日に焼けた浅黒い皮膚が、そこだけ明るい涙色に染まる。

 まるで父さんがロトビ村の人になったみたい。

 わたしはなんだか、この村から離れてはいけないような気がしたのだ。


       *


 自分のことは自分でできるからと、わたしは川沿いの小さな小屋に一人で住むことにした。

 森と洞窟が入り混じる神秘的なこの村で、ご近所さんの家畜の世話を手伝いながら、生活のしかたを教わる。

 彼らはあまり言葉を使わない。森の端でこんな色の風が吹いていたから、明日は雨だ。こんな色の生き物がいた、きっと美味しいだろう、狩りを手伝ってくれないか。そういうことを、玻璃に写した色でもって伝えてくる。見たまま、感じたままの色だから、わたしにもなんとなく理解できた。

 とくにわたしと同年代の姉弟がいる家族はとても親切だ。ヒイナちゃんとタトくんはよくわたしを連れて洞窟へ行き、ロトビ村の特産品である鉱石の採りかたを教えてくれた。

 なかでも、色を写しとることのできる玻璃は、特別だ。父さんといっしょにこの村へやってきた理由でもあったし、今では大事な収入源となっている。

 色にかざせば、玻璃に写る。

 初めて自分で写したのは、毒キノコの色だ。収穫しようと手を伸ばしたら、慌てて二人にとめられたけれど、美しいまだら模様を諦めきれなくて。

 触らないならと色を写した玻璃はやっぱり綺麗で、とっておきの宝物だ。

 ヒイナちゃんはなんだかんだで面白がる心の色を見せてきたし、タトくんは、記念の色はあとから思い返せるように取っておくといいよと新しい玻璃をくれた。

 そうやって、家の棚にはどんどん玻璃が増えていく。

 もとは旅人のわたしだ。まだ心の色は写せないけれど、森で見つけた花や、木漏れ日に照らされた鉱石のきらめきを誰かと共有できるのは、楽しい。


 それから少しして、ヒイナちゃんが赤ちゃんを産んだ。

 もちろんとっても可愛いけれど、びっくりしたのは、ロトビ村の人たちは本来、髪も肌も真っ白だということ。

 彼らの先祖はその色彩を気味悪がられ、迫害の対象となった時代もあったという。身体中を奇抜に染めるのは、少しでも強く見せるためでもあったのだとか。

 ヒイナちゃんとその旦那さんは、赤ちゃんの誕生を喜び祝う心の色を、赤ちゃんの額に写した。心を玻璃に写すのも、玻璃から額に写すのも、大事に大事に、やっていた。

 身体に色を写すのが家族やとくべつ親しい人に限られるのは、大事なものを迫害の目から守ろうと奮闘してきた時代の名残り。大事なものを、目に見えるかたちで大事にすること。そうして色を写し、命を繋いできたのだろう。

 そんなことを考えていたら、途端に寂しさがこみあげてきた。

 父さんも、そしてずっと昔にいなくなってしまった母さんも、誕生日にはたくさんお祝いをしてくれた。きっと生まれたその日だって、すごく喜んだんだろうなって、わかっている。

 けれどもわたしの額には、その証がない。

 赤ちゃんが生まれたお祝いの場なのにいけない――そう思って軽くうつむいていると、いつのまにかいなくなり、そして急いで戻ってきたらしいタトくんに肩を叩かれた。

 息を乱した彼の手には玻璃。写っているのは、別れ花を思わせる彩りと、涙の色だ。

 言われなくてもわかる、あの日の色を、タトくんはわたしの額に写してもいいかと聞いてきた。

 知らずわたしは頷いていて、気づけば額にはひんやりとした玻璃を当てられていて。

 ロトビ村の住人としてのわたしが始まった日。それがわたしの、誕生の証。

 わたしの心の中に、タトくんに対する淡い色が生まれたのは、たぶん、このときだったと思う。


 タトくんはよく、わたしの髪に色を写したがる。

 濃い茶髪は色を写しにくくて、何回も当てなければいけない。それにたまに、茶色と混ざって変な色になることがある。だけど彼にはそういう不便が楽しいらしい。楽しそうなタトくんを見ていると、わたしも楽しい。

 額だけに玻璃から写した色を持っていたはずのわたしが少しずつ染められていって、村の人たちがわたしを見る目も変わってくる。

 それはロトビ村の住人と認めてくれたという理由もあるだろうけれど、もっと重要な意味があるんだということを、わたしはちゃんと知っていた。ヒイナちゃんなんて、赤ちゃんをあやしながら、にやにやとこっちを見てくるし。

 わたしも、タトくんに色を写してもいいのかな。

 彼が、家へご飯を食べに来た夜、わたしは少し悩んでから、棚に飾った玻璃のひとつを取り出した。

 タトくんの手を取って、裏返した手のひらに、玻璃を押しつける。

 髪や頬は選べなかった。すでにたくさん染まっている彼に今さら色が増えたところで、誰も気にしないだろうけれど。ちょっぴりばかり恥ずかしくて。

 押しつけてから、タトくんの手のひらが思いのほか真っ白なことに気づいた。手の甲は家族からの色でいっぱいなのに、なんてことだろう。

 鮮やかに色づいた美しいまだら模様と、タトくんの瞳のあいだを、わたしの目はいったりきたり。なにも言わない、色も見せてくれない彼はいっしゅん、泣きそうな顔をして、それからぎゅっとわたしを抱きしめた。


 裸になったわたしのあちこちに、タトくんが玻璃を当ててくる。

 胸に、腹に、背中の見えない場所や、わたしたちが繋がるところにまで。

 玻璃はひんやり冷たくて、触れられるたびに声をあげてしまう。そうするとタトくんは喉の奥で小さく笑って、その色の艶やかさに今度は息が詰まる。

 わたしを染めるのは、タトくんの心の色だ。

 可愛い。好きだよ。大事にする。

 そんな言葉よりもずっと、わかりやすい色。

 はじめは、心の色をさらけだすのは恥ずかしいとさえ思っていた。けれど、こんなふうにわたしを想う色を知ってしまえば、そうも言っていられない。

 最近彼が玻璃をたくさん採っていたのは、こういうことだったのか。

 重なりながら、何度もなんども、色を写しあって。

 真っ赤になったわたしの肌の色を、タトくんが玻璃に写しとっていたと知ったのは、翌朝のことだ。


 新しい生命が宿ったことがわかると、タトくんはわたしが働かないよう目を光らせ、代わりに、ゆっくりと散歩をする時間を作るようになった。

 ロトビ村にはとっくに慣れたわたしだけれど、知らない場所はまだたくさんある。そういうところを、彼は案内してくれる。

 そこは、木が洞窟を突き破ったのか、それとも洞窟が木を包んだのかわからない、とにかく不思議な空間だった。傾きかけた日が差してきて、割れた玻璃や、花びらを抱えた琥珀に透ける。

 これは写しておかなくちゃ。そう思って玻璃を取り出した手は、タトくんに掴まれた。

 二人で見た景色だから、心の中だけに残しておきたい。そう言った彼は、掴んだわたしの手のひらに心の色を写してきた。

 家族が増えることへの期待と、美しい景色を一緒に見られた喜びと。

 この色を離さないでという願いをこめて、人は手のひらに色を写すのだという。そんなこと知らなかったと目を剥けば、タトくんはおかしそうに笑いながら、じゃあ今の気持ちをどうぞと、毒キノコ色に染まっていないほうの手を差し出してきた。

 幸せいっぱいを玻璃に写す。そして、ちゃんと伝わりますようにと祈りながら、玻璃を手のひらに触れさせる。

 またひとつ色づいたタトくんが、しみじみと両の手を握った。

 わたしも、タトくんに染められたほうの手を額に――父さんを思って泣いたあの日の色に、触れる。

 それから、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんのことを考えながら、お腹に触れる。

 たぶん、繋がっている。

 わたしも、タトくんの心の色をずっと離さないでいたいのだ。

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