お嬢様の嫉妬に触れて

平 遊

〜それって、もしかして〜

 夜明光留よあけみつるは私立の高校に通っている一年だ。自分ではごく普通の目立たない、可もなく不可もない生徒だと思っている。

 けれどもつい先日、ひょんなことから、同じ高校の二年生の、朝陽華恋あさひかれん下僕しもべとなった。

 華恋は光留の通う高校の理事長の姪で、理事長は姪である華恋を殊の外可愛がっているとのこと。頭脳も美貌も学内一と評判の華恋は、その容姿に見合う高飛車な性格で、華恋を少しでも傷つけた生徒はなんのかんのと理由を付けては退学させられている、との噂。

 そしてそれはもしかしたら、我が身にも降り掛かってくるのかもしれない、と光留は思い始めていた。だが同時に、華恋への恋心も自覚してしまったのだった。



「あっ、下僕君しもべくん!」


 お昼休み。

 購買部からの帰り道に声を掛けてきたのは、華恋とよく一緒にいる日中愛美ひなかめぐみだ。華恋の周りでは光留は『下僕君』という呼び名で定着しているらしい。光留自身もそれを受け入れている。なぜなら、華恋が他の人に光留の名前を呼ばれることを快く思っていないようだからだ。そして、コッソリその事を教えてくれたのが、この日中だった。


「日中先輩、こんにちは……って、どうしたんですかそれっ!?」


 見れば、日中は三角巾で左腕を首から吊っている。そして、空いた右手で財布とパン2つを器用に持っていた。


「あー、これね。ちょっと転んだ時に変にひねっちゃったみたいで……あっ」


 話している途中で、日中の右手からポロリとパンが転げ落ちる。光留は慌てて駆け寄ると、落ちたパンを拾い上げた。


「ありがとう、下僕君」

「教室戻りますか?」

「えっ?うん、戻るけど」

「持って行きますよ」


 そう言って、光留は日中のパンを持ったまま、二年生の日中の教室へと向かった。そこはすなわち、華恋の教室でもある。


「華恋とは、うまくいってる?」

「どうでしょうか。俺、華恋さんの下僕ですから」

「まぁ、形式的にはね」


 日中は小さく吹き出す。


「素直なのか素直じゃないのか。そこがまた、華恋の可愛いところなんだけど」

「ですね」

「あー、下僕君、下僕のくせにそんなこと言っちゃっていいのー?」

「えっ、アウトですかっ!?じゃあ今のは華恋さんには言わないでくださいっ!」

「ふふっ」

「俺最近、理事長にも目を付けられてるみたいで、ヤバいんですよ、ほんとに」

「あら、それは大変」


 言葉とは裏腹に、日中は可笑しそうに声を上げて笑う。


「笑い事じゃ無いんですって……」

「まぁまぁ、ドンマイ下僕君」


 はぁ、とため息を吐く光留の肩を、日中が右手に持った財布でペシペシと叩く。


 そして、教室の手前で日中は足を止めた。


「ここでいいわ、下僕君。ありがとう」

「えっ?いいですよ、教室まで」

「華恋に見られたら、大変よ?」

「え?」


 キョトンとする光留の手から右手でパンを受け取ると、日中は意味ありげに笑い、光留に顔を寄せて小声で囁く。


「なんか、華恋が下僕君に執着するの、分かる気がするなぁ」

「えっ?」


 驚く光留に、再び日中は可笑しそうに笑い声を上げた。


「なんて、ね。華恋のご機嫌を損ねたくなかったら、この事は華恋には言っちゃダメ。絶対に内緒よ。ああ見えて華恋は意外と……ふふふっ」

「……はぁ?」


 じゃあね、と日中は教室の中へ入って行く。その姿を見送った光留は、自分の教室へ戻ろうとくるりと体を反転させ……


「あなたは、誰の下僕だったかしら?」


 不機嫌さ全開の華恋の姿を目にしたのだった。



「ちょっ、華恋さん!どこに」

「いいから来なさい」


 光留の手を掴み、華恋は教室からどんどん遠ざかる。やがて辿り着いたのは、校舎の屋上。


「どうしたんですか、華恋さん」


 日頃から華恋は光留にあれやこれやと可愛らしい命令をするものの、強引に光留を連れ回すようなことはした事がない。

 驚く光留の手を掴んだまま、華恋は俯いて言った。


「わたくし、胸がとってもモヤモヤするの。愛美と光留が一緒に仲良くしているのを見てから。……いったい、どうしたのかしら?」


 それって、もしかして……!?


 華恋の言葉に光留の胸は静かに高鳴り始めたのだが


「そうだわ。わたくしきっと、あなたに嫉妬しているのね。あなたに愛美を取られてしまうのではないかって」


 そっちかーいっ!


 華恋の言葉に、思わずコントのようにコケそうになる。


「だってそうでしょう?愛美が困っていたら、助けるのは親友であるわたくしであるはずなのに、わたくしの下僕であるあなたが先に助けてしまうなんて」

「……なんか、ごめんなさい」


 あまりに真剣な華恋の眼差しに、光留は思わず謝罪の言葉を口にしてしまった。こうなると本当に自分が悪いような気さえしてきてしまう。


「光留。もう、愛美とあまり親しげにしないで。わたくしまた、モヤモヤしてしまいそうだから」

「はい、わかりました」


 光留は即答したのだが、ゆっくりと光留の手を離した華恋は、まだ浮かない顔をしている。


「俺が信じられませんか?」

「そんなことはないわ。でも、なぜかしら?なんだかまだモヤモヤが晴れなくて」

「俺は何をすれば?」

「そうね……」


 一度離した光留の手を、両手で掴んで弄りながら暫く考えていた華恋が、ふと顔を上げる。


「光留。わたくしを抱きしめなさい」

「はっ?」

「抱きしめなさい、今ここで」

「……はい」


 言われるままに、光留は華恋を抱きしめた。光留より少し背の低い華恋は、光留の腕の中にすっぽりと収まる。


「わたくし……わたくし、本当は……」


 腕の中から聞こえる華恋の声は、消え入りそうにか細い。


 やっぱり華恋さん、本当は……


「いいですよ、華恋さん。何も言わないで」

「わたくしの言葉を最後まで聞こうとしないなんて、相変わらず生意気な下僕ね」

「はい」

「でも」


 華恋の腕が光留の背に回され、光留を優しく抱きしめる。


「わたくしはあなたを離さないわ」

「はい」


 光留は華恋の体に回した腕に力を入れ、耳元で囁いた。


「俺のこと、ください」


 可愛いなぁ、華恋さん。


 華恋の温もりを感じながら、心の底からの想いに、光留は頬を緩めたのだった。



「いい雰囲気のところ悪いのだが」


 よく響く低めの声に、光留は慌てて華恋の体を離して姿勢を正す。

 聞き覚えのあるこの声は……


「伯父さまっ!?」


 いつの間にか、すぐそばに理事長が立っていた。光留の背中に冷たい汗が伝い落ちる。


 見られてたっ!?どこからっ!?いつからっ!?


 緊張を漲らせる光留をよそに、華恋は恥ずかしそうに頬を染めて理事長の腕をペシペシと軽く叩く。


「いやだわもう、伯父さまったら。いつからそこにいらしたの?」

「ついさっきだよ。ところで華恋、彼は華恋の下僕ではないのかな?」

「下僕よ?」

「とても主人と下僕の関係ではないように見えたが?」

「いやだわ、伯父さまったら……」


 照れる華恋にため息を吐きながら、理事長が光留に目を向ける。


「わたしは先日キミに言ったはずだよ?もし、キミに華恋の下僕が務まらないようなら」

「大丈夫ですっ!これからも頑張ります!」


 だから退学は勘弁してくださいっ!


 心の中で叫びながら、光留は理事長に向かって深く腰を折り頭を下げる。


「伯父さま。さっきはわたくしが光留に命じたのよ、わたくしを抱きしめるようにって。光留はわたくしのために頑張ってくれているわ。これまでも……これからも」


 まだ頬を染めたまま、華恋は光留の腕を取る。


「ちょっ、華恋さん!今は」

「あら、なにか問題でもあるかしら?」

「問題ならあるぞ。もうじき昼休みが終わる」


 理事長の言葉に、華恋と光留は顔を見合わせる。


「たいへんっ、戻らないと!行くわよ、光留!伯父さま、またね!」

「では、失礼しますっ!」


 そして、二人連れ立って屋上から校舎の中へと駆け戻って行った。


「健気なことだねぇ、夜明光留よあけみつる君」


 ひとり残された理事長は、そんな二人の背中を見送っていたが。


「それにしても、なぜそこまで下僕に拘るのだろうか?いい加減、恋人と認めれば良いものを……まぁ、本人がああ言っていることだし、まだこれはおこうか」


 そう呟き、小さく笑った。


【終】

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