【KAC20245】離さないでって言ったのに!!

のっとん

1

「だから!離さないでって言ったのに!!」


 妻の怒声が響き渡る。

 高かったけどこのホテルにして良かった。ここなら隣の迷惑にもならないだろう。なんて考えてしまう僕は最低だ。


 息子が行方不明になった。


 僕が手を離した一瞬の出来事だった。

 僕の指の間から、その小さな体がすり抜けて、波の層があっという間に隠してしまった。僕はただ茫然と見つめることしかできなかった。


「ごめん。」


 覇気のない謝罪は、妻の信じられない!という叫び声にかき消された。

 からくり時計が鳴っている。この状況に似つかわしくない陽気な音楽だ。もう2時間もこうしているのかと少しうんざりしてしまう自分に嫌気がさす。

 妻の言葉より視界に入る真新しい水中眼鏡の方が、僕の罪悪感を増長させた。



「ね!広いところで泳がせてあげようよ。」


 息子は泳ぐことが好きだったと思う。

 家の風呂でも楽しそうだったし、夏には子ども用プールを目一杯使って泳いでいた。

 だからテレビで琵琶湖特集を見たとき、つい言っちゃったんだ。こんな広いところで泳げたら楽しいだろうね、って。


 まさか、君が乗り気になるだなんて思ってもみなかった。


 あの時の僕たちは異常だったんだ。

 変なテンションだったんだよ。


 紹介されていたホテルにそのまま電話したよね。

 君の質問に受付の人も戸惑っていたよね。あの時、僕たちはもっと冷静になるべきだったんだよ。


 金ちゃんは金魚なんだ。


 あのお祭りで出会ってから5年。日々大きくなっていく金ちゃんに、僕だって愛情を感じないわけじゃない。僕たちの息子だと思っているさ。

 たしかに、金ちゃんは他の子より大きいよ。でも僕の手の中に入るサイズだ。金ちゃんに琵琶湖は大きすぎたんだよ。


 僕もバカだったよ。

 水中眼鏡の中じゃ泳いだとは言えないなんて思っちゃって。手に乗せようだなんて提案して。後悔している。


 でもさ、どうしても忘れられないんだよ。

 駆けつけた警察官、こう言ったんだよ?


「え?放流したんですか?」

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