【KAC20245】手つなぎ鬼(BL)

雪うさこ

気味の悪い子


 仕事を持ち帰るのは好きではない。機密情報とまではいかなくても、公務員とは情報の管理にうるさいものだ。けれど、おれの決裁がないと、みんなが困る。これは致し方がない、やむを得ない事由——。


 自分のしていることを正当化しようと、色々と理由を付けながら、リビングで書類を精査する。どうせ実篤はまだ帰ってこない。今日は後援会の会合があると言っていたから。


 実篤は叔父さんの私設秘書をしている。叔父さんはおれの組織の頭に座る市長だ。今時、市長で私設秘書を雇うほど余裕がある者はいない。けれど、そうなると実篤は無職になってしまう。これは叔父さんの優しさ。叔父さんは可愛い甥っ子のために、仕事を作ってくれているのだ。


 昔からそう。実篤はみんなに可愛がられる。一日違いで、同じ病院で生まれたけれど、おれたちは全く違う人生を歩んでいる。


 槇実篤。彼は、少々……いや、結構なお馬鹿さんで、勉強もできなければ、運動もできない。いいところがまるでないくせに、周囲に持ち上げられて、一人前に職に就いている。


 一方のおれ。野原せつ。人付き合いがとっても下手で、まず人の気持ちがよくわからないという欠陥がある人間——だとおれは、おれ自身をそう分析しているわけだが。


 書類を置いて、時計に視線を遣る。もうそろそろ深夜の0時。叔父さんの後援会のメンバーたちは実篤が好き。会合なんて銘打ってはいるけれど、結局はなんの意味もない飲み会だ。最終的にはネクタイを頭に巻いたり、肩を組んで千鳥足で大騒ぎをしたりして帰ってくるだけ。翌朝になると、なんの話をしていたかなんて、忘れてしまうのだ。


 ——実篤は昔からみんなに好かれてた。


 小学校の低学年の頃。体育の時間。手つなぎ鬼という遊びをした。アリーナいっぱい使って、クラスの子たちで。実篤はいつもみんなの中心だった。けれど。鬼になった同級生は、誰もおれには触れなかった。


せつくんと手を繋いだら、目の色が変になる病気が移る」


 生まれつき。目の色が日本人とは違っていた。そのおかげで、小さい頃から気味が悪い子だと言われた。病気ではないのに。子どもとは残酷な生き物だ。人は自分の意にそぐわないことを受け入れない。人は自分が理解できないことに恐れを抱く。そう。おれはみんなとは違う。だから、仲間にはなり得ない。そう思っていたんだ。


 けれど。実篤だけは違った。


「雪、捕まえた~!」


 ぼけっと突っ立っているおれに、実篤は笑顔で体当たりをしてきた。よろよろと態勢を崩したおれの手を。実篤はいとも簡単に握る。みんなが「気味が悪い」と噂しているというのに。おかまいなし。あの頃から、実篤の頭のネジは外れていたんだろうな。きっと。日本人の集団の心理をよく理解していない男。


 日本人は村社会。集団に溶け込まないと生きていけない。人はひとりぼっちでは生きていけないから。仲間から見放されたら、大変なことになるというのに。


 実篤はいつも。そう。たくさんの人より、おれを優先してくれる。


「おい。雪」


 耳元で実篤の声が響いて驚いた。目を開いてみると、頭にネクタイを巻いて、ほっぺを真っ赤にした実篤の顔が見えた。


「こんなところで寝て。風邪引くだろう。お前。そして、また。仕事持ち帰ってきて。まったく。こんなん、なんでもいいから、ぺっぺとハンコおして回せばいいのに。律儀に全部目を通しているのかよ」


 目をこすってみる。ああ、そう。眠っちゃったんだ。だから昔のことを考えていた。考えていた? いや。夢かもしれない。


 時計の針は深夜の1時前。実篤はおれの書類を眺めて文句ばかり言っていた。そばには餃子の包みが置かれている。お土産?


「クソ。なんだよ。この長い企画書は。お前よく読むな。こんなん」


「こんなん? だって」


 ——確かに長いかも知れないけれど。書いた人は、おれが読む以上に時間を費やして作った大事なもの。上司であるおれが、それを無碍にはできない。


「どうせ、却下案件なんだろう? 丁寧に赤ペンなんてしてるなよ」


 実篤はそう吐き捨てると、おれに手を差し出した。


「ほれ。風呂行くぞ。入ってないんだろう? 餃子は後回しな」


「うん」


 おれはその手を掴む。アルコールでぽかぽかになっている実篤の手は、小学校の頃となに一つ変わらない。


「成長がないってこと」


「へ? なんだって?」


「ううん。実篤って、小学校から変わっていないんだなって思っただけ」


「それって褒めてる? 褒めてないよな? なあ、成長がないってことだろう? おいおい。ひどくないか」


 ——違うよ。違う。


「ひどい? そうかな。本当のこと、言っただけ」


「本当のことは、時に残酷な言葉になるんだぞ。おれのハートが泣いているぞ。覚えておけ。雪」


「わかった。実篤にダメージを与えたい時は、本当のことを言う」


 一つ勉強になった。笑って返してやると、実篤はゆであがったタコみたいに顔を真っ赤にしてモゴモゴとなにかを言っていた。ほら。頭悪いから。都合が悪くなると、なにも言わないのが実篤。実篤の手。あったかい。


 こうして。ずっと繋いでいてほしい。実篤。ねえ、この手を離さない? ずっと、ずっと。おれの手を離さないで。


「雪の目はキレイだぞ。うっすら緑で。キレイ。そういう病気なら、おれ、なりたい!」


 ああそうだった。実篤はあの時、そう言っていたっけ。思い出した。やっぱり実篤はお馬鹿さん。おれの目の色、病気じゃないし。人には移らないからね!


 







  

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【KAC20245】手つなぎ鬼(BL) 雪うさこ @yuki_usako

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