ビルの屋上は銀河

犀川 よう

ビルの屋上は銀河

 中学二年になる娘が泣いて帰ってきた。彼氏にフラれたと叫んでいる。わたしが玄関まで行ってみると、泣き崩れる娘の顔は乙女の泣き顔ではなく、小学生の駄々をこねたような顔をしていた。察するに、いつものように恋に恋をして周りを見ずに猪突猛進してきた結果、彼氏くんにドン引きされてしまったのだろう。小さい頃から、娘は自分の中にある「お姫様な自分」を現実のものにしようとは失敗して泣いて帰ってきた。誰に似てしまったのか、彼女はいつまでも王子様の所まで辿り着けない、残念な女の子なのだ。


 幼稚園の頃、娘は百貨店の屋上にあるかぼちゃの馬車に乗るのが大好きだった。屋上に着くと、お金が必要なことなど考えもせずにかぼちゃの馬車に飛び込むように入っていった。娘に追いついた夫が料金ボックスに百円玉を入れると、かぼちゃの馬車は揺り篭のように揺れた。夫も乗ろうとすると、「これはおひめさましかのっちゃダメなの!」と一人うっとりとしてお姫様気分を満喫していた。かぼちゃの馬車やそれを引く馬たち。それらを囲っているゲージに巻かれた電飾がチカチカとしながら夕方の屋上で光る。娘はそれらに包まれながら、「あたしはにいるの!」とわたしたちに叫んでいだ。その時はわたしは、もしそうだとすると娘はシンデレラではなく織姫なのだと思い、娘の将来の恋愛が難しいものになることを想像して、苦笑したのだった。


 今の娘も、あの時から何も変わらない、寂しいお姫様なのかもしれないと思いながら、わたしは娘を撫で続けたまま、ひとつ提案をしてみる。

「久しぶりに百貨店の屋上にでも行ってみない? お父さんには内緒で。せっかくだから、お夕飯も食べちゃいましょうよ」

 わたしのそんな誘いを待っていたかのように、娘はわたしを見て、黙って頷いた。

 

 何年かぶりに娘を連れて百貨店の屋上に行くと、かぼちゃの馬車はなくなっていて、そこには八の字のレールが敷かれた二両編成の電動電車が設置されていた。娘はかぼちゃの馬車に乗る気だったのだが、様変わりしたその光景をただぼんやりと見ている。小学校から着ているパーカーが彼女をより幼く見せ、小学校三年までかぼちゃの馬車に乗っていた娘の面影がわたしの中に蘇ってきた。あれから数年しか経っていないのに、娘はわたしから随分と遠くへいってしまったような気がする。更にあと何年かすればより遠くへいってしまうのだろう。そして、その行き先が天の川やお城でないことを知り、自分がお姫様などではなくただの女性だと気づいてしまう未来が、やってきてしまうのであろう。

「――あたし、この電車、乗ってみてもいいかな?」

 さすがに恥ずかしかったのか、娘は小声で聞いてきた。わたしは、「折角だから、乗ってみればいいじゃない」と背中を押してあげると、娘は少しだけ迷ってから、スカートを気にせずに先頭車両にまたがる。その荒い所作がまだまだ女の子から抜け切れていないと思わせて、安心したような、不安なような複雑な気持ちにさせられる。

「お母さん。これはね、電車ではなくて、かぼちゃの馬車だから。あたしはお姫様だから、これから乗るのは、かぼちゃの馬車だからね!」

「そうね。お姫様は電車には乗らないですものね」

「そうそう! だから、ごめんね。二人乗りだけど、お母さんは乗せられないの」

「あらあら。それは残念ね」

 わたしは百円玉を二枚、料金ボックスに入れた。電車――かぼちゃの馬車――は一瞬、ガクンと揺れてから加速を始めた。冬の夕方の空がオレンジから黒い景色へと変わりつつある中、かぼちゃの馬車はコミカルな電子音を出しながら進んでいく。ゲージに巻かれた電飾は昔のかぼちゃの馬車の物を流用しているのか、あの頃と同じ色でチカチカと発光している。最初は無表情だった娘の顔には涙が浮かんでいて、わたしは胸が苦しくなりながらも、「ほら、お姫様は笑っていないと!」と叫んだ。娘は涙を拭いて、あの頃していたお姫様の顔になって笑おうとした。立ち直ろうとする娘を見届けたわたしは、視線を二両目の横に書かれている文字に移すと、お姫様が乗っているかぼちゃの馬車の名前は、「ギャラクシー号」と書いてあった。

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