第3話 ヴィシソワーズ

 店を出て、家に帰る。そのはずだったのだが……。


「何で君までついて来てるんだよ」


 何故か六花りっかも一緒に店を出て、俺の後ろについて来る。


「いやあ、都会の人間の生態に興味があるものだから。どんなところに住んでるのかなぁ、とか」


 観察対象かよ。でもなぁ。


「男の部屋にのこのこついて行ったりしたら危険だぞ」


「へぇ。どう危険なのかな?」


 ニヤニヤ笑いながら六花が言う。お前絶対わかって言ってるだろ。


「子供じゃないんだからわかってるだろ。……そう言えば、君は何歳なんだ?」


 何しろあやかしだからな。見た目はせいぜい二十歳過ぎといったところだが、その通りの年齢とは限らない。


「女性に年齢を聞くなんて、デリカシーに欠けてるんじゃない? ……まだそれほどの年齢じゃないわよ。三百は超えてないから」


 時間の感覚が違い過ぎる。二百歳代くらいなら小娘なのか。


「じゃあ、雪女の里には何百歳っていうような雪女がごろごろいるわけか」


 俺がそう言うと、六花は怪訝けげんそうな表情を浮かべた。


「……ああ、“雪女の里”っていうようなものがあって、そこに大勢の雪女が暮らしているのを想像してたのね。残念ながらそんなものは無いわよ。あやかしは、大地の精気だったり、人間の情念だったりが凝り固まって生まれるもの。人間みたいに父親と母親の間に生まれるわけじゃないわ」


「それなのに、人間との間に子供は作れるのか」


「はあ!? あなたいきなり何言ってんの!?」


 六花が素っ頓狂な声を上げる。

 こらこら、こんな夜遅い時間に近所迷惑だろ。


「いや、小泉八雲ラフカディオ=ハーンの『怪談』に出て来る雪女は、人間の男との間に子供をもうけてたじゃないか」


 それに、雪女に限らずあやかしたぐいが人間と結婚して子供をもうける異類いるい婚姻譚こんいんたんというのは色々残っているしな。


「……何だ、一般論としての話か」


 それ以外に何だと思ったんだ?


「まあ確かに、子作りは可能みたいね。あ、言っとくけど私は出産経験なんてないからね?」


 さすがに隠し子がいるとは思ってねーよ。


 そんな他愛ない話をしているうちに、俺の部屋に到着した。


「へえ、これが星雲せいうんの部屋かあ」


 こら、勝手に覗くな!

 六花は遠慮の欠片も無く俺の部屋へ上がり込み、勝手に冷蔵庫を開けてビールを飲みやがった。


「代金は請求するからな」


吝嗇けちな男ね」


 いや、そりゃあお前には雪山で世話になったし、ビールの一缶くらいでとやかく言うのも狭量かとは思うがな。とっておきのヱ〇スプレミアムだぞ。

 まあいい。俺も飲むか。


「は~い。じゃあ乾杯かんぱ~い


 六花が缶を打ち合わせてくる。まったく、調子のいいやつだな。

 他愛ない話をしながらビールを空けたらさすがに眠たくなってきた。


「しょうがないな。俺はソファーで寝るから六花はベッドを使え」


「うーん、さすがにそれは厚かましすぎる気がするし。一緒のベッドで寝たらいいんじゃない?」


 そんなわけにいくか!

 結局、俺はソファーで眠り、翌朝遅刻ギリギリで会社に向かった。



 そんなわけで、何だかよくわからないままに雪女との同棲が始まった。


「なあ六花。そろそろ山に帰れよ」


「えー? もうしばらく居させてよ」


 わがままなやつめ。

 俺が仕事に行っている間は、東京見物をして回っているらしい。

 金は持っているのか、と聞いたら、山で仕留めた猪や鹿や熊の肉を猟師におろして、現金を得ているのだとか。

 そうか。あれは単なる趣味ってわけじゃなかったのか。

 その猟師が六花の正体を知っているのかどうかは気になるところだが。


 次の休みの日。

 俺はミキサーを引っ張り出してきた。

 この間大西おおにしさんから送ってもらったレシピで、ヴィシソワーズを作ってみようと思ったのだ。

 別に六花に食わせてやろうと思ったわけじゃないぞ? 俺自身食べたことがないから興味が湧いただけだ。


 ジャガイモは常備しているが、メークインじゃなくて男爵がいいのか。それにタマネギならともかく、下仁田ネギはうちには置いてない。

 六花と一緒にスーパーに行って、ついでに食材をあれこれ買い込む。

 あ? アイスが食べたい? しょうがないな、買ってやるよ。ハー〇ンダッツは勘弁してくれ。安いのでいいだろ。


 家に帰ったら早速取り掛かる。

 ジャガイモを薄く切り、下仁田ネギも小口切りにする。バターでじっくり炒めたら、ミキサーに投入。


「へえ、便利なものね。都会の人間たちのところにはこんな文明の利器があるんだ」


 ミキサーで食材がドロドロになっていく様を興味深そうに見つめながら、六花が言う。


「いやぁ、どこの家庭にもあるってわけじゃないと思うけどな。俺だって、元カノの置き土産でもなきゃこんなの持ってなかっただろうし」


「元カノ?」


 急に気温が下がったような気がした。

 あれ六花さん、何か怒ってます?


「帰る」


 え? わけわかんないやつだな。おいちょっと待てよ。


 部屋を飛び出した六花を追いかけ、外の路上でようやくつかまえた。


「離して! 本当にあなたはデリカシーが無いんだから!」


「はぁ? 何の話だよ」


 何だかまるで痴話喧嘩だな。知り合いに見られたらめっちゃ恥ずかしいんだか。勘弁してくれ。

 なんてことを思いながら六花と揉み合っていると、突然声を掛けられた。


「やっと見つけたぞ!」


 ほら見つかっちまった……って、誰だお前。

 そいつは大学生ぐらいの若い男だった。髪をアッシュに染め、耳にはいくつもピアスを付けている。


「あの時は妖怪か何かかと思っちまったが、やっぱり普通の人間だったんじゃねーか!」


 何を言っているのかよくわからないその男を、六花も怪訝けげんそうに見ていたが、


「あ、思い出した! あなたスキー場の標識に悪戯していた馬鹿野郎じゃないの!」


 え、そいつは逮捕されたんじゃなかったっけ、と思ったが、考えてみたら、死亡事故に繋がりかねない悪質な行為とはいえ、凶悪犯罪とまでは言えないし、裁判が始まるまでずっと勾留こうりゅうされたままというわけでもないのだろう。

 そう言えば、スキー場にはバイトで住み込んでいただけで都内在住とニュースで言ってた気がする。どこかで六花を見かけ、つけて来たのか。


「誰が馬鹿だクソ女! てめぇのせいで俺の人生は滅茶苦茶なんだよ!」


 逆恨みも甚だしいな。しかし、こいつの目つきはかなりヤバいぞ。って、おいこら、ナイフはやめろ馬鹿!!

 迷惑野郎がポケットから折り畳みナイフを取り出したのを見て、六花の周囲の気温がすぅっと下がった。ヤバいヤバいヤバい。六花が本気で怒ったら、人間など一瞬で体の芯まで凍らせてガラス細工みたいに粉砕することも容易たやすいだろう。


 迷惑野郎は、六花がナイフを見ても一向に怖がるどころか逆に敵意を剥き出しにしたことに対し、焦りを覚えたようだった。

 本気で刺そうというのではなく、怖がらせるだけのはずが、引っ込みがつかなくなったのか。

 心の底から浅はかなやつめ。


「クソがぁっ!!」


 獣じみた叫び声を上げて、男がナイフを腰だめに構え突っ込んでくる。俺は男と六花の間に割って入った。

 後になって考えたら、我ながらよくあんな真似ができたものだと思う。


あつっ!」


 男は俺が割って入ったことで困惑したようだが、勢いは止められず、そのまま突っ込んで来て、ナイフを俺の太腿ふとももに突き立てやがった。

 俺はその場にうずくまった。ヤバいな。動脈を切られたか? 血ってこんなに赤かったんだな。止まりゃしねぇ。


星雲せいうんっ!! 貴様よくも!!」


 怒りに満ちた六花の怒鳴り声が響く。そして、周囲の気温が一気に下がった。


「駄目だ六花! 殺しちゃ駄目だ!」


 失血のため意識が遠のいていく中、俺は必死に叫んだ。六花に人殺しを……させる……わけには……。


「ひぃっ!」


 情けない悲鳴を上げて、馬鹿野郎が逃亡を図る。しかし、二歩ほど進んだところでばったり倒れ込んだ。


「駄目だ……殺しちゃ……」


 そこで俺の意識は途切とぎれた。



「気が付いたようだね」


 俺が目を覚ますと、四十がらみの医者の顔が目に入った。

 どうやら病院に運び込まれたらしい。


「出血多量でかなり危険な状態だったのだけれど、雪女さんのおかげで何とか助けることができたようだ。本当に良かったよ」


 え、この医者ひと今雪女って言ったか?

 六花の正体がバレた?


「脳の温度を摂氏二十度近くまで下げて、脳死を遅らせるよう処置した――救急車で一緒に来た女性からそう言われた時は、正直なところ、恋人が刺されて錯乱状態になっているのかと思ったよ」


 医者はそんなことを言い出した。半信半疑ながらも検査してみると、本当に俺の脳内の体温は低下していて、そのおかげで失血状態にもかかわらず脳細胞の破壊を免れたのだとか。

 そして緊急輸血を受け、どうにか一命を取り留めて、後遺症の心配もほぼ無さそうとのことだった。


「あ、あの! 六花は!?」


 慌てて俺が問いただすと、医者は静かに首を振った。


「いつの間にか姿を消して、その後一度も病院には来ていないよ。正体を明かしてしまったら人間の世界にはいられない、ということだったのかな」


 ……そうか。六花は山へ帰って行ったか。

 溶けて消えてしまったわけではないと思いたい。

 あの元気な雪女が、そう簡単に溶けてしまったりするわけないもんな。


 ちなみに、俺を刺した迷惑野郎は、低体温症でぶっ倒れていたところを傷害の現行犯で逮捕され、今裁判にかけられているという。

 生きていたようで何よりだ。いや、あの馬鹿の命はどうでもいいのだが、六花が殺人を犯さなかったことが喜ばしいのだ。


 その後、静岡の実家から駆け付けていた両親と姉貴に会った。心配かけて本当申し訳ない。


 数日して、会社の同僚たちを代表して大西さんが見舞いに来てくれた。

 彼女は何だかすごくやつれた様子で、眼鏡美人が台無しな感じになってしまっていたが、俺の顔を見ると、「よかった……」と言って涙ぐんだ

 そんなに俺のことを心配してくれてたのか。ありがとう。



 一時は重態だったということで、経過観察のため結局一週間ほど病院に留め置かれ、ようやく退院出来て、職場にも復帰したが、俺の心にはずっと六花のことが引っ掛かり続けていた。俺の命を救ってくれた彼女。もう一度会って礼を言いたい。


「どうしたんですか、ぼーっとして。まだ具合が悪いんですか?」


 大西さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。いやいや、体調はもう大丈夫だよ。


 そんな日々を送るうちに、暑い夏が終わり、秋もけていった。

 日本列島の北の方からは、初雪の便りも届くようになった頃。俺は有休を取り、新潟県へと向かった。六花と出逢った例のスキー場に、もう一度行ってみようと思ったのだ。


「このあたりだったはずなんだが……」


 雪はまだうっすらと積もる程度で、スキー場の営業も始まっていない山に入り、精度の高い地図アプリもダウンロードして、それとにらめっこしながら六花と逢ったあたりを彷徨さまよい歩く。

 考えてみたら、あの場所でたまたま猪を仕留めていたってだけで、同じ場所でもう一度六花に逢える保証は無いんだよなぁ。


 これまでにも何度か、六花にLINEを送ってはみたのだが、どういうわけか全部エラーになって届かない。アドレスを変えたとかいうわけではないと思うのだが……。


 「Le Picot」へ行って聡子さとこさんに六花の居場所を聞くという方法も考えたのだが、いくらあのあたりを探し回っても、三度みたびあの店を訪れることは出来なかった。聡子さんは「縁が出来た」などと言っていたが、そんなに都合よく行きたいときに行けるわけではないらしい。

 LINEで予約できるとか言ってたけど、あの時はあやかしがやってる店を友だち登録しようとは思わなかったからなぁ。


 熊避くまよけの鈴を鳴らしながら歩き回るうちに、腹が減ってきた。

 俺は倒木に腰を下ろし、コンビニで買っておいたサンドイッチを取り出した。

 厚切りロースカツサンドにサラダサンド、それに六花が好きそうなフルーツサンドも買っておいたのだが……。


「美味しそうね」


 背後からいきなり声を掛けられて、俺は思わず飛び上がった。

 でも、この声は……。


「六花!」


 振り返ると、そこにはあの日と同じ純白のハンティングウェア姿の、美しい雪女がいた。

 六花は嬉しいような困惑したような表情を浮かべ、


星雲せいうん、久しぶり。こんなとこで何してるのよ」


「君に会いに来たんだ。一言お礼が言いたくて」


「あっそ。別に大したことはしてないわよ」


 いやいやいや。普通なら出血多量で死んでたところだぞ。いくら礼を言っても足りないくらいだよ。

 それにしても……。ふと気になって、俺は六花に尋ねてみた。


「脳内の体温を下げる延命方法とか、よく知ってたな」


 すると六花はしばし口ごもったが、やがてぽつぽつと話し始めた。


「ずっと……ずっと昔の話だけどね。このあたりで狩りをしていた狩人がいてね。その人のことを好きになったの」


 ……あ、恋人がいたことあるんだ。いや、そりゃあ二百年以上生きているって話だったからな。その間には色々あっただろうさ。


「でもある時、その人が崖から転落してしまってね。私はその人の体が冷たくなっていくのをなすすべも無く見ているしかなかった……」


 そんなことがあって、六花は民間療法から近代の医学知識に至るまで、色々と調べていたのだという。

 なるほど、そんな事情があったのか。


「おかげで助かったよ。本当にありがとう」


「だから気にしなくていいって」


 照れくさそうにしながら、六花は俺が手渡したフルーツサンドにかぶりついた。



 その後、六花とは「Le Picot」で何度か会った。

 六花が聡子さんに話をつけてくれて、俺が探したら見つかるようにしてくれたのだ。


 そして、翌年の初夏になり、新潟の山中の残雪も溶ける頃、俺は会社を辞めて、そちらに移り住んだ。

 貯金をはたいて近くの村の古民家を購入し、そこに付随していた田畑を耕して自給自足する。それに、罠猟わなりょうの免許も取得しておいた。

 過疎化が進んだその村には、若い人はほとんどおらず、歓迎されつつも奇人変人扱いされている感じだったが、六花が一緒に暮らすようになると、皆ああと頷いていた。このあたりでは彼女の正体は何となく察せられているらしい。


「はい、じゃあそれいたまったらこっちに頂戴」


 俺が炒めたジャガイモと下仁田ネギを受け取り、六花はそれを氷結粉砕した。そしてばちに入れ、スープを混ぜながらり下ろす。


「ヴィシソワーズを擂り鉢で作るってシュールすぎないか?」


「いいからいいから。美味しいものを作るには手間暇がかかるものなのよ」


 ちょっと納得しがたいものがあったが、俺は材料が滑らかになるまで擂粉木すりこぎで摺り、それを鍋に投入した。

 鍋でことこと煮込み、裏漉うらごししてさらに煮る。牛乳を加えて塩胡椒で味を調えたら、六花がひんやり冷やしてくれて出来上がり。

 雪女と古民家で食うヴィシソワーズは、滑らかな舌触りでコクがあり、自然な甘味でとても美味うまかった。


 ふと、六花が俺を見つめていることに気付く。


「何だよ、人の顔をじっと見て」


「ううん、何でもな~い」


 白いワイシャツを羽織っただけの格好の雪女は、よくわからんがにこにこ微笑みながら、ヴィシソワーズを美味そうに啜るのだった。



――Fin.



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末永く爆発しろ。


負けヒロインの大西さんが主人公ないしヒロインとなる作品群がこちら。

『とりあえず手向山』、『色は移ろう』、『ナポレオンフィッシュと眼鏡の君』もよろしく♡

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雪山奇譚 平井敦史 @Hirai_Atsushi

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