第3話 ヴィシソワーズ
店を出て、家に帰る。そのはずだったのだが……。
「何で君までついて来てるんだよ」
何故か
「いやあ、都会の人間の生態に興味があるものだから。どんなところに住んでるのかなぁ、とか」
観察対象かよ。でもなぁ。
「男の部屋にのこのこついて行ったりしたら危険だぞ」
「へぇ。どう危険なのかな?」
ニヤニヤ笑いながら六花が言う。お前絶対わかって言ってるだろ。
「子供じゃないんだからわかってるだろ。……そう言えば、君は何歳なんだ?」
何しろ
「女性に年齢を聞くなんて、デリカシーに欠けてるんじゃない? ……まだそれほどの年齢じゃないわよ。三百は超えてないから」
時間の感覚が違い過ぎる。二百歳代くらいなら小娘なのか。
「じゃあ、雪女の里には何百歳っていうような雪女がごろごろいるわけか」
俺がそう言うと、六花は
「……ああ、“雪女の里”っていうようなものがあって、そこに大勢の雪女が暮らしているのを想像してたのね。残念ながらそんなものは無いわよ。
「それなのに、人間との間に子供は作れるのか」
「はあ!? あなたいきなり何言ってんの!?」
六花が素っ頓狂な声を上げる。
こらこら、こんな夜遅い時間に近所迷惑だろ。
「いや、
それに、雪女に限らず
「……何だ、一般論としての話か」
それ以外に何だと思ったんだ?
「まあ確かに、子作りは可能みたいね。あ、言っとくけど私は出産経験なんてないからね?」
さすがに隠し子がいるとは思ってねーよ。
そんな他愛ない話をしているうちに、俺の部屋に到着した。
「へえ、これが
こら、勝手に覗くな!
六花は遠慮の欠片も無く俺の部屋へ上がり込み、勝手に冷蔵庫を開けてビールを飲みやがった。
「代金は請求するからな」
「
いや、そりゃあお前には雪山で世話になったし、ビールの一缶くらいでとやかく言うのも狭量かとは思うがな。とっておきのヱ〇スプレミアムだぞ。
まあいい。俺も飲むか。
「は~い。じゃあ
六花が缶を打ち合わせてくる。まったく、調子のいいやつだな。
他愛ない話をしながらビールを空けたらさすがに眠たくなってきた。
「しょうがないな。俺はソファーで寝るから六花はベッドを使え」
「うーん、さすがにそれは厚かましすぎる気がするし。一緒のベッドで寝たらいいんじゃない?」
そんなわけにいくか!
結局、俺はソファーで眠り、翌朝遅刻ギリギリで会社に向かった。
そんなわけで、何だかよくわからないままに雪女との同棲が始まった。
「なあ六花。そろそろ山に帰れよ」
「えー? もうしばらく居させてよ」
わがままなやつめ。
俺が仕事に行っている間は、東京見物をして回っているらしい。
金は持っているのか、と聞いたら、山で仕留めた猪や鹿や熊の肉を猟師に
そうか。あれは単なる趣味ってわけじゃなかったのか。
その猟師が六花の正体を知っているのかどうかは気になるところだが。
次の休みの日。
俺はミキサーを引っ張り出してきた。
この間
別に六花に食わせてやろうと思ったわけじゃないぞ? 俺自身食べたことがないから興味が湧いただけだ。
ジャガイモは常備しているが、メークインじゃなくて男爵がいいのか。それにタマネギならともかく、下仁田ネギはうちには置いてない。
六花と一緒にスーパーに行って、ついでに食材をあれこれ買い込む。
あ? アイスが食べたい? しょうがないな、買ってやるよ。ハー〇ンダッツは勘弁してくれ。安いのでいいだろ。
家に帰ったら早速取り掛かる。
ジャガイモを薄く切り、下仁田ネギも小口切りにする。バターでじっくり炒めたら、ミキサーに投入。
「へえ、便利なものね。都会の人間たちのところにはこんな文明の利器があるんだ」
ミキサーで食材がドロドロになっていく様を興味深そうに見つめながら、六花が言う。
「いやぁ、どこの家庭にもあるってわけじゃないと思うけどな。俺だって、元カノの置き土産でもなきゃこんなの持ってなかっただろうし」
「元カノ?」
急に気温が下がったような気がした。
あれ六花さん、何か怒ってます?
「帰る」
え? わけわかんないやつだな。おいちょっと待てよ。
部屋を飛び出した六花を追いかけ、外の路上でようやくつかまえた。
「離して! 本当にあなたはデリカシーが無いんだから!」
「はぁ? 何の話だよ」
何だかまるで痴話喧嘩
なんてことを思いながら六花と揉み合っていると、突然声を掛けられた。
「やっと見つけたぞ!」
ほら見つかっちまった……って、誰だお前。
そいつは大学生ぐらいの若い男だった。髪をアッシュに染め、耳にはいくつもピアスを付けている。
「あの時は妖怪か何かかと思っちまったが、やっぱり普通の人間だったんじゃねーか!」
何を言っているのかよくわからないその男を、六花も
「あ、思い出した! あなたスキー場の標識に悪戯していた馬鹿野郎じゃないの!」
え、そいつは逮捕されたんじゃなかったっけ、と思ったが、考えてみたら、死亡事故に繋がりかねない悪質な行為とはいえ、凶悪犯罪とまでは言えないし、裁判が始まるまでずっと
そう言えば、スキー場にはバイトで住み込んでいただけで都内在住とニュースで言ってた気がする。どこかで六花を見かけ、つけて来たのか。
「誰が馬鹿だクソ女! てめぇのせいで俺の人生は滅茶苦茶なんだよ!」
逆恨みも甚だしいな。しかし、こいつの目つきはかなりヤバいぞ。って、おいこら、ナイフはやめろ馬鹿!!
迷惑野郎がポケットから折り畳みナイフを取り出したのを見て、六花の周囲の気温がすぅっと下がった。ヤバいヤバいヤバい。六花が本気で怒ったら、人間など一瞬で体の芯まで凍らせてガラス細工みたいに粉砕することも
迷惑野郎は、六花がナイフを見ても一向に怖がるどころか逆に敵意を剥き出しにしたことに対し、焦りを覚えたようだった。
本気で刺そうというのではなく、怖がらせるだけのはずが、引っ込みがつかなくなったのか。
心の底から浅はかなやつめ。
「クソがぁっ!!」
獣じみた叫び声を上げて、男がナイフを腰だめに構え突っ込んでくる。俺は男と六花の間に割って入った。
後になって考えたら、我ながらよくあんな真似ができたものだと思う。
「
男は俺が割って入ったことで困惑したようだが、勢いは止められず、そのまま突っ込んで来て、ナイフを俺の
俺はその場に
「
怒りに満ちた六花の怒鳴り声が響く。そして、周囲の気温が一気に下がった。
「駄目だ六花! 殺しちゃ駄目だ!」
失血のため意識が遠のいていく中、俺は必死に叫んだ。六花に人殺しを……させる……わけには……。
「ひぃっ!」
情けない悲鳴を上げて、馬鹿野郎が逃亡を図る。しかし、二歩ほど進んだところでばったり倒れ込んだ。
「駄目だ……殺しちゃ……」
そこで俺の意識は
「気が付いたようだね」
俺が目を覚ますと、四十がらみの医者の顔が目に入った。
どうやら病院に運び込まれたらしい。
「出血多量でかなり危険な状態だったのだけれど、雪女さんのおかげで何とか助けることができたようだ。本当に良かったよ」
え、この
六花の正体がバレた?
「脳の温度を摂氏二十度近くまで下げて、脳死を遅らせるよう処置した――救急車で一緒に来た女性からそう言われた時は、正直なところ、恋人が刺されて錯乱状態になっているのかと思ったよ」
医者はそんなことを言い出した。半信半疑ながらも検査してみると、本当に俺の脳内の体温は低下していて、そのおかげで失血状態にもかかわらず脳細胞の破壊を免れたのだとか。
そして緊急輸血を受け、どうにか一命を取り留めて、後遺症の心配もほぼ無さそうとのことだった。
「あ、あの! 六花は!?」
慌てて俺が問いただすと、医者は静かに首を振った。
「いつの間にか姿を消して、その後一度も病院には来ていないよ。正体を明かしてしまったら人間の世界にはいられない、ということだったのかな」
……そうか。六花は山へ帰って行ったか。
溶けて消えてしまったわけではないと思いたい。
あの元気な雪女が、そう簡単に溶けてしまったりするわけないもんな。
ちなみに、俺を刺した迷惑野郎は、
生きていたようで何よりだ。いや、あの馬鹿の命はどうでもいいのだが、六花が殺人を犯さなかったことが喜ばしいのだ。
その後、静岡の実家から駆け付けていた両親と姉貴に会った。心配かけて本当申し訳ない。
数日して、会社の同僚たちを代表して大西さんが見舞いに来てくれた。
彼女は何だかすごくやつれた様子で、眼鏡美人が台無しな感じになってしまっていたが、俺の顔を見ると、「よかった……」と言って涙ぐんだ
そんなに俺のことを心配してくれてたのか。ありがとう。
一時は重態だったということで、経過観察のため結局一週間ほど病院に留め置かれ、ようやく退院出来て、職場にも復帰したが、俺の心にはずっと六花のことが引っ掛かり続けていた。俺の命を救ってくれた彼女。もう一度会って礼を言いたい。
「どうしたんですか、ぼーっとして。まだ具合が悪いんですか?」
大西さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。いやいや、体調はもう大丈夫だよ。
そんな日々を送るうちに、暑い夏が終わり、秋も
日本列島の北の方からは、初雪の便りも届くようになった頃。俺は有休を取り、新潟県へと向かった。六花と出逢った例のスキー場に、もう一度行ってみようと思ったのだ。
「このあたりだったはずなんだが……」
雪はまだうっすらと積もる程度で、スキー場の営業も始まっていない山に入り、精度の高い地図アプリもダウンロードして、それとにらめっこしながら六花と逢ったあたりを
考えてみたら、あの場所でたまたま猪を仕留めていたってだけで、同じ場所でもう一度六花に逢える保証は無いんだよなぁ。
これまでにも何度か、六花にLINEを送ってはみたのだが、どういうわけか全部エラーになって届かない。アドレスを変えたとかいうわけではないと思うのだが……。
「Le Picot」へ行って
LINEで予約できるとか言ってたけど、あの時は
俺は倒木に腰を下ろし、コンビニで買っておいたサンドイッチを取り出した。
厚切りロースカツサンドにサラダサンド、それに六花が好きそうなフルーツサンドも買っておいたのだが……。
「美味しそうね」
背後からいきなり声を掛けられて、俺は思わず飛び上がった。
でも、この声は……。
「六花!」
振り返ると、そこにはあの日と同じ純白のハンティングウェア姿の、美しい雪女がいた。
六花は嬉しいような困惑したような表情を浮かべ、
「
「君に会いに来たんだ。一言お礼が言いたくて」
「あっそ。別に大したことはしてないわよ」
いやいやいや。普通なら出血多量で死んでたところだぞ。いくら礼を言っても足りないくらいだよ。
それにしても……。ふと気になって、俺は六花に尋ねてみた。
「脳内の体温を下げる延命方法とか、よく知ってたな」
すると六花はしばし口ごもったが、やがてぽつぽつと話し始めた。
「ずっと……ずっと昔の話だけどね。このあたりで狩りをしていた狩人がいてね。その人のことを好きになったの」
……あ、恋人がいたことあるんだ。いや、そりゃあ二百年以上生きているって話だったからな。その間には色々あっただろうさ。
「でもある時、その人が崖から転落してしまってね。私はその人の体が冷たくなっていくのをなす
そんなことがあって、六花は民間療法から近代の医学知識に至るまで、色々と調べていたのだという。
なるほど、そんな事情があったのか。
「おかげで助かったよ。本当にありがとう」
「だから気にしなくていいって」
照れくさそうにしながら、六花は俺が手渡したフルーツサンドにかぶりついた。
その後、六花とは「Le Picot」で何度か会った。
六花が聡子さんに話をつけてくれて、俺が探したら見つかるようにしてくれたのだ。
そして、翌年の初夏になり、新潟の山中の残雪も溶ける頃、俺は会社を辞めて、そちらに移り住んだ。
貯金をはたいて近くの村の古民家を購入し、そこに付随していた田畑を耕して自給自足する。それに、
過疎化が進んだその村には、若い人はほとんどおらず、歓迎されつつも奇人変人扱いされている感じだったが、六花が一緒に暮らすようになると、皆ああと頷いていた。このあたりでは彼女の正体は何となく察せられているらしい。
「はい、じゃあそれ
俺が炒めたジャガイモと下仁田ネギを受け取り、六花はそれを氷結粉砕した。そして
「ヴィシソワーズを擂り鉢で作るってシュールすぎないか?」
「いいからいいから。美味しいものを作るには手間暇がかかるものなのよ」
ちょっと納得しがたいものがあったが、俺は材料が滑らかになるまで
鍋でことこと煮込み、
雪女と古民家で食うヴィシソワーズは、滑らかな舌触りでコクがあり、自然な甘味でとても
ふと、六花が俺を見つめていることに気付く。
「何だよ、人の顔をじっと見て」
「ううん、何でもな~い」
白いワイシャツを羽織っただけの格好の雪女は、よくわからんがにこにこ微笑みながら、ヴィシソワーズを美味そうに啜るのだった。
――Fin.
-----------------------------------------------------------------------
末永く爆発しろ。
負けヒロインの大西さんが主人公ないしヒロインとなる作品群がこちら。
『とりあえず手向山』、『色は移ろう』、『ナポレオンフィッシュと眼鏡の君』もよろしく♡
雪山奇譚 平井敦史 @Hirai_Atsushi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます