第2話 フローズンマルガリータ
スキーから帰って来て数日の後。その日は朝コンビニに寄る時間がなく、お昼は久々に会社の外へ食べに出た。
連れは同僚の
「スキーに行ったんだって? 誘ってくれればよかったのに」
「この前彼女が出来たって言ってたろうが。邪魔しちゃ悪いだろ」
「いや、だから俺の彼女も一緒に……」
「
独身仲間――だと思っていた木谷とそんな会話をかわし、眼鏡美人の大西さんはそんな俺たちをにこにこ微笑みながら見ている。
そういや、大西さんはあまり浮いた話は聞かないな。別に男を寄せ付けないっていうようなタイプでもないのだが。
「お待たせしました」
店員が注文の品を持って来た。
店のテレビからはニュースが流れている。
「……スキー場で、コースの案内表示を故意に動かし、スキーヤーをコース外に誘導しようとしたとして、同スキー場のホテルで住み込みアルバイトをしていた大学生が、
へえ。例のスキー場で案内板に
俺もあの後、スキー場運営会社のサイトに一件を投稿しておいた(もちろん、雪女に助けられたなんて話は伏せてだ)んだが、警察も本腰を入れたのかな。
大事になる前に解決して良かったぜ。
「逮捕されたのは、東京都在住の
「大丈夫か、おい。気管にでも入ったか?」
「ああ、ちょっとな」
……
まあ、迷惑野郎のせいで彼女たちの領域にスキーヤーが迷い込むような事態になっていたわけだから、怒るのも当然ではあるのだろうが。
「ところでさ、冷たい食べ物で、何か美味しいものってないかな? アイスクリームだとかスイーツ系以外で」
「何だよいきなり。まだまだ寒い時期だぞ」
「暖房の効いた場所で冷たいものを食うのも悪くないだろ」
「なるほどな。じゃあ、
そういや、木谷の実家は宮崎県だったっけか。
確かに、夏場暑くて食欲がない時には良いと思うが。
「他に何かないか?」
大西さんにも
「そうですねぇ。冷たいもの冷たいもの……。あ、ヴィシソワーズなんてどうですか?」
「名前は聞いたことあるな。たしか、冷たいスープだっけ?」
「ええ。冷製スープは他にも色々種類はあるんですけどね。ガスパチョとか。私はヴィシソワーズが好きかな。ネットでレシピを検索すると、タマネギを使ったのが多いみたいですけど、本来はポロネギっていうのを使うんですよね。お薦めは
大西さんがそんな提案をしてくれたが……。
「いや、実はあるんだよ、ミキサー。以前付き合ってた彼女が、一時期スムージーにはまっててさ。それで買ったっつーか、買わされたっつーか」
その後しばらくして、つまらない理由で喧嘩別れしたんだけどな。
「……そうですか。じゃあ、後でレシピ送りますね」
ありがとう。大西さんは本当に出来る女性だ。でも、何だか顔が
その時はもちろん、六花と再会する機会があるだなんて思っていたわけではなかった。
ただ、何となく彼女のことが思い出された――それだけのことだ。
それからさらにしばらく後のこと。
休みの日に俺はミキサーを引っ張り出してきて、カビなど生えていないか点検した。
どうやら問題なさそうだ。
リンゴのスムージーを作って飲んだ後、また丁寧に掃除をする。
そうしていたら、
そう言えば、
何だか無性に食いたくなり、スマホで店舗情報を調べる。
距離にすれば2km少々だが……。
「電車だと結構遠回りな上に乗り換えもあるのか。いっそ歩いて行くか」
というわけで、晩飯はその店で食った。
厚切りロースカツは
店を出てぶらぶら歩いて帰るうちに、ふと気付く。
「そういや、ここら辺は
「『Le Picot』? なんだ、普通に存在してたんじゃないか」
以前、廃病院の近くで不気味な女に
となると、あの時ちゃんと代金を払ったのかどうか、心配になってきた。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、あの時の落ち着いた雰囲気のママさんが迎えてくれた。
ほら、やっぱり普通の人間なんじゃないか。
他に客は……。
「六花!? 何で君がここに!?」
カウンター席に座っていたのは、白いニットにデニムスカート姿の黒髪の美女。あの日雪山で逢った雪女に他ならない。
六花も驚いた様子で、ストローから口を離し、言った。
「
あ、やっぱりそういう店なのか。
困惑しながらママさんの顔を見ると、穏やかに微笑みながら説明してくれた。
「ここは
嫌な縁だな、おい。
「どこにでも存在し――」ってことは、あのスキー場の近くとも繋がっているってことなのかな?
あ、それから、俺の名前は「としゆき」だ。「せいうん」て言うな。
しかし、ということは、このママさんもやっぱり
「ええ、お察しのとおりです。……ああ、あの時のお勘定でしたら、ちゃんと頂戴しましたよ。おどかしてお帰りいただこうと思ったのに、律儀に水割りを飲み干された後、きちんと払って行かれました。
あ、いや、記憶が飛ぶくらいビビってたわけだし、
ママさんはミステリアスな微笑みを浮かべている。
「ああ、
六花が言った。
ママは
「
「食べませんよ、人間なんて。心を読まれることを恐れた人間が生み出した妄想です」
聡子さんが心外そうに言う。あ、そうなんだ。てか、また心を読まれたな。
取りあえず、俺は六花の隣の席に腰を下ろした。
「久しぶり」
「まだそれほど
そう言いながらも、六花は何となく嬉しそうな表情を浮かべる。
「何飲んでんだ? フローズンマルガリータか?」
「ええ、そうよ」
あれ? ここバーじゃなくてスナックだよな? こんな
「カクテルも各種ございますよ。何になさいます?」
聡子さんがまたしても心を読んで尋ねてくるので、じゃあ普通のマルガリータを、と注文した。
「あなたもフローズンにしておきなさい」
六花が口を挟む。
いや、夏場ならともかくこの時期には……まあいいか。
「じゃ、六花ちゃん手伝ってね」
「りょーかい」
聡子さんに声を掛けられ、六花が立ち上がってカウンター内に入った。
聡子さんはライムを絞り、塩をあしらったカクテルグラスでホワイトキュラソーとブレンドして、バースプーンで
その間、六花はテキーラを注いだ計量カップをしばし両手で包み込んでいた。そして、それをカクテルグラスに注ぎ込むと――。
「え? どうなってるんだ?」
カクテルグラスの中身は、みるみるうちにシャーベット状になった。
聡子さんはそれを手早く
「何それ。雪女の妖術か?」
「馬鹿ね。ちゃんと科学的に説明がつくことよ。
いやいや。過冷却状態というのは凝固点を下回る温度になっても液体の状態を保っていることを指すが、それって確か、ゆっくり刺激を与えずに冷やす必要があるんじゃなかったか? そんな状態をわずかの時間で作り出すとか、完全に不思議パワーだろ。
「さあ、召し上がれ。フローズンマルガリータ雪女仕立て。六花ちゃんが来店してくれている時しか提供できない裏メニューですよ」
ま、普通にクラッシュドアイスを入れてミキサーで作るのも表メニューにあるんですけどね、と聡子さんが呟く。
やっぱここバーなんじゃないか? まあ、
「じゃあ乾杯」
六花がグラスを差し出してきたので、俺もグラスを掲げ軽く打ち合わせた。
うん、
氷が入っていない分、普通のフローズンマルガリータより濃厚だ。
俺がストローで飲み干す様子を、六花は満足そうに見つめていた。
「あ、そうだ。
六花がそんなことを言い出した。だから俺の名前は「としゆき」だと……。
「はいはい、早くスマホ出して」
人の話を聞きゃしねぇ。
つか、
「時代の流れというやつですね。あ、このお店の予約もLINEで出来るんですよ」
聡子さんが言う。
マジですか。
と、聡子さんは六花に顔を向けて、穏やかな笑みを浮かべたまま、
「六花ちゃん? 今、予約が必要なほど混んでるところなんて見たことない、って思ったわね?」
「ご、ごめんなさい~」
六花は平謝りに謝った。聡子さん強いな。
俺は席を立ち、聡子さんに勘定を支払った。
そこでふと気になって、尋ねてみる。
「そう言えば、あの時廃病院の近くで見た女は何者だったんだろう」
「多分、病院に通う浮遊霊か何かだったのではないかしら。あそこのお医者さん、
……マジか。じゃあ、藤田が言ってたタクシーに乗ってた女も、そういうことだったのか。
て言うか、
「
でも先日病院に行って、よく効くハンドクリームをもらいましたから、などと聡子さんは言った。
正直、情報量が多すぎて頭がパニック気味だ。
ん? ひょっとして、六花も病院に通ってたりするのか? とふと思う。
「吹き出物が出来て困ってたんですって。でも、もう心配無さそうね」
「ママ! 余計な事言わないで!」
六花が悲鳴じみた声を上げ、聡子さんはぺろりと舌を出す。
何の話なんだかよくわからんが……。
「体は大事にしろよ」
六花に声を掛けると、彼女はふてくされた様子でそっぽを向き、小さく呟いた。
「誰のせいだと思ってんのよ」
俺何かしたか?
どうも納得がいかない気持ちのまま、俺は帰途についた。
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雪女の恋わずらい(笑)。
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