雪山奇譚

平井敦史

第1話 ルイベ

 一面に降り積もった純白の雪を、おびただしい量の血があけに染めている。

 その凄惨な光景の中、かがみ込んでいた白い服の女が顔だけこちらに向けて、魂すらて付かせるような声音こわねで、静かに言った。


「ここで見たことは決して誰にも話さないで」


 いや、話しゃしないよ。絶対誰も信じちゃくれないだろうから。

 ――雪女ゆきおんなが猪を仕留めて解体しているところに遭遇しました、だなんて。



「で、何故あなたはこんなところに? ここはスキー客が来るようなところではないでしょうに」


 まったくもってその通りなのだけどな。しょうがないだろう、道に迷っちまったんだから。


「林間コースの矢印通りに来たはずなんだがな。いつの間にやらコースを外れてしまったみたいで……」


「そう。誰かが矢印の向きを変えたのかしら。悪質な悪戯いたずらね。下手をすると死人が出るわよ」


 ああ。実にたちが悪い。スキー場の管理者に伝えておいた方が良いかもな。じゃ、そういうことで。


「待ちなさい。帰り道はわかるの?」


 屈み込んだ姿勢のまま、雪女が言う。


「……いや、わからん」


「でしょうね」


 呆れられた。面目次第もない。


「これの解体が終わったら麓まで連れて行ってあげるわ。ちょっと待ってなさい」


 そう言いながらも、雪女は手際良く猪の解体を続ける。

 ちょっとグロいな。まさか雪女がこういう方向性でグロいとは思わなかった。


「えーと、雪女さん?」


「その呼び方はちょっと……。『六花りっか』って呼んでくれる? 『六つの花』と書いて『りっか』よ。ああ、そう言えばまだあなたの名前を聞いていなかったわね」


「『小泉こいずみ』だ」


「へえ。下の名前は、もしかして『八雲やくも』?」


 小泉こいずみ八雲やくも、本名ラフカディオ=ハーン。『怪談』の著者として有名で、雪女の話も収録されていたはずだが、もちろん俺とは縁もゆかりもない。


「いや、『としゆき』だ」


「そ。漢字だとどう書くの?」


 雪女は何の気なしに尋ねたのだろうが、俺は口ごもった。


「何よ。説明が難しいような珍しい漢字? まあ無理に教えろとは言わないけど……」


「…………『星』に『雲』と書いて、『としゆき』と読む」


 雪女がぷっと吹き出した。


小泉こいずみ星雲せいうん!? 恰好良カッコイい名前ね」


 絶対そうは思ってないだろ。

 まあ子供の頃から何度も経験してきたことではあるのだが、あやかしにまで笑われるというのはさすがに傷付く。



 そんな話をしているうちに、雪女、もとい、六花りっかは、猪の解体を終えた。

 立ち上がり、こちらに向き直る。俺はあらためて彼女の姿を凝視した。

 上下とも真っ白い服、といっても和服ではない。ハンティングウェアを颯爽さっそうと着こなし、キャップからこぼれる髪は艶やかな黒。肌は透けるように白い。


 これだけなら、普通の人間とそう変わるところはないのだが――。

 六花が真っ白いハンティングウェアをはたくと、そこかしこに飛び散っていた猪の血が、赤い氷の欠片かけらとなって落ちていく。その様はまるで赤い花びらが舞い散るようで、とても綺麗だった。


「便利なもんだな」


 そんな真っ白い服をアウトドアで着たら、汚れが目立って仕方ないだろうに、と思っていたのだが、こんなことができるのなら問題は無いのだろう。

 たとえ最新技術の粋を集めた新素材だったとしても、人間わざではこうはいくまい。

 そしてなにより、雪女だという彼女の自己紹介を信じざるを得なくさせているものが、その手に持った氷製のライフル銃。いや、ライフル銃の形をした氷、というべきだろうか。


「なあ、その銃で猪を仕留めたんだよな? と言うか、何でそれで弾丸たまてるんだよ」


「液体窒素を瞬時に気化させて、その圧力で射出しているに決まっているでしょう」


 いや、そんな常識みたいに言われても……。


「圧力で銃身自体が破裂しそうなんだが?」


の氷でつくった物なら、当然そうなるでしょうね」


 ああ、雪女がつくり出した氷だものな。そりゃあじゃないんだろうさ。


 六花が銃をこちらに手渡してくれたので、じっくり観察させてもらったが、あきれたことに、銃身の内側には本当に施条ライフリングが切ってある。手が込んでるにも程があるだろ。


「しかしこれ、銃刀法違反にならないのか? もちろん許可なんて取得してないよな?」


 俺がそう言ったのに対し、六花は鼻でわらって、


「銃刀法の条文にはこうあるわ。『発射する機能を有する装薬そうやく銃砲及び空気銃』と。たしかにこれは『空気銃』に該当するかもしれないけど、使用するのは金属弾じゃなくて特製の氷の弾丸たまよ。だから銃刀法には触れませ~ん」


 ……何で銃刀法の条文なんか知ってるんだよ。さては、抵触しないか心配になって調べたことがあるな?


「いやいやいや。いくら金属の弾丸たまを使ってなくったって、猪を仕留められるほどの殺傷力があるんなら、十分規制対象だと思うぞ」


 そう言われて、六花は動揺したようだったが、微妙に目をらしながらも涼しい顔(雪女だけに)で反論した。


「そうだとしても、これを人間が手にしたところでてやしないんだから、殺傷力の有無を立証しようもないでしょ」


 言われてみれば確かに。よく見ると、もっともらしくトリガーガードは付いているが、肝心の引き金トリガーは存在しない。そりゃあ雪女じゃなきゃ扱えんわな。


「ま、根本的な問題として、あやかしに人間の法律が適用されるのかっていうのはあるんだけどな」


 俺は肩をすくめた。今さらながら、あやかし相手に法律を論じる馬鹿々々しさに気付いたのだ。


「そうね。わたしが裁判にかけられるなんてことはないとは思うけど。それでも、せっかく苦心してつくり上げた一品を、警察の取り調べを受けて証拠隠滅のために溶かしてしまわないといけなくなるような事態は、まかり間違っても願い下げよ。だからここで見たことは決して人に話さないで」


「話すなってのはそんな理由でかよ」


 思わず脱力する俺。そんな俺を、六花はまじまじと見つめ、言った。


「……そう言えばあなた、あまり雪女わたしを怖がらないわね。他にあやかしの知り合いでもいるの?」


 いてたまるか、そんなもの!

 まあいて言うなら、以前「指がささくれ立った女」とかいう怪異に出会でくわしたことがあって、それで妙な耐性が出来てしまったのかもしれない。


 考えてみたら、実際に何か危害を加えてくるわけでもないあの女に比べ、危険度では雪女の方が段違いに上なんだがな。

 やはり、まともに会話が成立するというのが大きいのだろう。


「さて、それじゃあ、麓に降りる……前に、何か少しおなかに入れておきましょうか」


 そう言って、六花はクーラーボックスから肉の塊を取り出した。


「おい、まさかそれ、さっき解体したやつか?」


「なわけないでしょう。お肉っていうのはね、熟成させないと美味しくないの。これは以前狩った鹿の腿肉ももにくを、一ヶ月ほど低温乾燥熟成させてから冷凍保存していたものよ」


 六花は堅そうな木の幹を輪切りにしたまな板を取り出し、その上で肉をスライスした。

 さらに、ネギやニンニク、ショウガなども刻んで、紙皿の上に盛り付けてくれる。

 それは確かに美味うまそうに見えるのだが……。


「ちょっと待て。これ生じゃないのかよ。ジビエ肉の生とか、寄生虫まみれなんじゃないか?」


「大丈夫よ。熟成過程で水分が飛んでいる上、マイナス30度以下の極低温で何日も冷凍保存していたものだから、寄生虫は完全に死滅しているわ」


 ま、雪女わたしの場合は寄生虫や細菌が体内に入っても凍結死するから問題ないんだけどね、などと小声で呟くのが聞こえる。

 本当に人間が食っても大丈夫なのかよ。


 俺は薬味がたっぷり乗った肉に醤油を掛け、恐る恐る口に入れてみた。

 半解凍のルイベ状態の肉は、確かに美味かった。シャリシャリという食感も心地よく、脂身あぶらみの少ない鹿しか腿肉ももにくは噛めば噛むほど味が出てくる。


「……そういや、さっき液体窒素がどうのこうのとか言ってたが、一体何度くらいまで温度を下げられるものなんだ?」


 ふと疑問に思い、俺は六花に尋ねてみた。


「それほど大したものじゃないわよ。せいぜい、マイナス273度くらいが限界ね」


「なるほど、マイナス273……って、絶対ぜったい零度れいどじゃねえか!!」


 俺がツッコミを入れると、六花はくすくす笑って、


「冗談よ。実際のところは、マイナス200度以下は中々苦しいかな」


「それでも空気が凍る温度じゃねえか。ま、俺も空気を凍らせるのは得意なんだけどな」


 ほら、こんな風に。


「……さむっ! 風邪を引くかと思ったわ」


 お前さっき、細菌が体内に入っても凍結死するとか言ってなかったか? ていうか、あやかしも病気になったりするもんなのか?


 などと漫才をやっているうちに、俺たちは肉を食い終えた。

 ちなみに、雪女は大地の精気を吸収するだけで十分存在を維持できるらしいのだが、それだけでは味気ないので、人間と同じような食事もるのだそうだ。


「人間と同じ食事、と言っても、熱いものは食えないんじゃないか?」


「食べること自体は全く問題ないわ。一瞬で冷めるから。問題は、冷めたら美味しくないってこと」


 なるほど。熱々のラーメンを冷やして食っても美味うまくないだろうな。

 冷麺しか食えないわけか。


「それはともかく、じゃあそろそろ麓に降りましょうか」


 そう言って、六花は足元に氷のスキー板をつくり出し、氷のライフルが入ったゴルフバッグとクーラーボックスを軽々とかつぐと、俺の準備が整ったのを確認してから、すぅっと滑り出した。

 ひらひらと手を振って、ついて来いと合図する。


 本来スキーコースではないので、普通ならまともに滑れなさそうな箇所もいくつかあったのだが、六花の足元に雪道が出来てゆくので、その後ろについて行けばいい。

 そうして、20分くらい滑っただろうか。俺たちは麓の温泉街に着いた。

 いや、ここは俺が車を置いているゲレンデの駐車場からはちょいと離れてるんだが……。

 まあいいか。麓に辿り着けただけでもありがたい。

 俺が礼を言おうとすると、その前に六花が尋ねた。


「そう言えば、あなた一人で来ていたの? 連れはいないの?」


 一人で悪かったな。俺は恋人もいないボッチアラサーなんだよ。


「ふぅん、恋人いないんだ」


 何故嬉しそうな顔をする。


「じゃ、助けてあげたお礼に、あれおごってよ」


 六花はそう言って、ソフトクリームをねだった。

 雪女がソフトクリームか。ベタだな。まあいいけど。

 つか、こんな寒い場所でも意外に繁盛してるのな。


 六花にはミルクソフトを買ってやり、俺もチョコソフトを買って一緒に食った。


「冷たくて美味しい食べ物って、もっと他にないものかしら?」


「アイスクリームとか?」


「いや、もっと違う方向性で」


「シャーベット」


「うーん、やっぱりそういう系統しかないか」


 六花は少し寂し気に笑うと、じゃあねと言って山へと帰って行った。

 その背中を見送ってから、俺はスキー板をかつぎ、駐車場へと向かう。


 まさか雪女に遭遇するとは夢にも思わなかったが、もう二度と会うことも無いだろう。

 俺はもう一度山の方を振り返り、六花の色白で美しい顔立ちを思い浮かべた。



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注! ジビエ肉の生食は大変危険です。絶対に真似しないでください!


前作『指がささくれ立った女』では名無しだった主人公に名前が付きました(笑)。

『虚構推理』の雪女さんの影響を受けていることは内緒♡

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