侯爵家執事 セバスチャンの日常

蒼あかり

第1話


「ウォッホン」


 初めまして皆様。

私の名はセバスチャン・クルームドと申します。

 セルディング侯爵家にて執事長として仕えている者でございます。

 執事の朝は早ようございます。

 侯爵家の皆様が起きる前から準備を整え、気持ちよい朝を迎えていただけるよう支度をしなければなりません。

 皆様よりも早く起き、自室にて身支度を整えてからドアを開けます。

 執事たるもの、乱れた姿をたとえ使用人であろうとも見られるわけにはまいりません。

 今も壁に掛けた鏡に向かい、身だしなみに不備がないかをチェックしております。しかし、部屋の鏡は小さく顔しか映らなものですから、胸より下は廊下のガラスに映して確認をすることにしております。

 それでは、今朝も一日皆様に良い日でありますように、心からお仕えしてまいります。



 廊下を歩いてまずは、長い玄関ホールのガラスに自分の姿を映します。

 まだ外は薄暗く、姿見にはちょうど良いのです。

 前、OK。右、左、良し。後ろ……大丈夫でしょう。

 最近、体が硬くなり後姿を確認するのに苦労しますが、背中のしわもなく完璧でございました。

 さ、厨房に向かいましょう。


 お! さすが、セルディング侯爵家の料理番は優秀ですね。すでに物音がしています。


「おはようございます」

「あ、セバスチャンさん。おはようございます。いつも早いですね」

「何をおっしゃいますか。君こそ早いじゃないですか。今日の火の当番はルド、あなたですか」

「はい。今週は僕の番になります。一週間よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。で、料理長は?」

「料理長さんなら、奥でメニューを考えてるみたいです」

「そうですか。では、行ってみましょう、ありがとう」


 料理長は、今朝のメニューは何にするおつもりでしょうかねえ。


「料理長殿、おはようございます」

「ん? ああ、セバスチャンさん、おはようございます。相変わらず早いですねえ」

「ええ、それが仕事ですから。で、今朝のメニューは何にいたしますか?」

「そうですねえ。裏の鶏のヤツが卵を産み渋りましてね、ご家族分に少し足りないんでさぁ。なんで、朝は混ぜてオムレツにしようかと……」

「なるほど。最近産まない日が多い気がしますね。鶏も年をとったのでしょうか。そろそろ買い足しの頃合いかもしれませんね」

「そうですねえ。余っても問題ないんで、少し多めに増やしてもらえると有難いんですが」

「わかりました。後で業者に掛け合ってみます。それと、最近奥様の食が細いようですので、滋養のある物をお願いしたいのです。オムレツにチーズを入れてはいかがでしょう」

「ああ、奥様ですね。お残しになることが多かったので気にはなっていたんですがね。そうですね、チーズ入りオムレツで滋養をつけてもらいやしょうか」

「ええ、それでダメならまた考えましょう。よろしくお願いしますね」



 奥様の食の細さは料理長も気になっていたのですね。

 季節の変わり目は体調を崩しやすくなりますから、気をつけていただかなくては。もうすぐ社交シーズンが始まります。奥様にはセルディング侯爵夫人として、社交界を牛耳っていただかなくてはなりませんからね。

 私は料理長と話しをしながら、白湯を飲み干しました。まだ肌寒い朝には胃に染み入るようです。


 さて、次はメイド達の様子でも……。


「セバスチャンさーーーん。ミイ様が見つかりません!!」

 

 はあ、まったく。

 この声はメイド見習いのマリーさんですね。


「マリーさん。どうしました? まだ早い時間です。皆さまの眠りを邪魔するような大きな声は慎みなさい」

「はっ! す、すみません」

「で、一体どうしたのですか?」

「あ、そうでした。ミイ様が見当たらないのです。どこに行ったのでしょう?」

「ミイ様なら、どなたかのベッドの中なのではないですか? 最近少し寒さが戻ることも多かったですからね。猫は温かいですから、暖を取っておられるのかもしれませんよ」

「ああ、なるほど! さすがセバスチャンさんですね。ありがとうございます」

「お世辞は結構です。さ、早く持ち場に戻りなさい」

「はい。行って来ます」


 彼女はまだ一年にもならないメイド見習いですが、どうもオッチョコチョイというか、落ち着きがなくて困ります。ゆくゆくは奥様付の侍女を目指しているようですが、これではいつまで経っても望む未来には程遠いでしょうねえ。


 さて、私は旦那様の執務室の準備に取り掛かりましょう。

 最近、領地改革の準備で旦那様は朝早くから机に向かわれることが多くなりました。少しでも捗るように準備はきちんとしませんと。

 ああ、良かった。ルドはちゃんと暖炉に火を入れておいてくれていましたね。

 彼はしっかり者です。さっきのマリーさんと同い年とは思えないほどちゃんとしています。彼はもう少ししたら、ドア係にしても良いかもしれませんね。


 

 さあ、今日の分の資料は準備終わりました。

 そろそろ朝食の様子を見に行きましょう。


「準備はいかがですか?」

「執事長、おはようございます。準備はすでにできております」

「そうですか、いつもありがとう。助かります」

「とんでもありません」


 彼の名はケイシー。奥様の遠縁に当たる出自で、大変頑張ってくれています。まだ年齢は若いですが、能力の高い彼は旦那様や奥様の信頼も厚く、このまま育ってくれれば良いと思っています。

 そろそろ家庭を持っても良い年齢ですし、どなたか良い方を奥様と相談した方がいいかもしれませんね。

 

 さて、旦那様を起こしてまいりましょう。


 「さあ、皆さん。私は旦那様にお声をかけてまいります。準備をお願いしますね」

「「「はい!!」」」


 ああ、何と良い返事なのでしょう。さすがセルディング侯爵家の使用人です。

 これも旦那様と奥様の人望によるところなのでしょう。

 朝から顔がほころびますね。



『コン・コン・コン』


「……、旦那様、おはようございます。セバスチャンでございます」

「……、……、チリン」


 鈴が鳴りました。旦那様がお目覚めでございます。

 昨夜は奥様と同衾ではなかったご様子。私は後ろに仕える侍女に目配せし、彼女たちには奥様のお部屋に向かってもらいます。

 私の軽い合図だけで意思疎通のできるほどに、躾のなった彼女達です。これも奥様の教育の賜物でございます。


「旦那様、失礼いたします」


 私はドアを大きく開けると、後ろに仕えていた使用人と共に入室します。

 

「おはようございます。今朝は少し肌寒いですが、良い天気でございます。日中は穏やかな気温になることと思います」


 まだベッドの中にいる旦那様に声をかけながら、寝室のカーテンを開け、太陽の光を部屋に射し入れます。

 旦那様は幼少の頃から寝起きがあまりよろしくない方ですので、身支度に少々時間をかけないといけません。

 ワゴンに洗面用の道具を持ち込んだ使用人に声をかけ、私は濡れたタオルを旦那様に差し出しました。

 それを片手で受け取ると顔に当て、もぞもぞと動かしておいでです。

 まったく、お子も大きくなられたというのに、いつまでたっても寝起きは幼い子供の頃のままでございますねえ。

 私は使用人にまかせ、旦那様のクローゼットを開き本日の支度にとりかかります。今日は一日邸で執務にあたる予定でございますから、堅苦しくない方がよろしいでしょうかね。

 一揃いを移動式ハンガーラックにかけクローゼットから持ち出すと、旦那様はベッドから起き上がり、水で顔を洗っているところでございました。

 本日は、比較的目覚めがよろしいようです。


 旦那様の身支度を手伝い食堂までご案内すると、今朝の新聞をお渡しします。


「本日は外出のご予定はございません。奥様をお待ちになられますか?」

「ああ、そうだな。ゆっくりしていようか」

「かしこまりました」


 私は下がり、旦那様用のモーニングティーをご用意します。

 

「旨いな。やっぱり朝のひと口は、お前が入れたお茶が良い」

「ありがたきお言葉でございます」


 ああ、この一言で、今日も一日頑張れます。

 旦那様は使用人にも礼を言う、素晴らしいお方でございます。亡くなられたお父上、前侯爵様もそうでした。高位貴族であるにも関わらず、大変お優しい、暖かい方でございます。


 私の入れたお茶を飲み、新聞に目を通す。こんなゆっくりとした時間を過ごしていただけるとお疲れも飛んで行くのでしょうが……。



「ぅぁーー……」

「うあーーん」


 ああ。残念ですが、旦那様の静かな時間は終わりでございます。


「アマリア様がお目覚めのご様子。少々、見てまいります」


 チラリと視線を動かし縦に振られた頭を確認すると、私はアマリア様の元へと急いで向かいます。


 おや。これは、これは。なんともお可愛らしい。


「アマリア様、おはようございます。いかがなさいましたか?」


 アマリア様は片手を奥様に、もう片方には兎のぬいぐるみの耳を握りしめ、引きずりながら歩いて来られました。


「セバスチャン、おはよう。この子を頼めるかしら?」


 奥様も苦笑いでございます。


「かしこまりました。さあ、アマリア様。セバスチャンでございますよ」

「あ~~ん。セバン」


 アマリア様は兎の耳を放り投げると、両手を大きく広げ小走りで私に向かってまいります。なんともお可愛らしいお姿。幼少の頃の旦那様を思い出します。


「さあ、一緒に食堂に参りましょう。旦那様がお待ちでいらっしゃいますよ」


 まだ少し眠いのでしょう。私の首に小さな両手を回しぴったりと抱き着いております。強く回された手は少々息が苦しいですが、この可愛らしさに比べれば私の命など惜しくはありませんとも。


「アマリア。またセバスチャンを困らせているのか? 困ったヤツだな」


 後ろから声をかけるのはセルディング侯爵家のご嫡男である、クリス様でござますね。


「クリス様、おはようございます。このような姿でご挨拶、失礼いたします」


 私はアマリア様を両手で抱きかかえたまま、落とさぬように軽く頭を下げます。


「アマリアの我儘だ、構わないよ。こら、アマリア。あまりセバスチャンを困らせるんじゃないぞ」


 クリス様は私の腕の中のアマリア様の頭をふわりと撫でると、食堂に入って行かれました。


「さあ、アマリア様。皆様とご一緒に朝食を召し上がりましょう」

「リア、おなかすかない」

「おや、そうですか。それでは、食後のデザートもおあずけでございますね」

「デザート? なに?」

「アマリア様のお好きな、チョコレートプディングでございますよ」

「チョ……。リア、食べる」

「はい。では皆様とご一緒に朝食を召し上がりましょう。デザートはその後でございますよ」

「……うん」


 アマリア様はまだ5歳でございます。クリス様と歳が離れた妹君という事で、皆様大変可愛がっておられます。

 先ほどはあのように振る舞われておられたクリス様も、幼い頃は大変寝起きが悪く、奥様や乳母を大層困らせておいででした。

 アマリア様はなぜか私の言うことは聞いてくださるので、困った時のセバスチャン頼みと言ったところでしょうか。

 妻子を持たぬ私としましては、孫をあやすような感覚でございますね。

 ああ、なんてお可愛らしいのでしょう。目に入れても痛くないとはこのことでございましょう。


 あ、これは……。私としたことが、失礼いたしました。


 さあ、皆様が食堂にお集まりです。朝食を召し上がっていただきましょう。





『チリン・チリン』


 おや、微かにベルの音がしますね。門番からの連絡です。

 門番の控えの部屋から線を結び、鈴が鳴るようになっておるものです。わざわざ走らずとも知らすことが出来るので、大変役にたっております。

 さてさて、どなたかいらしたようですね。おや? 馬上の方は騎士。しかも、あの腕章の文様は王宮のもの。急ぎの使いのようです。


 ああ、やはり貴族議会からの使いでございました。旦那様に少しはゆっくりとしていただきたかったのですが、議会からの徴収ではしかたありません。

 

「旦那様。貴族議会からの早馬でございます」

「徴収か? 仕方ない、準備を頼む」

「かしこまりました」


「あなた、出かけられますの?」

「ああ、議会からの徴収だ。帰りの時間はわからんな」

「そうですか。お気をつけて」


 皆様、残念そうですが仕事でございます。仕方ありません。


「旦那様が王宮に向かわれます。馬車の用意を」


 私は使用人に指示を出すと旦那様の自室に急ぎ、議会用の身支度を整える準備をいたします。さすがに朝食も取られ、目も覚めたご様子。


「本日のお供はケイシーでよろしいでしょうか」

「ああ、構わない」


 ケイシーに旦那様のお付きを頼むと、私は一足早く馬車の確認に参ります。


「馬車の準備は大丈夫ですか?」

「はい。いつでも出られます」


 後は旦那様を待つばかりでございます。


 ケイシーを伴い階段を下りて来られるお姿は、さすが親子。亡き、前侯爵様を思い起こさせるほどにそっくりでございます。

 前侯爵様に目をかけていただき、今の私があります。ああ、返しても返し切れない御恩を……。おっといけない。こんな所で涙ぐんでは可笑しいと思われてしまいますからね。


「旦那様、行ってらっしゃいませ。お気をつけて……」


 さあ、一日は始まったばかりです。

 やることは山のようにありますからね、元気に参りましょう!




皆様朝食も済まされ、私ども使用人はそれぞれの持ち場に分かれます。

侯爵家の皆様付の者はその身のおそばに付きます。下働きを含め、それぞれが役割分担をしておりますので、暇な人間など一人もおりません。

私も、旦那様がお出かけになられました後は、しばし執事の仕事をこなして参りましょうか。

まずは銀食器の管理でございます。

皆様のお食事が済みますと、使用された後の銀食器の数を確認後、パントリーにしまうのが私たち執事の仕事でございます。

銀食器はそれぞれの家のいわば財産でございますれば、財産管理をまかせられました私の仕事なのでございます。

数を確認し、磨き上げる。これも執事の仕事でございます。

一片の曇りもないように磨き上げるこの時間は、心が「無」になり澄んでいくのがわかります。



「…………」

「…………」



 はっ! 失礼いたしました。心を無にして磨いていましたら、時間が経つのも忘れてしまい……。ああ、もうこんな時間でございますね。

 あ! この懐中時計でございますか? これは、今は亡き前侯爵様から執事職を賜りました時にいただいたものでございます。

 これはいつ、いかなる時でも、片時もこの身から離すことなく、侯爵家の時間を刻み続けております。定期的に点検をし、長い年月を共に過ごして参りました、大切な分身でございます。

 ほら、ご覧くださいませ。蓋には、セルディング侯爵家の家紋を入れていただいております。領地にそびえる美しい山々と、大地を飛ぶ大鷹が刻まれたものでありまして、大変美しい彫金でございます。

 え? ああ、申し訳ありません。お見せするだけで、お手に触れていただくわけにはいかないのです。これは私と、侯爵家の皆様だけがお手に触れても良いものだと、そのように私は解釈しております。

 侯爵家の家紋入りの物は、それを悪用する者から守るためにも厳重にする必要があります。いえ、あなた様を疑っているわけでは決してありません。ありませんが、もしものことがございます。どうぞ、お許しくださいませ。



 さあ、そろそろお茶のお時間でございますね。侍女長殿の担当ではありますが、少し様子を覗きに行ってみましょうか。


 ああ、本日のお茶はお庭の四阿でなさっておいででした。

 最近、日中は暖かい日が続いておりますので、気持ちよくお過ごしになられるでしょう。皆様にこやかで、楽しそうでございますね。


 では、私は執事室で事務仕事などと参りましょうか。




―・―・―




「セバスチャンさーん。晩餐のメニューを相談したいと料理長が捜してい……。

モガモガ、ムグ」

「マリー、静かになさい。執事長はお仕事中です。邪魔をしてはなりません」

「は、はい、侍女長。で、でも料理長が……」

「私から言っておきます。あなたは早く持ち場に戻りなさい」

「はい。わかりました。すみません、失礼します」

「……、ふぅ。まったくあの子は騒がしくてかなわないわ。悪い子ではないだけに、困ったものね」


(執事長は執務机に向かってうたた寝をしていられる。あんな船を漕ぐ姿を若い子に見せるわけにはいきません。彼にはいつまでもあの子達の理想であってもらわなくてはなりませんからね。

 お忙しいのですもの。少しくらい休んでも罰はあたりませんとも。

 さ、料理長の所に行ってきますか)



 おや? 何やら騒がしいようですが、気のせいでしょうか?

 ああ、私としたことが少しうたた寝をしていたようです。窓から差し込む陽の暖かさで思わずといったところです。

 私ももう、寄る年波には敵わないのかもしれません……。いえいえ、まだまだ頑張らなければなりません。セルディング侯爵家のために、私は役に立たせていただかねば。さ、もうひと仕事ですね。




―・―・―




 旦那様も晩餐には間に合い、皆様就寝の準備でございます。

 私は本日残りの雑務を済ませ、もう少ししたら戸締りをしにいきましょうか。

 それにしても、何事もなく無事に一日が過ごせましたこと、感謝の思いでいっぱいでございます。

 これも全て、旦那様や奥様を始めとする侯爵家の皆様が、真面目に実直に過ごしてきたおかげでございましょう。

 亡き前侯爵様の後を継いだ、旦那様はやはり素晴らしい方でございまし……


『コン・コン・コン』


 おや? 良い所ですのに、誰でしょう?


「はい。どうしました?」


『ガチャッ』


「失礼します。執事長、アマリア様が泣いておられまして。名前をお呼びです」

「おや。アマリア様が、この私を? それはすぐに行かねばなりません。

 ありがとう」


 メイドが呼びに来るなど、乳母も手を焼いておるのでしょう。

 私の名を呼んで下さるなど、天にも昇る光栄。

 急がねばなりませんね。


「うわーーーん。うわーーーーーー!!」


 おや、こんな廊下にまで声が漏れておられる。お可哀そうに。


『コン・コン・コン』


「アマリア様、セバスチャンでございます」


「…………」


「うわーーーーーーん! セバァンーーーー」


『ガチャ』


「ああ、執事長。申し訳ありません」

「いえいえ、他ならぬアマリア様の頼みでございますれば、何をおいても駆けつけねばなりませんからね」


 私はメイドの開けてくれたドアをくぐり、アマリア様の自室に入りました。

 ああ、なんとおいたわしい。真っ赤に目を晴らし泣きじゃくるアマリア様がいらっしゃいました。

 乳母に抱かれてもなお泣き続けるそのお顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃです。ですが、それでもなお可愛らしいなど、天使でございます。


「せばんーーーーーーー」


 ああ、乳母の腕の中から伸ばされた小さな手が、私に向けられておるなど、夢のようでございます。


「アマリア様。セバスチャンが参りましたよ。どうなされたのですか?」


 私は乳母からアマリア様を受け取ると、優しく抱きしめます。

 よしよしと背を撫でれば、アマリア様は濡れたお顔を私の執事服で拭っておられます。この執事服、侯爵家から支給される物でございますので大変品質は良いのですが、お顔を拭うにはいささか固いと思うのです。


「悪い夢でも見られましたか?」


 私の問いに『こくん』とひとつ頷かれ、またぴたりと吸い付くようにされました。このまま眠るまで抱っこしておいた方がよろしいでしょうかね。


「アマリア様。今夜はわたくし、セバスチャンが眠られるまでゆらゆらいたしましょうか?」

「……、ん」

「かしこまりました。では、少しばかり固い布地とは思いますが、どうぞ私めの胸で眠られてください」


 こうなっては、アマリア様は意地でも私の腕を離さないと思います。

 昔、クリス様の時もこのように眠るまで抱っこしたことを思いだされます。

 クリス様はかなり大きくなるまで、私の手を離さなかったと記憶しておりますので、やはりご兄妹。似ておられるのでしょうか。


『ゆらゆら・ゆらゆら』



「執事長……」


 ん? メイドの様子では、どうやら眠られたようです。

 もう少し、このままでいても良いのですが、そうも言ってはおられません。

 アマリア様を起こさないように、ゆっくり、ゆっくりと寝台に……。


 ふう。どうやら大丈夫のようですね。

 メイドに頭を下げられ、私は退散するといたしましょう。



 う~~~ん。やはり、長い時間抱っこは少々身体にキツイものがございます。

 ですが、私を必要としてくださるうちは、どんなことでも体を張ってやらせていただきます。

 皆はもう後片付けも終わったようですね。それでは、戸締の確認をしてまいりましょう。



「セバスチャンさん」

「ああ、料理長殿」

「アマリア様の件、お聞きしました。大変でしたね」

「いえいえ、お可愛らしいお嬢様を抱っこできるなど、今だけのことですからね。特権でございますよ」

「ははは。そりゃあ、違いねえや」

「それより、どうなさいました? こんな時間まで、私に何か?」

「ああ、そうでした。これ、夜食の差し入れです」

「私にですか?」

「セバスチャンさん、アマリア様の件で晩飯食いそびれちまったから。

 ついでに奥様方のおやつの残りも入れときやした。焼き菓子なんで日持ちしますから、いつでも食べてください」

「ああ、ありがとうございます。言われてみれば、なんだかお腹が空いた気がしてきました。ありがたく頂戴いたします」

「じゃ、俺はこれで」

「料理長殿、ありがとうございました。良い夢を」

「へへへ、おやすみなせえ」



 料理長殿も私と同じくらい早起くに起き、遅くまで頑張っていらっしゃいます。私も見習わなければいけませんね。


「くんくん」


 ああ、良い匂いです。今日のまかないは何だったんでしょうか?

 さ、戸締りも終わったことですし、部屋に戻って早くいただかせてもらいます。楽しみですねえ。






 セルディング侯爵家 執事長 セバスチャン


 彼は料理長から受け取ったバスケットをルンルン気分で胸に抱くと、浮かれた足取りで自室に戻って行った。

 中身はまかないのチキンの香草焼きをサンドイッチにしたものと、軽いサラダだった。そしておやつには、焼き菓子がたくさん入っており、彼はいくつかをハンカチに包むと引き出しに仕舞い込んだ。

 日持ちがするというからには、明日の分も取っておこう。そう思い、自然に頬が緩んでいった。

 今日一日の事を思い出しながらまかないを頬張り、幸せなひと時を過ごすのだった。




 こうしてセバスチャンの一日は幕を閉じていく。

 代わり映えのしない、彼の日常。


 良い夢を……。


 おやすみなさい。セバスチャン。




「むにゃむにゃ。おやすみなさいませ……。むにゃ」





~おしまい~






最後までお読みいただき、ありがとうございます。

作者の偏執的な執事セバスチャン愛にお付き合いいただき、ほんと申し訳ありません。

ご縁がありましたら、またどこかでお会いできることを楽しみにしております。


ありがとうございました。


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侯爵家執事 セバスチャンの日常 蒼あかり @aoi-akari

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