第2話 サイドB〜リョウマと宮田先輩〜

「先輩、ここは……」


「今、はなさないで! 大事な作業中なのだから、マスクしてても飛沫が入る恐れがあるのよ!」


「すみません……」


 また宮田先輩に怒られてしまった。指導係のこの人はとても厳しい。マスクだけではなく、防護服も着用しているから飛沫は周りに飛ばないと思うのだが。


 しかし、今はこの人に怒られても苦では無い。こう言うとドМみたいだが、僕はこの宮田先輩に恋をしてしまったからだ。元をたどれば『ささくれ菌』の治療法の研究が発端だから人生何が起きるのかわからない。


 いや、それより先輩の彼氏がいるかどうかを確認する方法がわからない。研究職で白衣や防護服を着るため、髪型は仕事しやすそうなショートだ。当然アクセサリーも禁止だから指輪の有無もわからない。

 兄さんに相談したら「とりあえずがっつくな」と言われてしまった。弟の自分が言うのもなんだが、あのメタボ気味の陰キャ兄ですら結婚できたのだからもっといいアドバイスくれると思ったのに。


「森山君、手が止まってる!」


「す、すみません」


 ああ、また怒られてしまった。全ては恋のせいだ。でも、先輩に怒られてばかりでは嫌われてしまうかもしれない。僕は作業を再開しようとしたその時。


『ジリリリリリ!!』


 けたたましく火災報知器のベルが鳴り出した。誤動作の可能性もあるので、館内放送を待つかと思いつつ、念のため作業を中断する準備を始めたところ先輩は動揺した声で叫び始めた。


「なんでこんな時に火災ベル鳴るの? まずいわ、これは中断すると一からやり直しになる、でも慌てて放り出すと、こないだのバッファロー騒ぎみたく細菌が漏れる恐れが……えええ、どうすれば、どうしよう」


 先輩は想定外に弱いタイプなようだ。ひたすら「どうしよう」と言って固まっている。


 作業を中断すべきでは……と進言しようとしたとき、白い煙がどこからか流れてきた。どうやら放送より早く火の手が来たようだ。


「うわあああ、ど、どうしよう」


「先輩、実験はやり直しが利きますが、命はやり直しできません。惜しいのは分かりますが、中断して避難しましょう!」


 僕は強引に先輩の実験道具を滅菌処理機に放り込み、手を引いた。このタイプはパニック起こして固まってしまうので声をかけたくらいでは動かない。今は安全と命の確保が最優先だ、上下関係は考えない。


「え、でも、これは……」


「手をはなさないでください! 煙があるから姿勢を低くして! 視界が悪いから僕が誘導します!」


 下心なんてものじゃない、こんなところで先輩が一酸化炭素中毒や火に焼かれて死ぬなんて考えたくない、助けないと。さっきは『はなさないで』と叱られ、今度は僕が『はなさないで』と注意する。同じ響きなのにこんなにも違うのだな。


 僕は必死に先輩を引っ張って、避難路を通り、非常口に向かった。


 そうして、非常口に付いて脱出に成功した時にやっとアナウンスが流れてきた。復旧工事の所から出火したというが、既に消火したこと、安全確認のため避難した人はその場所で待機するようにという内容だった。


 ボヤのようであったが、アナウンスを待っていたら、ますます煙が強くなって不安も増して避難もままならなかっただろう。僕はいつも飛行機やホテルでも真っ先に脱出ルートと非常口を確認する。

 人からはきっちりしていると言われるが、単に小心者なだけだ。この建物内の非常口は全て把握している。バッファロー襲撃の際は非番であったから今回が初めての避難だったが役に立った。


「あ、あの森山さん」


「は、はい。すみません。ボヤだったようなのに無理矢理ここまで避難させてしまって。あの実験はやり直しですね。僕も手伝い……」


「いえ、ありがとう。避難させてくれて」


「え?」


「いえ、私はこういう突然の想定外になるとフリーズしてしまうのよ。だから今回の火事も私だけだったら、きっとどうしようと迷っているうちに煙に巻かれたかもしれない」


「そ、そんなお礼を言わなくても」


「いえ、助けてもらったのですもの。この借りはちゃんと返します」


 も、もしや恋がいい感じに進行している? そんなつもりは無かったのだけど。


「先輩もパニック起こすことがあるのですね」


「そうなの。皆には冷静にしているように思われるけど、本当はフリーズしたり、慌てて突拍子もないことをしてしまったり」


 なんか、妙にしおらしい先輩だ。お礼って食事かな。それならうれしいな。だって彼氏いる人なら後輩とはいえ、異性を誘わないはずだ。


「こないだのバッファロー襲撃の際もパニクって、ジュラルミン盾で数頭しか防御できなかったし」


 ん? 何かおかしなこと言ってないか? って何で研究所に盾があるの?


「もっとメンタル鍛えなさいと師匠からも言われているのだけど、なかなか」


 何の師匠が聞いてはいけない気がするが、聞かずにはいられない。


「えっと、何か習っているのですか」


「ちょっと護身術を」


 いや、護身術でジュラルミン盾って使う? 力はもしかして義姉さん並み?


 頭の中でグルグルしているとアナウンスが流れてきて,工事中の場所で漏電したための火事であったこと、安全が確認できたとのことであった。


「さ、戻りましょう。森山さん、実験のやり直しを手伝ってもらいますからね」


 いつもの先輩に戻った。とりあえず今は手伝いをしよう。先輩のことはもっとよく知った方がいい。いや、その人のことを知りたい気持ちって恋、だよな。今の話を聞いてドン引きしなかったのは義姉さんで耐性ができているためか。


「はい!」


 兄さん、僕はどうやら兄さんと同じタイプの人に恋したようです。兄弟だからでしょうか。

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【KAC5】「はなさないで」という言葉について 達見ゆう @tatsumi-12

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