俺、LiD/APD(聴覚情報処理障害)を知る

きみどり

俺、LiD/APD(聴覚情報処理障害)を知る

 レジの前にはわらわらと列ができている。

 高校初めての春休み。ついに許可を得て、俺は人生初のバイトを始めた。

「セットドリンクはどうなさいますか?」

「ん~コーヒーにします」

 よし。だな。

 レジ画面からコーラを選択しようとしたところで、お客さんが続けて言った。

「ホットで」


 っぶねー!

 ホットコーヒーだったわ!


「ホットコーヒーですね」

 マスクの下で笑顔を取り繕って、コーラを選択しかけた指をホットコーヒーへと方向転換させた。心臓がバクバクいっている。


 こういうことが度々ある。

 聞き間違えたり、聞き取れなかったり。


 バイトでも裏方を担当している時は、まだ良かった。……いや、良くはないんだけど。

 突然出された指示を聞き間違えたり、聞き取れなくて何度も聞き返したり。他の店員と世間話をしていても、見当違いな返事をしたり、聞き取れないまま笑って誤魔化したり。


 当然、レジを担当している今はもっと悲惨だ。

 何度間違えて注文をとったことか……


 みんなマスクをしているから余計に難しい。口元が見えないと頼れるのは音だけだし、「相手がしゃべり出すぞ」と身構えることもできない。



 幸い店長も先輩たちも優しかったから、今のところは「まだ慣れてないから仕方ないよ」、「高校生だからスタッフもお客さんも年上ばかりで緊張するよね」と許してもらえている。

 お客さんも、俺の胸についている若葉マークのおかげか、逆に「頑張ってね」と声をかけてくれたりする。


 でも、このままバイトを続けていったら……仕事の出来ないヤツだとバレて、クビにされるに違いない。

 いや、もうすでにうんざりされている気がする。


 惨めだ。


「いらっしゃいませー!」


 気持ちが落ち込んでも、仕事は待ってはくれない。俺は目の前の業務になんとか集中しようとした。


 まずメインを聞き取る。これは大体のお客さんがカウンターに置いてある写真付きのメニューを指差してくれるから、もし聞き取れなくてもなんとかなることが多い。

 問題はその後のサイドとドリンクだ。


 耳に気合いを入れたその時、二番目に注文を待っているグループがワアッと盛り上がった。

 盛り上がった、と言ってもマナーの範囲内だ。だけど、その声は俺の耳にキィンと飛び込んできて、感覚のチャンネルを狂わせた。


 目の前のお客さんが注文する声。

 その後ろで盛り上がるグループの声。

 別の店員が「いらっしゃいませー!」、「お待たせいたしましたー!」と接客する声。

 背面の厨房の音。

 店内でかかっているBGM。


 その場にある全ての音が混ざり合い、解読不能なとなって襲いかかってくる。


「ドリンクはファンタグレープでお願いします」

「えっと、アップルジュース……ですか?」


 ダメだ、全然聞き取れない!

 せめてメニュー表にドリンクの写真も付いていれば……


 後ろに並んでいるグループが、またドッと盛り上がった。


 お願いだから、話さないでくれ!

 注文しているお客さんの声以外、全部消えてくれ!


「すみません、もう一度いいですか……?」

「ごめんなさい、聞き取れなくて……」

「……?」

「えっと……」


 お客さんも怪訝な顔をしている。もうダメだ……


 そう思った時、お客さんがくるりと後ろを向いた。盛り上がっているグループに話しかけているようだ。

 何かを指差して、ペコリと頭を下げた後、もう一度俺の方を向く。

 盛り上がっていたグループは静かになった。


 お客さんは俺に対しても、ショルダーバッグを指差してきた。そこには、耳に「?」の描かれたコアラのイラストの缶バッジがついている。しかもその上下に「聞き取ることが苦手です」、「ゆっくりお話ししてください」という文字まで添えられている。


「ごめんなさい。私、周りがにぎやかだと言葉を聞き取れないことがあるんです。多分、今、おかしな受け答えしてましたよね?」

「……えっ!?」


 お客さんも俺の声を聞き取れてなかった!?

 てか、あの缶バッジ、なに!?

 もしかして聞き取れないのって、俺だけじゃない……!?


「あの、その缶バッジ、何ですか? 俺も周りがにぎやかな時とか、人の声が聞き取れないことがあって」

 仕事中にも関わらず、思わず聞いてしまっていた。当然お客さんは目を丸くしている。でも、その表情をふっと柔らかくして、その人は教えてくれた。


「LiD/APD……聴覚情報処理障害って聞いたことありませんか? 聴力には問題がないのに、言葉を聞き取ることができないんです」

 バッグからメモ帳を取り出して「LiD/APD(聴覚情報処理障害)」と書くと、その人は俺に渡してくれた。


「良かったら、これもどうぞ。お仕事、大変ですよね。もしかしたら役に立つかも……」

 その人は缶バッジを外すと、それも俺にくれた。

「えっ、でも俺、診断されてないし、もらうなんて悪いですし」

「症状を自覚している人なら、誰でもつけて良いんですよ。それに私は同じもの持ってますから」


「聞き取ることが苦手です」と書かれた缶バッジをじっと見下ろした。

 これをつければ、お客さんにも店のみんなにも、自分のことを説明しやすいかもしれない。若葉マークを外した後も、「やる気がない」とか誤解されずに済むかもしれない。


 学校だって。聞き取るのが苦手なことをみんなに知ってもらえれば、「真面目に聞けよ」とか「そのキャラ面白くねぇから」とか言われずに済むかもしれない。


「……ありがとうございます!」




 その後も自分の聞き取り能力と格闘し続け、やっと退勤時刻を迎えることができた。

 ボロボロになって帰宅し、ソファーにでろんと座る。ボーッとしたままテレビをつけて、友達と話を合わせるために見始めたアニメを、頭空っぽのまま眺める。


 セリフが聞こえないな……


 ボケーッとしながらどんどん音量を大きくしていく。すると、場面が切り替わったところで急に効果音が大音量で流れ、ビクッと体が跳ねた。


「うるっさ!」


 音量を元に戻して、字幕をつける。

 セリフの前にキャラクターの名前が表示されて、大事なシーンで思わぬネタバレを食らった。だから嫌なんだ、字幕は。


 そこでハッとする。

 もしかしてこれも、ナントカってやつの症状なのか?


 今日のお客さんからもらったメモと缶バッジを引っ張り出す。

 俺はスマホに「LiD/APD」という文字を打ち込むと、かすかに震える指先で検索ボタンをタップした。

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