暮色蒼然
田中ソラ
本編
「景ー!」
俺、
名前は
でも佳子は俺を好きじゃない。俺のほうなんて全然見てくれない。
「雄介くん! おはよう!」
「おう」
「……景、いい加減にしないか」
「奏には、わかんないよ」
幼稚園から一緒の幼なじみに毒を吐くぐらいには、あの子に侵されていた。
俺は重度の恋愛症だろう。嫌なものだ。
あの子は俺を見ない。
俺と桜木は似ているんだ。背格好も一緒だし、声も、顔だってほとんど一緒で。遠くから見たら判別できないぐらい一緒なのに、あの子は俺を選んだくれなかった。
桜木はずっと俺の好きな子を盗っていく。
「景? 景大丈夫か⁉」
「……ああ」
「意思をしっかり保て。あの子の好きなら、正々堂々とアタックしにいけばいい」
「そう、だよな。うん、俺頑張るよ」
邪見なことしか出てこない思考回路。俺は相当重たいらしい。
まだ小学生なのにこんな恋愛すると思ってなかったし、母親に話しても子供の恋愛だとバカにされてばかり。でも、奏だけは真剣に話しを聞いてくれて、解決策を考えてくれた。
頼れる親友。
奏のおかげで戻って来た余裕。でも、それは一瞬にして崩れたんだ。
「雄介くん! 一緒に帰ろ!」
「おう」
桜木と佳子が付き合った。桜木も佳子のことを好きだった。
ああ、まただ。また、桜木に奪われた。
一度目は、一年生の時。隣の席になった女の子に恋したけど、その子は桜木に一直線で、今でも好きだと耳に挟むほど。
二度目は四年の時。告白してくれた女の子となんとなくだけど付き合って、一緒に帰るたびに好きが増していった。仲良い四人にも紹介した時、桜木に惹かれたらしくて。俺が振られた。
三度目は今。
どうして桜木は俺の好きな人を取るんだ。いいなって思った子をお前も好きになるんだ。
顔だけじゃなくて、女の子の趣味も一緒だなんて嫌気がさす。
だから俺は今度の友情に皹を入れるような、失敗をしたんだ。
「急に呼び出してどうしたんだ? 何か話か?」
「……佳子と、付き合ってるよね」
「ああ、そうだけど。てか名前呼びしてたか?」
「そんなことどうでもいい。単刀直入に、別れてほしい」
「は? なんで」
「俺が佳子を好きだから!」
今思えば、とんでもない暴論だなって思う。
桜木も佳子のこと好きだったのに俺が好きだから譲れって。子供騙しもすぎる。
でも、桜木はそうじゃなかった。
「……わかった」
「え」
「佳子とは別れる。あと〝今後、俺のことを好きになる奴は全部夕暮のもの〟だから」
ほぼ一方的に取り決められた約束。でも、俺にとっては嬉しかった。
今後どれだけ好きな子が被っても自分のものになるし、桜木が付き合うことはない。
でも、この約束は自分自身を苦しめていくことになった。
六年生になって。修学旅行の時期になった。
佳子はいまだに桜木のことを好きだけど、俺と付き合ってる。押したら顔が似ているからってOKしてくれた。その時は付き合えたことが嬉しくて、それでよかった。
でも今は、俺を通して桜木を想ってることが苦しくてしょうがない。
佳子のこと諦めたい。でも桜木が佳子と付き合うことはもう二度とない。約束を破るような奴ではないことはこの六年でよく知っている。
辛い。苦しい。やめたい。
そう思っていたのが伝わったんだろう。修学旅行最終日、俺は佳子に振られた。
「景。今日は元気だな?」
「……ああ」
心の底から疲労していたけど、別れたことでその疲労が取れたらしくて。
奏曰く、顔がすっきりしていたらしい。でも佳子と別れて、桜木との約束を思い出して。胸が苦しくなる。どうしてあの時あんなこと言ったんだろう。どうして自分の我儘だけを通そうとしたんだろう。
しんどい、なあ。
「なあ景。お前、雄介になんか言った?」
「え?」
「アイツ、好きって言ってた子の告白も断ってるし。お前らよく好きな奴被ってただろ。雄介が断りだしたのも佳子ちゃんと景が付き合い始めてからだし」
「……」
真剣な目で言う松木に俺は何も返せなかった。親友のことが大事な松木にとって俺は親友の恋を邪魔する邪魔者でしかない。
でも誰にも嫌われたくない俺は松木に話すことができなかった。そしてそれを奏にも適用された。
「最近大丈夫か? アイツらに言いにくいことあったら相談乗るぞ?」
「私も。男の子に話しにくい女の子の話とかあるでしょう? なんでも言ってね」
でも唯一。
罪悪感に押しつぶされそうな俺は泣きながら二人に約束のことを告げて。すると二人は何も言わずにただ、黙って背を撫でた。
励ますわけでもなく、罵倒されるわけでもなく。ただ、何も言わなかった。
でもそれが俺にとっては、心地よいものだった。
中学は桜木と松木と離れた。正直、ほっとした。
もう恋愛で被ることがなければ、約束が果たされることもない。そう、思っていたのに。
「お、桜木と松木じゃねぇか! 小学校ぶりだな!」
「おう久々だな」
「変わってないね!」
いつかの仲良し五人グループが全員同じ高校になった。
小学校の時と違って何気ない会話でも俺に振って来る桜木はもうあの約束のことなんて忘れてるのかもしれない。でも俺にとっては生涯忘れられることでない重大な約束。
だけど本人が忘れているなら気を遣うことはないのかもしれない。高校二年の頃まではそう思ってた。
「俺の好きな子隣の共学に入って来たんだよね!」
「いいじゃないか」
「俺気になるし見に行ってみたい」
なんて面白半分で見に行ったことを後悔した。
松木は一直線にその子のもとへ行くけれど、俺はその子の隣にいた子に釘付けになった。
佳子にそっくりなその子。あの子がそのまま大人になったような容姿の彼女。俺はその子を目で追うようになって気が付いたんだ。
あの子も、桜木のことが好きだって。
その時思ったんだ。ああ、まだあの約束は有効だろうかって。
あれだけ罪悪感に押しつぶされそうになって、もうなかったことにしたはずなのに自分の都合の良い時だけそれを持ってきた自分に呆れた。
でもあの子のことを忘れられないし、自分のものにしたい。その気持ちはあの頃よりも大きくて、自分を抑えることはできなかった。
あの子。
あの約束を知ってる二人を呼び出して、都合の良い空間を作り出した。
上手く行くとは思っていない。でも、あの子が少しでも俺に矢印を向けてくれればいいと思ってた。
ただ、それだけだったのにあの子は俺の全部を見破って、白状させた。
彼女を巻き込むつもりは本当になかった。約束のことだって話すつもりじゃなかった。なのに、あの子の目を見ると嘘をつけなかった。
純粋な、ただ一人の男に恋してる目。
俺はここで気づいた。俺はあの子たちを確かに好きだった。だけどそれ以上にその目を、一人に向けて恋しているその情熱的な目を向けてほしかったんだ。
そしてその目を向けられてる桜木が、心底羨ましかったんだって。
馬鹿なことをした自覚はある。でも、それ以上に自分を惨めに思って仕方なくなった。
美琴ちゃんは俺のことを透明だって言ったよね。でもそれは違うよ。
ここまでのことを全部考え尽くして、ただ自分の欲望を果たすためだけに行動した俺は透明なんかじゃない。一人の男を想って、こんな俺にまで優しくしてくれる君のほうがよっぽど透明な心を持ってる。
「いってらっしゃい」
そんなこと言える君に、俺はこれからどんな心を向ければいいのだろうか。
「おお。お前ひとりで来るなんて珍しいな」
俺は走って小学校の時に記憶を頼りに桜木の家へ向かう。量産的な名字ではないのですぐに家を見つけることができて、後先考えずインターホンを押すと桜木が出て来た。
その顔は驚いていて、無理もない。あまり二人で話さない俺が来たのだから。
桜木から投げられた会話をろくに投げ返すことなく、俺はすぐに本題に移った。
「……小学校の時に交わした約束、覚えてるか?」
「急になんだ? なんか約束したか?」
「今後、俺のことを好きになる奴は全部夕暮のもの」
「!」
「このことについて話がある」
「芽久が、ほしいのか⁉」
「違う。俺今までこの約束で桜木が傷ついて、自分の恋愛を諦めてその結果女嫌いになったと思ってた。でも椎名さん見る目に気づいてその考えが変わった。そして自分の心にも気づいた」
何が言いたいか、分かっていないだろう。
俺だって考えがまとまってないし、言いたいことを要点的に言えてない。
でも自分の心をそのまま伝えたい。
「あの約束を盾にして、恋されてない自分を言い訳してた。本当にごめん。椎名さんのことを盗ろうなんて一切思わないし、俺は別に想ってる子がいる」
「……それで、お前はどうされたい?」
「殴ってほしい。俺を」
「は?」
「けじめ、つけさせてほしい。こんなもので許されるなんて思ってないけど、けじめをつけたいんだ」
殴られただけじゃ、あの青春は戻ってこない。
俺はそれだけのことをしたんだ。それなのに。
「なら、殴って全部終わりな。俺は今まで忘れてたし、別にそのことでお前のこと恨んだりしてない」
「え……」
「でも芽久だけは、やめろよ。お前のその言葉信じるからな」
そう言って右頬に強い痛みを感じた。
頬張った桜木の手が頬にめりこんで、痛かったけどどこか解放されたようですっきりした。
それと同時に、桜木の椎名さんへの気持ちの強さを実感して、美琴ちゃんのことをどうしようかと迷ってしまった。あの子と桜木がお似合いなのは、心の底から思った。
だけど、桜木はそうじゃない。きっと近い日に拒否される日が来るだろう。
俺はその時あの子にどれだけのものを返せるだろうか。
あの子にとって辛い日々が多くて。俺がどれだけ支えになれてるかなんてわからない。小田も寒田さんも彼女の想いの辛さを分かっていて、一緒に出掛けてくれることが多くなった。
そんな日。俺が塾の夏期講習でパスしていた近くの大きな夏祭りで事件は起こった。
授業がひと段落ついてまったりしていると急に小田から電話がかかってきて。
疑問に思いながら出ると小田は緊迫した雰囲気で俺に訴えかけてきた。
「夕暮! 春日井さんと桜木が衝突した! 俺じゃ抑えられないし水城も放心状態だ。頼む、こっち来てくれ」
「すぐ行く」
その言葉を聞いて夏期講習なんてどうでもよくなった。美琴ちゃんが俺の中で一番。
佳子のことを通して美琴ちゃんを見るのではく、俺はいつからか美琴ちゃん自身を見るようになった。あの子のためにできることはなんでもしたい。あの子の涙は見たくない。
なのにあの子は辛い恋愛へ足を入れたまま。だからこそ、支えてあげたい。
「どういう状況だ⁉」
到着した頃には場は想像を絶するもので。椎名さんと向かい合う松木。それをきつそうな目で見る桜木。泣き腫らした後のような顔をしているのに未だ涙が零れたままの美琴ちゃん。
そして少し離れた位置で放心状態の奏とそれを宥める小田。
俺がどうにかしなければ、この場は終わる。それだけは早急に判断できて。
話し合いを後日に持ち越すことに成功して。椎名さんと美琴ちゃんを送り届けた後、俺は小田と奏に連絡をした二人に合流した。
詳しい事情を聴くと二人は辛そうな表情を浮かべた。
「春日井さん相当きつそうだった。椎名さんと縁切れって桜木に言われてたし」
「僕、何もできなかった……あの子の辛さを分かっているはずなのに」
「奏は悪くないよ。頭に血が上った桜木と、ただタイミングが悪かっただけだよ。仕方ない」
いつかは起こることだって想定してたことの一部、ってことを誰にも言うつもりはない。正直まだ会話のしようがあるから想定していた別のものよりはマシなほうで。
でも、あの子がきついことに代わりはない。
「たぶんあの子、全部終わらせるため桜木に告白すると思う。その時は場を収めるためにも二人に協力してほしい」
「分かった。僕でよければいつでも力になる」
「俺も。冬実にこっちに来る日聞いて予定合わせるように行ってみる」
「ありがとう」
二人は凄く協力的で。まあ、流石にあの状況を目の当たりにして美琴ちゃんを見捨てるほど薄情の奴らでもないことぐらい分かってた。
これからのことを考えているとふと、奏が無言の空間を切った。
「なあ景。一つだけ聞きたいことあるんだけどいいか?」
「なに?」
「美琴ちゃんのこと、どう思ってる?」
「……好きだよ。もう、佳子の面影なんて感じないぐらいには」
はっきり言えた。あの子、春日井美琴が好きだって。
この想いを叶える気はない。美琴ちゃんが幸せになればそれでいい。だけど、忘れ行くこの日々のどこかに俺を残したい。
どうすれば、あの子に自分の想いを心の中に置いておいてもらえるだろうか。
それから少しして。花火の日の話し合いが始まった。
美琴ちゃんはずっと辛そうな顔をしていて。告白するときも涙目で、一生懸命だった。すぐに頑張ったねって言ってあげたかった。
だけど桜木は断りの態度をしているのに言葉で否定することはなかった。
俺の好きな子から好きだと言われているのにはっきり断ることもしない桜木の煮え切らない態度に、俺は怒りを覚えた。
辛い美琴ちゃんの前では出さない。でも、次に桜木と会う時はどうだろうか。
たぶん隠すことはできないだろう。
「なあ桜木」
「……分かってる。殴れよ」
何も言わなくても自分がしたことの重大さを分かっているのだろう。俺はすぐに桜木へ拳を振りかぶった。頬へめり込む拳にいい気分は全くしなくて。
でも美琴ちゃんの辛さは桜木も十分知ってる。だけど、味わってほしかった。
あの子がどれだけ桜木の言葉で傷ついたか。
あの子がどれだけの涙を桜木のために流したか。
あの子がどれだけの気持ちを振り絞って告白したか。
全部、全部味わって忘れてほしくなかった。
一人の女の子から告白された、だけで終わらせてほしくなかった。
「殴ったことは謝る。でも美琴ちゃんに対してのことを謝る気はない」
「ああ、それでいい。それでおあいこだ」
桜木とこれ以上、この話題で話すことはない。
だけどお互い何を想い、何のためにこうしたかなんて分かっている。だからこそ、多くは語らなかった。
「健二くんおめでとう!」
それからの日々は早いもので。今日は俺達の卒業式。遠くで松木に花束を渡す椎名さんが見えた。
桜木の目は今だに椎名さんに向いたままで。当分変わりそうにない。桜木にもいつかいい人ができるし、椎名さんを忘れらる時が来る。
そう思いながら視線を外したその先にはそんな桜木を見る美琴ちゃんがいて。奏から聞いていたけど桜木を見ている場を見るなんて思っていなくて。
彼女の瞳にはまだ憂いが残っていて。辛そうで。
俺はそんな目を隠すように後ろから言った。
「だーれだ」
「え⁉」
凄く驚いていて、とても可愛かった。
そして彼女は口ではもう想っていない、というけれど目は口ほどに物を言う。まだまだ君も諦められそうにないんだね。
そんな彼女に俺は自分のネクタイを引き抜いて握らせた。
心のどこかに俺を置いておいてほしい。俺は君を置いて行くのに君の心を独占したい。
〝好き〟だって言いたい。
だけど、ここで玉砕されても思い続けるほど俺の心は強くなくて。
言葉で誤魔化して。でもやんわりと伝えることができたことに満足した。
それから四年。俺は遠くの大学へ進学して、美琴ちゃんに自分から連絡を取ってくれ、なんて言ったのにほとんど連絡を取らなかった。彼女を縛りたいのに縛りたくなくて。奏や椎名さん、松木から送られてくる美琴ちゃん情報を頼りに四年間勉学へ励んだ。
そして短期留学の間に松木と椎名さんが結婚して式を挙げるらしくて。行きたかったけど行くことはできなかった。
だけどたまたま時間空いて、式には間に合わないけど少しでも顔を見せることができるので急遽飛行機へ飛び乗った。
四年ぶりに会える彼女。言葉での近況だけで彼女の姿を見たことはない。だけど凄く綺麗になっているだろうし、俺の想いなんて忘れて別に男がいるかもしれない。
それよりも、彼女に一目でも会えることに喜びを感じ、悪い想定なんて全て吹き込んだ。
奏にだけは連絡を入れ、式場を聞く。簡易で用意したスーツは長時間飛行機に乗ったからか少しくたびれていて。格好悪い。
邪魔をしないように静かに歩いていると一人、女性が中庭で座っていた。その横顔には見覚えがある。
「幸せに、なりたいな」
その言葉、手には俺のあげたネクタイ。俺は足音を立てないように急いで向かう。
そしてあの時のように言うんだ。
「だーれだ」
あの時よりも大人になった香り。髪がアップになっているので白い項が見える。黒く美しかった髪は綺麗な茶色に染まっていて。彼女の美しさを引き立てているように見える。
長時間真冬なのに外にいたからだろうか、冷えた目元に赤くなった指先。
全て変わって、綺麗になった。でも、反応だけはあの時と変わってない。
「久しぶり。覚え、てる?」
「……うん。全部、覚えてるよ」
振り向いたその顔は泣きそうで、でも笑っているはとても美しい彼女。
あの時は桜木に向いていたその目は、ずっと向けられたいと懇願していたその目は今俺にだけ向けられている。
「愛してる」
四年間待たせてごめん。俺だけが君を幸せにしたいです。
暮色蒼然 田中ソラ @TanakaSora
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