夏の冒険

香山 悠

本編

 小学四年生の少年エスの部屋は、エアコンが効いていた。


 同級生のヤマとカッチは、テレビゲームに興じている。エスは、椅子の背もたれを正面に回してまたがるように座りながら、何度も読んだ漫画に目を向けている。


 いつもより早めに、今日は解散した。明日は、夏休み終了の一週間前なので、顔見せの登校義務があるのだ。


 その日の晩、エスは夢を見た。


 漫画の登場人物たちが空を飛んでいるのにあわせて、自分も地面を高速で移動している。何か目的を持っていると、エスは感じていた。


 行き着いた先は、学校だった。




 エスが目を覚ました翌日、教室では、お寺の近くにパンダが出た、という噂が広まっていた。


 三人は放課後、さっそく集まって情報を交換しあった。


「お寺って、東山ひがしやまのヤツだよな」


 エスが確認すると、二人ともうなずいた。


「で、どうするべ」


 ヤマが言った。語尾に「べ」を付けるのが、最近のヤマのマイブームらしい。


「どうするって?」


 エスが訊き返した。


「女子たちがぎゃあぎゃあ騒いでたべ。あいつらがあのまんま見に行ったら、せっかくのパンダが逃げるべ」


 確かにそうだ。エスは焦った。


 こんなチャンス、逃してたまるか。


「オレたちで、先にソイツを見つけようぜ」


 三人とも、ニヤリと笑った。


 エスたちは一旦解散し、一時に東山の参道入口に再び集合した。


「お前のそりゃなんだ?」


 カッチが、エスの背中を指差しながら訊いた。


 エスは、父親のギターをケースごと持ってきていた。


 パンダは、実は凶暴だとどこかで聞いた気がするので、いざというときは大きな音を出して、驚かそうとエスは考えていた。それに大きいので、武器にもなるはずだ。


 参道を上って、お寺の境内から山林に入る。その途端、空気が変わったようにエスは感じた。


 三人が地面を踏む音や、木々のざわざわとした音だけが聞こえる。山林に入るまでは軽口を叩いていたヤマも、口を閉ざして、大きな虫網を両手に握りしめている。




「おい、こりゃなんだ?」


 突然、カッチが地面を指さした。地面が不自然に凹んでいる。自分たちの足より、丸に近くて大きい。何かの足跡に、見えなくもない。


 エスの身体に、緊張が走る。


 さらに手がかりがないか、三人で周囲を探索した。


 エスが、木の幹の異変に気づいた。


「キズが……」


 尖ったもので、縦に引っ掻いた傷が三本付いていた。地面からはおよそ一メートル、エスの首程度の高さにある。


 二人も、傷を見に近寄ってきた。ヤマが、ギターケースを手で押しのけようとする。それに気づいたエスは、ケースを正面に抱きかかえた。


 全員が、絶句していた。




 十数メートルほど離れた茂みが揺れたのにまず気づいたのは、またもやカッチだった。


「おい、なんかいっぞ!」


 全員が茂みの方を見る。


 声を合図にしてか、ガサッと、茂みから黒い塊が現れた。


 体高は七十センチほどだろうか。光の加減でところどころ、黒い身体が白く光って見える。首元には、横長の白い模様が見え隠れしている。目の周辺の色も、黒というより白に近い。


 エスは、その獣から目を逸らせなかった。全身が痺れたように動けない。


「わあっ!」


 ドシャッ、とエスの背後から音がした。思わず振り向くと、ヤマが尻もちを付いていた。どうやら後ずさっていると、木の根に引っかかって転んだらしい。


 視線を外した一瞬で、獣は距離を詰めてきたようだった。音がしたと思い慌ててエスが正面に向き直ると、もう十メートルと離れていなかった。


「ぎゃー!」


 ヤマとカッチが、同時に叫んだ。エスの頭が、真っ白になる。


 エスはとっさに、ギターケースの細いネック部分を、両手で挟むように持った。ケースを滅茶苦茶に振り回しながら、叫びながら、獣に向かっていく。


「ワーッ!」


 エスの視界は、涙で滲んでいた。自分の叫び声で、周囲の音も耳に入ってこない。


 ケースが何かに当たる感触が、エスの手に伝わった。


 エスは驚き、ケースから両手を離した。それから反対を向いて、気配を頼りに、二人の後を全力で追いかけた。


 エスの頭の中で、キーンと音が鳴っている。息を荒げて走っているはずなのに、地面を蹴っている気がしない。


 気づけばエスたちは、参道入口まで戻ってきていた。


 町が見えて、エスは全身の力が抜けた。他の二人も、疲労困憊のようだ。もう何をする気も起きないので、今日は解散することにした。


 その日の晩、エスは夢を見なかった。




 翌日、三人は再びエスの部屋に集まった。昨日の冒険について興奮気味に語り合い、部屋は熱気に包まれる。


 そのとき唐突に、エスは思い出した。父親のギター。ケースごとブンブンと振り回しただけでなく、なんと山奥に放りっぱなしであることを。


 父親にばれるのは、時間の問題である。


 夏休みが終わるまで、もう一週間を切っていた。

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夏の冒険 香山 悠 @kayama_yu

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