第21話 ち、近すぎだから……

[奏視点]




 降車ボタンを押し、近くに停車した停留所にて僕達はバスから降りる。

 降りてすぐ、結衣は周辺をキョロキョロと見回すと、車道を挟んで向こう側、すぐ目の前の施設から空高く聳え立つ鉄塔を見上げた。


「航空管制レーダーなんだって」


 そう声を掛けると、結衣は見上げながら、ぼーっと、


「へぇ〜、そうなんだぁ……」


 と、どこか上の空な調子で応えた。

 鉄塔から視線を外したその後も視線を所々へ散らし、心ここに在らずといった、どこか落ち着かない様子だ。


 辺りを漂う閑散とした雰囲気。

 小高い山の頂上にて聳え立つ鉄塔。

 その麓にある古びた集合団地。


 そして今僕らが立つこのバス停留所こそが、そう。


 いつも夢の中で蘇る幼き日の記憶――と初めて出会った場所であり、そしてこの市営団地はかつて僕と両親と、家族三人で暮らしていた場所だ。

 懐かしい景色を目の前に、幼い頃の記憶が鮮明に蘇る。


 しかし、何と言うか……


 長閑のどかな田舎の風景の中に不調和な近代的建造物(巨大鉄塔)が聳え立つ様と、その麓にひっそりと存在する人気ひとけの無い古びた市営団地。

 改めて来てみると、何とも言えない……どこか不気味とも取れるような独特の雰囲気が漂っている。

 どことなく異世界のような世界観。結衣はその物珍しさからキョロキョロと視線を散らしてるのだろう。


「将棋道場はここからもう少し歩いた先だよ」


「……うん」


 僕の声掛けにようやく風景から視線を切った結衣は、どこか名残惜しそうに歩きだすのだった。




 田畑に囲まれた一本道を二人並んで歩く中、結衣がいつになく大人しい。


 いつもなら結衣の方から話題を振ってくれるのだが……。


「さっきの団地、昔住んでたんだ」


「……そうなんだ」


 話題を投げ掛けるも会話は続かず、嫌な沈黙が落ちようとした時、ふと、の事が思い浮かんだ。


 今はどんな話題の種にも縋りたい。

 そう思った僕は口を開いた。


「……でね。僕がまだ7歳だった頃、この辺りで同い年くらいのある女の子と出会った事があって……」


 それを口にした途端、結衣はこちらを振り向いた。


「――え?」


 一瞬ホッとした。よかった、と。振った話題に反応してくれた――って。

 でも、ちょっとリアクションが思ってたよりも大袈裟というか……。


 振り向いた結衣のその表情はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような、目を見開き、口は半開きで唖然とした様子。

 直後、その見開いた目に薄っすらと涙のような膜が張ると、口を結び、何か強い思いが押し寄せたかのような表情に変わった。


 …………あれ? 何か悪い事でも言ったかな?


 返ってきた表情の色があまりに想定外で、そのただならぬ様子に気後れした僕は毎度の如く言葉を詰まらせていると、


「……(覚えて、たんだ……)」


 結衣が何か小さく呟いた。でも、その内容までは聞き取れなかった。


「え?」


 聞き返した僕に結衣は「ううん。なんでもない」と、困ったような笑みを浮かべると逆に、


「私の話……」


 そう言い掛けて、今度は結衣が言葉に詰まった。


「え?」


 促すように聞き返して、結衣はようやくといった感じで絞り出すように、


「……私の、初恋の話なんだけど――」


 と、僕の表情を窺うように見上げた。……うん。


 ……初恋。

 ……初恋、ねぇ……。

 ――初恋、かぁ……。


 まぁね。

 普通なら超が付くほどの国民的アイドルの知られざる初恋事情だ。

 一般では知り得ない、貴重とも言える話だろう。


 でも、今の僕には正直耳が痛いというか、出来れば聞きたくない話だった。

 とはいえ、露骨に嫌な態度を見せるわけにもいかず、僕は仕方なく「……うん」と返事を返す。すると、結衣はすかさず僕の顔を覗き込むようにして、


「あれ? もしかして……嫉妬かな?」


 と、たった今までの物静かでどこか余所余所しかった態度は何処はやら。いつものような揶揄うような笑顔が戻っていた。

 ただ、寄ってきた結衣の顔があまりに近か過ぎて、僕は反射的に歩く足を止めて後ろに退いた。


「……え?!――ち、違うよっ!」


 と、揶揄ってきた内容を全力で否定すると結衣は泣きそうな顔で、


「……そ、そんなに逃げなくったって、いいじゃん……」


 そう言ってしゅんと顔を下へ向けた。


 決して、嫌で逃げたわけじゃない。

 ただ、ここまでの美貌が突然眼前まで迫ってくると……驚くというか。

 それに、そもそも僕はこういった今ある状況に慣れていない。

 これまで僕は女子とこんな親しい間柄になった事は無いし、ましてやその相手はあの佐々木結衣だ。


 ……そりゃ、逃げるでしょーよ?


「いや別に、嫌ってわけじゃなかったんだ……何というか、僕、女子に慣れてないからさ……傷付けたなら、ごめん……」


 そう申し訳無く言うと、結衣の表情は一転、クスっと笑みを零した。

 こやって喜怒哀楽と表情豊かな所がまた結衣の良い所だと思う。


「そっか。慣れてないんだぁ〜。それじゃあ、仕方ないね……(じゃあ、これから私が調教……じゃなかった、教えてあげなきゃね……)」


「――え?」


 結衣の言葉の最後らへん。また何かボソっと言ったようだったが、そこの部分は聞こえなかった。


 と、そうこうやり取りを交わしてる間に――


「ここだよ」


「あ、ここなんだ。……そういえば、私将棋道場って来るの初めてだなぁ」


 結局結衣の初恋の話は流れたまま、目的の将棋道場へと辿り着いてしまった。

 多少気にはなるけれど、それより聞きたくないという思いの方が大きかった。

 それに所詮は幼き頃の初恋だ。今も引き摺ってるわけでもあるまい。聞かずに済んで良かったと思う。


 ――と、ここでふと思う。……そして、気付く。


 これまで自分には不釣り合いな相手だと、溢れ出す想いに蓋をしてきたが、知らずその想いは膨らみ続け、やがて蓋は押し上げられ、今やその想いに対して制御不能となっていた事に。

 こうなってしまった以上、もはや想いを閉じ込める事は不可能だ。

 でも、だからといってどうする?――告白する?――まさか!


 はっきり言おう。

 僕は結衣に恋してる。

 

 それは認める。だが、やる事は今までとなんら変わらない。

 一貫して。想いを押し殺し、隣人として接する。それあるのみ!(……美人局の疑惑もあるし……)


 何をどう足掻いたって僕みたいなのが結衣のような女の子と付き合えるなんて事、あるわけないのだから。


 ……さて。辿り着いた将棋道場に目を移そう。

 長閑な畑道の途中にぽつんと建った、昔ながらの造りの平屋の一軒家だ。解放された掃き出し窓から中の様子が見える。

 周辺の閑散とした雰囲気とは逆に建物の中は多くの人で賑わっており、将棋の緊迫した雰囲気よりも和気藹々と将棋を楽しんでいる様子が窺える。

 その様子を見た結衣が、


「なんか楽しそう!早く行こ!」


 と、キラキラと目を輝かせ、「早く早く」と僕の手を引いて僕等は建屋の入り口戸へと向うのだった。




 ◇◆◇




 靴を脱ぎ、道場内へ足を踏み入れる。

 室内の様子は三十畳程の広い畳の間で、長机が左右ニ列に等間隔に並べられ、その上に折り畳み式の将棋盤が置かれている。既に四組の対局が行われていた。

 世間話をしながら指す所もあれば、真剣な眼差しで盤を睨み合う所もあったり、感想戦をしている所もある。

 どちらかといえば、外から見えた通り和気藹々といった雰囲気だ。


「はい。一人500円ね」


 靴を脱いで上がったすぐそこに受け付けテーブルがある。

 そしてそこに座って入場料を請求してきたこのおばさんの顔を僕は知っている。

 かつて将棋に心血を注ぎ、足繁く通っていた頃の記憶だ。

 何年振りだろうか。懐かしい。

 おばさんは僕の事には気付いていないようだ。


「それにしてもデート場所に将棋道場ここを選ぶなんて渋いカップルだねぇ。それにアンタ。こんな可愛い子連れて……大人しそうな顔してやるじゃない」


 と、冷やかすように微笑むおばさん。


「で、デートって……そういうんじゃないですよ……」


 財布を取り出しながら否定するも歯切れ悪く、おばさんはそれ見て更に笑みを深めると、


「おやおや。初々しいねぇ」


 と、更に冷やかしを言った。

 隣りでは結衣が財布からお金を取り出しながら「クスクス」と笑っている。


「……もう! 行くよ!」


 僕はその場から逃げるようにして結衣の手を引くと道場内へと足を踏み入れたのだった。

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隣に引っ越してきた清麗な元アイドルが僕とペアになりたいと寝かせてくれません 毒島かすみ @busumiya

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