或る高校文芸部の日常
於田縫紀
3月14日放課後、文芸部活動場所の第二会議室にて
「さて、今回のKAC2024、第5回のお題は『はなさないで』だ。これについて君達はどう思う?」
部長の眼鏡がもったいぶった感じでそう尋ねる。
「書きにくいですね。どうしてもカズオ・イシグロの『私を離さないで』を頭の中にイメージしてしまって」
1年の井狩がそんな事を言う。
確かに『私を離さないで』は名作だろう。
しかし読者としてはともかく、書く方の文芸部員としてそれではまずい。
だから俺はこう意見する。
「ここでわざと『はなさないで』と平仮名にしたのは、『don't leave』と『don't speak』の
「ふふふふふ、まだまだ甘いな、君達は」
部長がそういつもの調子で笑う。なお文芸部の幽霊ではない部員はこの3名だけだ。
俺以外は曲者ばかりだが、それはまあ置いておいて。
さて、俺は今の言葉に納得出来ないので聞いてみる。
「なぜ甘いんですか。出題者の意図は間違いなく
「ああ、おそらくはそうだろう。筒井君の意見はおそらく正しい。出題者はまさに『離さないで』と『話さないで』を意図したのだろう」
部長もそこは認めているようだ。
なら何処が甘いのだろう。
「ただここでその意図に乗ってやるなんてのは癪にさわらないかい、君達は。折角出題者が平仮名を使ったどうにでもとれるお題を出してくれたんだ。ここは出題者の想定外を突くようなものを書かないと面白くない!」
出題者の想定外か。
そう思ったところで井狩が手を上げる。
「ひとつ思い浮かびました。こんなのはどうですか。登場人物がひたすら『・・・・・・』という会話を繰り広げる小説!」
何だそりゃ!
部長はにやりと笑う。
「つまり、『話さないでー』という小説か。甘いな。それ位は出題者も想定内だろう」
「じゃあ部長は思いついたんですか? 出題者も想定外な小説を」
「ああ」
部長は自信たっぷりな表情で頷く。この表情に騙されてはいけない。部長はいつでも自信たっぷりなのだ。
たとえ中身のない下らない事しか考えてなくても。
「それでは披露しよう。僕の『はなさないで』の小説を」
◇◇◇
「それでは紹介しよう。本場イタリアから呼び寄せた最強の殺し屋、ジャッカルさんだ」
おお……。指定暴力団鬼切組の組長室に、気の抜けた歓声とまばらな拍手が巻き起こる。
昨今の日本のヤクザ業界では、ある殺し屋による被害が続出していた。
組長及び幹部クラスを殺害し、殺した証拠に自分の名刺を置いていくというとんでもない殺し屋だ。
とんでもないが腕は確かで、既に50余りの組がトップ及び幹部を殺され解散した。
なのでここ、鬼切組では高い金を出してイタリアから助っ人を呼んだのだ。
「フフフフフ、ミーが来たからには、クミチョーさんやカイチョーさんには指一本、触れさせないデス」
そうジャッカルが宣言した、まさにその時だった。
バン! バン! バン!
親の説教よりも聞いた音がその場を襲った。
「うっ!」
「おっ!」
「あ゛っ!」
若頭、本部長、舎弟頭が相次いで倒れた。趣味が悪い柄の分厚い絨毯に赤い染みが広がっていく……
「何奴!」
黒留袖姿の女性が現れた。返事のかわりに白い紙片が飛ぶ。
紙片には名前らしきものが書いてあるのが見えた。つまり名刺、ということは……
「貴様、あの殺し屋か」
若頭補佐が叫んで懐から銃を取り出そうとする。
バン!
間に合わずにあっさり倒れた。赤い染みが更に広がっていく。
「先生、お願いします」
組長の葉良黒がジャッカルに頭を下げた。その時には既にジャッカルも抜いている。
バンバン! バン!
銃声が複数回鳴り響いた。
そして倒れたのは、男3人。
黒留袖姿の女性がすっと銃を袂に収める。かわりに右手に取り出したのは白い紙片。
倒れたジャッカルの前にもその紙片が落ちてきた。
『殺し屋
「ユーが噂の『ハナ・サナイ』デ…ス…」
言葉を最後まで発する前に、ジャッカルの息は途切れた
◇◇◇
「どうだ! まさかこんな『はなさないで』は思い浮かばなかっただろう!」
いや部長、ちょっと待って欲しい。
「いくら何でも人名というのは反則過ぎませんか?」
「出題は『はなさないで』としか書いていない。だからこれは正義だ!」
いや、正義という問題ではない気がするが。
ただここで部長と討論してもしかたない。
どうせ奴は自分の意見を曲げないのだから。
俺は俺で真面目に考えるとしよう。
『離さないで』と『話さないで』の、両方の意味を持つ綺麗な物語を。
或る高校文芸部の日常 於田縫紀 @otanuki
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