まさしく崖っぷち才女【KAC20245】

銀鏡 怜尚

まさしく崖っぷち才女

「絶対離さないでよ! 離したら、アンタの脳脊髄液のうせきずいえきに、腰椎穿刺ルンバールバンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌V   R   S   A注入してやるから!」


 目の前で男に向かって叫ぶ才女は、近所に住む幼馴染の余村よむら美稀みきだ。地元の進学校でトップを維持し、県内の医学部を出て研修医になった美稀と、高校を中退し、泥まみれになりながら建設現場で働いている角野かくの洋毅ひろき

 学歴に格差がある2人だが、幼馴染だ。


 美稀は、近くのスーパーとかでばったり出会うと、高学歴を鼻にかけ洋毅を見下してくる。

「洋毅ぃ、アタシは月給40万円だけど、当直で忙しいから使う暇がなくて困っちゃう! そんな君は今日もおつとめ品のお惣菜なんだねぇ。あわれなこと、ほっほっほ」


 美稀は才色兼備なのに中身が最低で、長所を全部打ち消している。


 そんな美稀と洋毅がなぜ一緒にいるのかというと、観光企業が企画した山村さんそん街コンで偶然会ったからだ。

 そして目が合った瞬間、崖から足を踏み外したドジな美稀の腕を、洋毅が間一髪掴んだところだった。つまり、洋毅が美稀の腕を離せば美稀は12メートルほど滑落する。

 

「何だよ、そのルンバでVRゴーグルってのは?」

「ルンバでVRゴーグル? バカじゃないの? お掃除ロボットなわけないじゃないの!」

「へっ! バカじゃないのとは何だ? 俺がこの手を離せば、お前は落ちるぞ、はっは!」

「いやー! 離さないで!」


 生殺与奪の権は洋毅にある。今までマウント取ってきたことを、とくと後悔すればいい。


「いつも俺を見下してくれてありがとよ! でも俺は知ってるぞ! お前の恥ずかしい黒歴史を」

「黒歴史!? は? まさか!」

「小学三年生のとき裸足で落ちてる栗を蹴って、棘が刺さって大泣きしたこと」

「はっ!」

 美稀は急に顔を赤らめた。

「小学二年生のとき教室の床が不自然に濡れてたとき。あれはおしっこに行きたいと言い出せなかったお前が漏らしたものだったってこと」

「ひゃ!?」

「勉強中こっそり鼻ほじって、それを食うクセがあったこと」

「な、なんでそれを!」

 美稀は顔を真っ赤にさせた。

「中学生のとき書いた自作小説の主人公のモデルが……」

「それはやめて! 話さないで! イヤぁ! もう離して」

「はなして欲しいのか? はなして欲しくないのか?」

「離せー! 殺せー! そしてアタシが怨霊になって、あんたの脳脊髄液に狂犬病ウイルス注入してやる!」

「こら、暴れるとホントに離すぞ!」

「やっぱ、離さないで~!」


 容姿端麗な才媛には似つかない醜態を、洋毅にさらしている。

 洋毅は鍛えている。美稀は細身で推定体重40 kg台前半。まだ、洋毅には余力がある。


「あの自作小説の主人公って、中1のとき同じクラスだったはやしがモデルか?」

 林は、クラスでもイケメンだった男だ。

「何、バカなこと言ってんの! あのモデルは、ヒr……あっ!」

「え? 今何と言おうとした? よく聞こえなかった」

「何でもない! さっさとアタシを引き上げなさい!」

「いや、答えを聞くまでこのままだ」

「もうイヤ! 宇宙の彼方から、芽殖孤虫がしょくこちゅうを混入した毒液を塗った吹き矢で、あんたの脳脊髄液に──!」

 何が何でも洋毅の脳脊髄液に、病原体を注入したい美稀。

「こら、暴れるとホントに離すぞ!」

「離さないで~!」

 さっきと同じやり取りを繰り返す。

「じゃあ、二択で答えろ! 俺か、俺以外か?」

「何、急に某ホストみたいな喋り方してんのよ!」

「早く答えろ!」

「ひ、洋毅……」

「俺のことが好きだったのか?」

「あんときはちょっとね! でも今は大っ嫌い! 性格悪いしお金もないし、エボラをアンタの脳脊髄液に入r──」

「それが聞けて良かった。俺もお前のことずっと好きだったんだよ!」

「は!? 何言ってんの!? バカ! アタシは金持ちしか興味ない」

 美稀は頭をブンブン振っている。彼女の顔は真っ赤っ赤だ。

「強がっても無駄だ。俺は知ってんだぜ」洋毅はしたり顔で話す。

「は?」

「お前はモテるのに、俺のことを想って、敢えて金持ちしか興味なさそうな態度を取って、他の男を遠ざけてたこと」

「何言ってんの? バカじゃない!?」

「いや、おかしいよな? 金持ちしか興味がないはずなのに、俺にやたらと絡んでくるもんな。だから、鎌をかけてみた。俺が街コンに行くっていう情報をお前に流したらどう出るか? そしたら案の定、お前も街コンに来たから、確信したよ。俺のこと実は気になってんだってこと。その証拠に、街コン始まってからずっと俺の周りをうろうろしてたろ?」

「……な!」

「お前はどうなんだ? 俺のこと好きなのか?」

「そーやって、アタシにコクらせようとしてんの? 百億年早い!」

「この期に及んでまだツンデレかよ」

「ツンデレじゃない! ムカつくだけ!」

「お前を引き上げれば、好きって言ってくれるか? ほんなら」

 洋毅はぐいっと腕に力を入れる。そして、美稀の身体が持ち上がった瞬間だった。


 その衝動で、洋毅を支える地面に亀裂が入った。

「ヤベっ!」と言ったときにはもう遅かった。洋毅と美稀は地面に向かって真っ逆さま。美稀を死なすわけにはいかない。空中で洋毅は美稀を抱き寄せつつ、少しでも落下速度を弱めるため、爪先つまさきを崖の面を滑らせた。

 ガガガ、と強い摩擦の直後、背中に大きな衝撃と強い痛みを感じ、洋毅は意識が遠のいた。

「洋毅! 生きてるの? 死んでるの!?」

 美稀の問いかけに返事ができない。

「外傷性くも膜下出血だったら、アタシが腰椎穿刺ルンバールで脳脊髄液を採りまくって診断してやるんだから!」

「……」

 美稀は涙を出しながら、顔を真っ赤にさせた。

「アタシに好きって言って、勝手に死なないでくれる? このアタシが、せっかく好きって言ってやろうって思ったのに! 洋毅のことが好きで好きでたまらないの!!」


 その言葉は、洋毅の脳脊髄液……、ではなくて脳細胞の神経シナプスを刺激させた。

「も、もう一回言ってくれ」洋毅は意識を取り戻す。

「ひ、洋毅!」

「バカ! もう言わない! 洋毅に好きだなんて、二度と言わない!」

 そう言って、洋毅をぎゅっと抱きしめた。

「じゃあ、俺だってもう離さない。もう一度好きと言ってくれるまで離さないよ」

「バカ、絶対言ってやんない。だから、ずっとそのままでいなさい」

 救助者の声が聞こえるまで、ずっと2人はぎゅっと互いの腕を離さないでいた。

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