掴まれた手も、目も、離さないで。

石衣くもん

🤝

「青井さんは相変わらず、綺麗な手だね」


 にっこり笑って、そう言ったのは、褒め言葉ではなく嫌味だったのだが、彼女には伝わっただろうか。


 彼女、青井七瀬は、人の感情の機微に疎い人であったから。もしかしたら、普通の褒め言葉として受け取ったかもしれない。

 別にそれでも構わないけれど。


「ねえ、青井さん」

「なに?」

「全部嘘って言ったら、どうする?」


 驚く彼女を真っ直ぐ見つめながら、続ける。


「私が、青井さんに会いたいから、それだけの為に、結婚して妊娠したって嘘吐いたって言ったら」


 目を反らした彼女は、私の手を見つめている。洗い物が二人分になって、手が荒れて困っていると、大して困ってもない相談事に対して興味なさげに


「食洗機でも買ってもらったら?」


なんて、雑なアドバイスをしてくれた彼女は、なんだかんだで私の手を、いや、私のことを気にしているのだ。前からそうだった。


「ねえ、青井さん」


 媚びるための、挑発するような声色と言葉を意識して。

 そっと、彼女の細くて美しい手を掴む。


「やっぱり、綺麗な手」


 彼女は固まって、手を振りほどくことも、やめろと咎めることもできない。

 それをいいことに、好き勝手に言葉を続けた。


「昔、青井さんは解決したがるって言ったの覚えてる? だから、青井さんは私から離れられないのよ。私がいつまで経っても解けないから」


 自分自身で発する言葉なのに、どこか他人事で、そして、裏腹にどんどん自分の感情を昂らせていく。不思議な感覚で、怒りのような、悲しみのような、祈りのような。


「だから、私のことが嫌いな癖にいつまで経っても離れられないの。そうでしょう。そうだと言って」


 彼女は、まだ何も言わないし、手を振りほどこうともしない。私のことが、嫌いな癖に、憎んではいない、薄情な人。

 無意識に涙が溢れてしまったら、それに気付いてギョッとする優しい人。


「……泣かないでよ」


 掴まれていない方の手が、そっと私の涙をぬぐった。罪な人。こんなことをする癖に、私のものにはなってくれない。


 結婚して妊娠したと言って彼女を呼び出したが、結婚は本当はまだしておらず、これからする予定で、妊娠は嘘。彼女がどういう反応をするか見てみたかったのと、そう言えば会ってくれるのではないかと思ったからだ。

 そして、結婚するかどうか、まだ迷っている。


 結婚相手の彼は、誰でも良かったのだ。たまたま彼が結婚したいタイミングで付き合っていた私と、都合が良いので


「そろそろ結婚しようか」


と言われただけ。

 「私」だから、結婚したい、一緒にいたいというわけではない。


 今までの恋人も皆同じ。その時、恋人がいなくて寂しかったからとか、好きか嫌いかでいうと好き寄りだからという理由で私を選んだ。いや、そんなのは選んだと言わない。

 その時の条件に合った私が、たまたま目に入っただけ。


 そんな中、私にだけ強い感情を向けてきたのが青井さんだった。

 無意識なのか、意図的なのか分からないが、いつも私を見ていて、好意があるのかと思って話しかけても当たり障りのないことしか言わない。しかも、たびたび何か言いかけて飲み込むようなことが続いて、きっと本当は思うことがあるのに、それを抑え込んでいるようにも見えた。


 嫌われているのだろうか。

 それでも彼女は私を見ているし、私が困ったことや悩んでいることがあれば、当たり障りのないアドバイスをくれる。

 

 ある日、好きか嫌いかでいうと好き寄りだからという理由で付き合った男から


「ごめん、好きな人ができた」


と振られた。別にそんなに好きな相手ではなかったが、


「やっぱり私でなくても良かった」


という事実を突き付けられたようで、悲しくて堪らなくなった。


 一人、食堂で泣いていたら、そこへ青井さんがやってきた。視界の端に映った彼女は、確実に私だと気付いており、泣いているのがわかったらしく、あからさまにギョッとした顔をして、気まずそうに踵を返そうとした。


 その様子が可笑しくて、少し揶揄ってやろうと声をかけた。

 それをきっかけに私は彼女と友達になることができたのだ。


 彼女は、どうやら自分が考えていることが顔に出てしまうと分かっていないようだった。いつも私に思うことがある癖に、それを隠している。


 彼女がそんなことをするのは、「私」相手だけだった。 

 

 それがどれほど私を喜ばせたかなんて、絶対にこの人は理解できない。

 好意なのか嫌悪なのか、そんなことはどうでも良かった。私にだけ、「私」だから向けられる感情が心地良かった。


 大学を卒業してからも、暫くは構ってくれたのだが、段々と疎遠になってきた。

 私はそれが嫌だった。彼女には、ずっと私に執着していてほしかった。私がいたら、いつも私を見ていた彼女のままでいてほしかった。やっぱり、直接会わないと執着が薄まるのかもしれない。


 けれど、なかなか会う口実が見つからず、「たまには会いたい」と送っても社交辞令だと取られて、会うことは実現しなかった。


 そんな時に、彼にプロポーズされ、ますます、彼女に会いたくなった。

 そうして連絡したところ、漸く会ってくれることになったのだ。


「泣き止んでほしい?」

「……そうだね」

「だったら、離さないでほしいの」


 彼女は一瞬驚いてから、苦笑いしながら


「離さないも何も、そもそも掴んでるのは私じゃなくてそっちじゃない」


と言った。


「手じゃなくて、目」


 私から目を離さないで。

 これからも、私をずっと見ていて。


 無意識でも、無自覚でもいいから、見つめていてほしい。


「青井さんだけなの、私を、見てくれるのは」


 またギョッとした顔をしている、分かりやすい人。

 縋るように、見つめた。彼女は、今度は私から目を離さないでいてくれるだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

掴まれた手も、目も、離さないで。 石衣くもん @sekikumon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ