【KAC #5】混沌の風 ~欲望の渦の中に孤独な狼2匹! 手放すな、その希望!~
二八 鯉市(にはち りいち)
混沌の風(略)
無機質な灰色の建物は、ただぐったりとそこに在る。
人の業と欲の集合体。その建物をそう呼んだって、構いやしないだろう。
びゅぅ、と吹き抜けるのは
「クソッ!」
スマホの画面に表示された時刻は――14時59分。
「何もかも想定外だった」
六実は運転席のリクライニングを倒し、缶コーヒーをぐびりと飲んだ。
「そうだね」
隣の助手席で、六実の友人の五十嵐 アヤメはそっと目を閉じる。
目を閉じれば、鼻腔に誘惑を運ぶかぐわしい香り。
だが今ではそれも忌々しい。
こんな時に、ソレは要らない!
「……アタシたちさ」
六実は静かに言った。
「どこで間違えたんだ?」
「どこ、だろうね」
アヤメは縋るようにスマホ、そして
駐車場の中は淀んでいる。空気が、濁り切っている。渋滞の苛立ち、欲求からの解放。人のあらゆるむき出しの情感が、吹き込む風にのって荒れている。
「……欲、出したからじゃないかな」
アヤメが、自嘲気味の笑みを含んで六実を見やる。
「チッ」
六実は、スカルのロゴが入った帽子を、「あっちィな」と言いながら脱ぎ棄てた。ついでに、こもった空気を入れ替える為、クルマの窓を開ける。獣の咆哮のような風が車内を吹き抜ける。だが、今の苛立ちには丁度良い風だった。
「でも、ちょっと意外だった」
「何がだよ」
「むーちゃんってこういう事、シビアなイメージあったからさ。今日は意外な一面が見れたなって」
「ふざけんな」
六実は刃物のような鋭い視線を向けたが、アヤメの笑みを受け口ごもる。
――アヤメとはたまたま、同じゼミになったことがきっかけで仲良くなった。
自己紹介が「推し活に命かけてます」で、教授には「はて」と言われていた。
感情的なオンナは苦手なんだよ。そう思っていた六実だったが、アヤメの隣では――自分自身の方がむしろ、感情を殺して生きてきたのだと知った。
「……とはいえ、な」
六実は、後部座席に放り投げた荷物を見やる。
黒のパーカー、スカルとバッファロー柄のTシャツ、エナメルのミニスカート。めっちゃいい買い物。
それらがなんと、タイムセールで40%オフだったのだ――
「マジで欲に負けた」
しょぼくれた六実の声を、アヤメはちょっと可愛いと思った。
そう、アヤメと六実――二人の孤独な狼は、『アウトレットモールSSKR』という
アプリを提示すると駐車料金が無料なのは2時間までだという事を――
アウトレットモールSSKR。そびえるその建物で、人は欲のケモノに心を貪られ、己を
そう、14時45分にはクルマに戻ってくるはずだった。そして10分でモールを出る。そうすれば無料の範疇――
アヤメもまた、後部座席の荷物を見た。
予算は1万5000円だったのに、Tシャツ、アウター、春物のワンピース、ブーツ。めっちゃいい買い物。
「……どこから間違ってたかって? バイトの給料日翌日にここに来たコト、かな」
「違いねぇな。……だが、クソッ」
六実は小さく舌打ちをした。
「さっきからめちゃくちゃいい匂いするな」
「なんかノリで貰っちゃったよね、焼きそば……ちょっと、待って」
アヤメは、ダッシュボードの上に手を伸ばした。焼きそばのパックの入った袋がそこにある。
「この焼きそばって、1階の催事場で貰った奴だよね」
「ああ」
「アンケートに答えたら焼きそば1パックプレゼントだから、って」
「おう」
「……」
アヤメは、わなわなと震える手で、焼きそばと一緒の袋に入れられたチラシを取り出した。
ポップな字体で、こう書いてある。
『アンケートにご協力、ありがとうございました。お帰りの際は、このチラシを案内所にお持ちください。駐車料金を1時間無料キャンペーン中!』
「おい、……おい、おいッ」
六実の、紅いリップを塗った口角が吊り上がり、八重歯がむき出しになった。
「むーちゃん、これって」
「でかしたぞアヤメ、これで節約だァ!」
「わぁーいっ! てやんでいやったぜぃ!」
こんな時ばかりは、感情的になったっていいだろう。二人はハイタッチをし、歓喜の声をあげた。鬱屈とした空間に、一筋の光が差し込んだのである。
「よし、今から案内所だ、一時間あればこの渋滞でもここから出られる!」
「うん!」
「いいかアヤメ、そのチラシ絶対に、絶対に離すんじゃねぇぞ」
「勿論しょうちのすけ!」
その時。
タイムセール、3点以上で割引、新商品入荷、ポイント還元。
人々のありとあらゆる欲望を舐めた混沌の風が――駐車場に、車内に吹き込んだ。
【KAC #5】混沌の風 ~欲望の渦の中に孤独な狼2匹! 手放すな、その希望!~ 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo
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