好奇心は卵を殺す。

きぃつね

人を支配しているもの。それは、何だ。

***

TO:tazaki023@■■■■■■.com

FROM: haru.sonnomi@■■■■■■■.jp.com


田崎先生、

本日はありがとうございました。

明日の朝8:00頃に研究室をお伺いさせていただきます。

事情が事情ですので長居する予定はありません。

後日、先生のプロジェクトのに関して知りたいことがありますので、先生とはゆっくりとお話したいと思っております。

この研究が一段落したらお茶でもいかがでしょうか?


園宮春


追伸:私は卵が先だと思います。


20■■/03/14 17:23:26

***


「それじゃあ、園宮くん。旧い時代を生きた哲学者の頭を悩ませた難問、『鶏が先か、卵が先か』についてはどう思う」


陽の光をまるで知らないような白く、長い指を机の上で滑らせながら男が言った。

赤黒い染みをいたるところに散りばめた白衣を着ている身体は見るからに不健康そうだ。もちろん、園宮はその染みがコーヒーによるものであると知っているが、それを知らない人から見ればマッドサイエンティストに見間違えることだろう。後ろで結んである長髪も相まって、とても話しかけやすい印象ではない。


「簡単です。親鶏がいなければ卵は生まれません。なので鶏が先です」

「それでは、その鶏はどこから来たんだ。まさか急に湧いて出てきたなんて言うんじゃないだろうね」

「それは……たしかに」

「難しく考えることはない。君なりの答えを聞かせてくれ」

「古い文献ですが、鶏の卵は鶏以外から生まれないという研究結果を読んだことがあります。つまり、鶏がいなければ鶏は生まれないことの証明でもあるわけです」

「悪くない。では、逆に卵が先だと仮定した場合、どういう理論で説明する」


園宮、と男は人の悪い笑みを浮かべ、白衣のポケットに手を突っ込む。

もう春だ。手はポケットに入れるほど寒くはない。


まるで、カッコいいでしょ、と言わんばかりの姿勢でいる男に呆れながらも、園宮は頭の歯車を回転させていた。

この男が相手でなければ会話する素振りすら見せないような詰まらない内容だ。

しかし、この男だからこそ、園宮は満足のいく回答を探す。


「そうですね。創造論的思考で説明するならば『神』あるいはそれに近しい存在が現世に卵を出現させた。これなら卵が先でも説明がつきます」

「飛躍しすぎている、理論ではない。科学で証明できる範囲内で頼む」

「先程の仮定とは逆説的な答えになりますが、仮に鶏に近しい何かが卵を産んだとします。もし、その卵の中で育ったものが何かしらがトリガーとなって変異した鶏であれば、鶏が先ということに説明がつくのではないでしょうか」

「こちらも悪くない答えだ。的を得ている」

「先生。なぜ、このような質問を私にしているのでしょうか。先生が取り組まれているプロジェクトに関係していることなのでしょうか」

「ん、あぁ、園宮くんにはまだ言ってなかったか。あのプロジェクトだが一時的に凍結されているよ」


ポケットから取り出したメモ用紙に書き込みながら先生が答えた。


「信じられません。あれは先生が人生を賭けていらっしゃったのに。また、学会の横やりですか。それとも連合のほうでしょうか」

「どちらとも、と言えば納得してくれるか。それに先生はやめないか。園宮くんはもう僕の生徒ではないんだから。他が呼ぶみたいに田崎と呼んでくれ」


年季の入ったペンとメモ用紙を、手ごと再びポケットに突っ込みながら先生、こと田崎が笑みを浮かべる。先程とは打って変わり、皺が刻まれた疲れたような笑みだ。


「田崎先生……」

「癖は抜けないか……もう、夕方だ。これで最後の質問としようか」


羅針盤のような形をした時計の時針がちょうど5を指している。

防音材が用いられているこの部屋では聞こえないが、外では帰りを促すチャイムが鳴っていることだろう。


「園宮くん、君はどう思う。『犯罪が先、あるいは犯罪者が先か』」

「……問題の意図を理解しかねています」

「意味、ではなく意図か」


三度、田崎はメモ帳を取り出すと何かを乱暴に書きなぐっていく。

神経質に足を揺らし、笑みは絶えている白衣姿を見た園宮は返答に窮していることに対する田崎の怒りを感じていた。


「とくに意図はない。これは実験じゃない、簡単な、いわばゲームのようなものだ」

「それでしたら、問題の意味を教えていただけますか」

「犯罪があるから犯罪者がいるのか。それとも、犯罪者がいるから犯罪が起きているのか」

「……犯罪」


しかし、と園宮は自問した。

―――なぜ田崎先生はこのような質問をしてくるのだろうか。

園宮がここにいた時、田崎は優れた研究者だった。

几帳面で綺麗好き。

教え子からは勿論のこと、他の研究者や支援者からも好かれていた。


「あぁ、犯罪だ。園宮くんは犯罪心理学の専門家だ」

「まだまだ、若輩の身です」

「海外からも招聘される逸材、と新聞では読んだが……まぁ、いい。私は君の忌憚なき意見を聞きたい」

「多くの場合、罪を犯した人を取り巻く社会環境が通常の人と比較した際に著しく劣悪であることが多く見受けられます。また、人にある何かしらの欲求が満たされていない場合にも犯罪が起きてしまうのは事実です。しかし……」

「しかし、がどうした」

「田崎先生、お具合でも悪いのですか」


玉のような汗を額に浮かべ初めて田崎を観て園宮が心配そうに声をかけた。

すると、田崎は白衣の袖で汗を拭い、机の上に置いてある缶コーヒーを口に含んだ。


「ストレス性の胃痙攣だ。問題ない」

「で、ですが、一度お医者様に診ていただいた方がよろしいの……」

「問題ないと言っているだろう!……すまない、声を荒げてしまって。私は大丈夫だから答えの続きを聞かせてくれ」


口から零れたコーヒーが白衣に新しい染みを作るのを見て、園宮は諦めたように溜息をつくと、続きを言う。


「しかし、いくら理由があると言えでも犯罪があるから犯罪者がいる、という理論には無理があります。社会的環境が劣悪だったとしても全ての人が法を犯しているわけではありません。つまり、犯罪者が先ということになります」

「性悪説か」

「性善説を否定するわけではありませんが、犯罪者が産まれない限り犯罪は起きないと私は考えます」

「なるほど。犯罪者が先、というわけか。実に…実に、園宮らしからぬ答えだ」


何を、と園宮は聞こうとしたがその言葉はすぐに飲み込まれた。

田崎がポケットから取り出しものを見て、園宮の脳が警戒のアラームを鳴らす。

それはペンでもメモ帳でも、ストレスを緩和する薬でもない。

拳銃だ。

それも玩具とは思えない重厚感のある拳銃だ。


「せんs……ッ!」


***


白衣に飛び散った赤黒い染みを見下ろし、田崎は深い溜息をついた。

ここのところ溜息ばかりでしょうがない。

昔は張りのあった肌も今では染みと皺ばかりだ。


それにしても、と田崎は園宮の死体をぼんやりと眺めた。

生物とは脆いものだ。

身体を支配している脳が破壊されれば他はもう動かない。

つぶらで大きな瞳も。

薄桃色の唇も。

豊満な胸も。

モデル顔負けの手足も。

何も。


その時、スリープモードに入っていたパソコンにメールの着信を告げ再起動する。

差出人をみて三度、田崎は溜息をついた。

もう、コーヒーも空だ。


「人間はどちらだろうか。人間としての人格が先か、それとも人体の形成が先か……どちらにせよ、人格といのはあまりにも複雑すぎる」


メモ帳を取り出し、7つ目のバツ印を表紙につける。

天才はメモ帳一つで世界を変えたというが、今のところ田崎には理解できていなかった。


「新しいのを頼まないと」


時針は6を指している。

メールの返信をしたら夕食時だろう。


***


TO:tazaki023@■■■■■■.com

FROM: haru.sonnomi07@■■■■■■■.jp.com


先生、


明日、研究室に立ち寄る予定があるのですがこの前お話しされていた心理学的な質問に興味があります。

もし、15時頃にお手すきなようでしたら、先生の部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか。


園宮春


20■■/03/13 20:48:59

***

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