あちらとこちらを繋ぐ橋
柚城佳歩
あちらとこちらを繋ぐ橋
私の住んでいる町には、曰く付きの橋がある。
“逢魔時に一人で橋を渡ると、向こう側へ連れて行かれる”
どこにでもある迷信や噂話の一つ。
そう思っている人は多い。
でも私はこれが本当だと知っている。
仲の良かった友達が目の前で消えるのを見てしまったから。
* * *
誰かに教えてもらわなくとも、いつの間にかどこかで知っている事があるみたいに、曰く付きの橋の話は子どもたちもみんな知っていた。
だから時々、肝試しに使われる事があった。
「
「でも、そこって遅い時間は行っちゃダメって言われてるとこでしょ」
「なんだよ、怖いのか?別に昼間は普通に通ってるじゃねぇか」
そう、あんな曰くがあってもそれ以外の時間に渡る分には何ともないのだ。
その橋は町の外れにあるわけではなく、住宅地が多くある地域と、商業施設やスーパー、駅などがある側の間を流れる川を跨いで繋いでいる。
だからこそ日常的に使われていて、決まった時間帯だけ一人で渡るなというのは、子どもと言えども素直に納得出来ない部分があった。
結局その時は私と幸ちゃんを含めた七人で肝試しと称して夕方に集まって一人ずつ渡ってみたけれど、想像していた通り特別な事は何も起こらなかった。
きっとそんな事もあったからこそ、あの話はやっぱりただの噂話だとみんなが思ってしまった。
あの日、幸ちゃんと一緒に遊んだ帰り道。
ショッピングセンターのゲームコーナーで当時流行っていたカードを使ったゲームに夢中になっていた私たちは、お店を出る時間が予定より少し遅くなってしまった。
空は夕方から夜へと徐々に移り変わっていくところで、門限に間に合うように二人で走っていた。
「衣美ちゃん頑張って!もう少しで家が見えるところまで行けるよ」
「ま、待って、私、結構限界……」
「あの橋を渡ればすぐだよ、ほら!」
「うん……!」
走るのが苦手な私は、幸ちゃんから少し遅れて走っていた。前を行く幸ちゃんが私を励ますように振り返りながら先に橋を渡っていく。
「衣美ちゃんも早くおいでよー!」
その時だった。真ん中に立った幸ちゃんの足元から、影に紛れるようにしてどこからか黒い手が何本も伸びてきた。
直感的に良くないものだと思った。
だからこそ私は苦しいのも忘れて必死に叫んだ。
「幸ちゃん!逃げて!」
「え?」
ものの数秒の出来事だった。
黒い手が布を広げるようにあっという間に大きくなったかと思うと、幸ちゃんに後ろから覆い被さっていく。
「幸ちゃん!」
「……、……!」
口元を覆われた幸ちゃんが、私を真っ直ぐに見つめて手を伸ばしてくる。
届け、届け!懸命に走りながら伸ばした私の手は、あと僅かの距離で届かなかった。
幸ちゃんを巻き込んだまま、黒い影がしゅるしゅると収縮する。触れたと思った時にはもうただの影に戻ってしまっていた。
「何、今の……」
混乱しながらも、頭の何処かでは気付いていた。
きっと幸ちゃんは向こう側というやつに連れて行かれてしまったんだと。
急に怖くなった私は、橋を渡らず来た道を引き返して助けを求めた。
運が良かったのか、パトロール中のお巡りさんに偶然出会い、さっき見た事をありのまま話した。
子ども一人の証言をどこまで信じてくれたのかまではわからない。
それでもその人は私の家に連絡を入れた後、「すぐに友達を探す」と約束してくれた。
母が迎えに来てくれた事は覚えている。
帰りが遅いと怒られたのも、交番から電話が来て心配したと言われて抱きしめられた事もぼんやりとながら記憶にある。
幸ちゃんの事は、近所の大人が総出で探してくれた。私は直前まで一緒にいたから、たくさんの大人に話を聞かれた。
その度に「橋の影から伸びてきた黒い手に連れて行かれた」と伝えたけれど、友達が消えたショックで記憶が錯乱状態なんだろうと、ほとんどまともに取り合ってはもらえなかった。
本当の事を言っているのに嘘付き扱いされる。
それでも心が折れずにいられたのは、両親が私の言葉を信じてくれたからだと思う。
結局幸ちゃんはどこを探しても見付からなかった。
最初のうちこそ幸ちゃんを探そうなんて言っていたクラスの子たちも段々と話題にしなくなっていく。
みんなの中からも幸ちゃんが消えてしまう気がして、それが私は怖かった。
あれから十年が経つ。
小学生だった私は大学生になり、隣の市の大学に進学した。今は大学に近いアパートを借りて一人暮らしをしている。
幸ちゃんの事を忘れた事はない。
あの時もっと早くお店を出ていれば、もっと速く走れていたら、遠回りでも違う道を通っていたら。
何度も自分を責めた。その度にたくさんの黒い影に幸ちゃんが呑み込まれていく光景を思い出した。
だから無意識に避けていたんだと思う。
今日、私は数年振りにあの橋へやって来た。
久しぶりに見る橋は、記憶の中のものより小さく感じた。
塗装もあちこち剥がれ、大型トラックなんかが通ったら崩れてしまいそうだ。
そう、この橋はもうじき老朽化を理由に壊される。
少し先に新しい橋が出来て、こちらを使う人はもうほとんどいないらしい。
幸ちゃん。
もしも会えるなら、もう一度会いたい。
助けられなかった事を謝りたい。
一人の時は神経質なくらいに時間に気を付けて、絶対に通らないようにして避けてきた橋。
それを今は敢えて逢魔時に一人でやって来た。
橋が壊される事を知った時、最後に見ておきたいと思ったから。
薄暗い中、恐る恐る足を踏み出す。
影に注意を向けながら、一歩一歩ゆっくりと。
「やっぱり何も起こらないよね……」
幸ちゃん以外に橋で消えた人の話を聞かなかったから、年月が経つに連れて、あの時見たのは恐怖から作り出した自分の妄想なんじゃないかと思う日もあった。確かに見たと思う一方、自分の記憶ながら自信が揺らいだ。それを確かめる意味もあって、今日ここへ来たのだ。
結局何も起こらないままあと少しで渡り切るという時。突然つんっと服の裾が後ろから引っ張られる感覚がした。反射的に足が止まる。
ここには私以外誰もいないし、引っ掛かるような枝もない。
まさか……。あの日の光景が蘇る。
怖くて振り返れない。足が震える。
ひんやりとした何かが頭を、肩を、腕を這い回る感覚がする。ここから逃げなきゃ。一刻も早く!
体を捻って“何か”を振り切ろうとした途端、拘束する力が強くなった。体の動きが抑えられると同時に、足が地面に沈んでいく感覚がした。まるで沼の底に沈んでいくみたいだ。
やだやだやだ、怖い、嫌だ、怖い、誰か、助けて!
「衣美ちゃん!」
懐かしい声がした。聞こえるはずのない声。
あぁ、これは走馬灯ってやつなのかな。
「衣美ちゃん、しっかりして!」
再び声がして、誰かに右手を掴まれた。
「幸、ちゃん……?」
そこにいたのは、あの頃のままの姿の幸ちゃんだった。
「そうだよ。衣美ちゃん、橋を渡り切るまで絶対に私の手を離さないでね」
しっかりと繋がれた手に引き上げられると同時に、体中に巻き付いていた黒い手がぺりぺりと剥がれていく。
「走って!」
「う、うん!」
少し前を走る小さな背中があの日の記憶と重なる。あぁ、確かに幸ちゃんだ。
溢れる涙をそのままに走った。
向こう側へ渡り切る瞬間、幸ちゃんが繋いでいた手を離して私の背中を押した。
「幸ちゃん?どうしたの」
「私はこの先へは行けないから」
「え……?」
「ここはね、この橋はね、
「あ、待って!」
手を振って走り去ろうとする幸ちゃんを慌てて呼び止める。
「あのね、私ずっと幸ちゃんに謝りたくて。あの日、助けられなくてごめん。速く走れなくてごめん、私が一緒に橋を渡ってたら……」
「違うよ衣美ちゃん。頭を上げて、こっちを見て」
幸ちゃんは涙を浮かべながらも、優しく笑っていた。
「私がこうなったのは衣美ちゃんのせいだなんて、ちっとも思ってないよ。偶々、私の運が悪かっただけ。まぁもっと衣美ちゃんたちと一緒にいたかったけどね。あぁもう!泣きそうだったから急いで送り出したのに。でも見られちゃったからもういいや。衣美ちゃん、今までずっと自分を責めてたんでしょ?もう充分だよ。もう責めないであげて。ね?約束!」
「幸ちゃん……」
「久しぶりに衣美ちゃんとお話出来て嬉しかったよ」
「ねぇ、私たちまた会える?」
「もちろん!衣美ちゃんが幽世に来る時になったら会えるよ。あ、でもあと百年くらい来ちゃダメだからね!」
「百年は流石に難しいよ」
「ふふっ」
幸ちゃんと話しているうち、心の中でずっと蟠っていたもやもやが少しずつ解れていくような感じがした。
「幸ちゃん、私大学生になったよ。卒業したら働いて、ちゃんと大人になって、いろんな事を経験していく。いつか私がそっちに行った時、いーっぱいお土産話持ってくからね!」
「楽しみにしてる。じゃあその時は私、先輩として幽世を案内するね。慣れるとこっちも結構楽しいんだ」
「またいつか会おうね」
「うん、またいつか。ゆっくりでいいからね!とびきりゆーっくりで!」
そう言って手を振った幸ちゃんの姿は、空気に溶けるみたいに消えていった。
新しい橋が使われるようになって、古い橋が壊されるとあの噂話は聞かなくなった。
幸ちゃんの話をする人もいないけれど、幸ちゃんとの想い出はちゃんと私の中にある。
次に会った時に楽しいお話をたくさん出来るように、私は楽しく生きていくよ。
だから幸ちゃん、またいつか会える時までのーんびり気長に待っててね。
あちらとこちらを繋ぐ橋 柚城佳歩 @kahon
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