証拠写真と、最後の会話
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
【KAC20245】
私は、浮気の現場を撮ってしまった。
しかも、産婦人科の前でだ。
第二の女は妊娠している、ということなのだろう。
むかつく。
こんな男、捨ててやる。
しかし、ただ捨てるだけでは、私の心の傷は癒えない。
事実の認定と謝罪。これはマストだ。
私は彼に大事な話があると伝えて、呼び出した。
産婦人科から、女の人と一緒に出てくるところを見たとはっきりと伝え、証拠写真を撮影したカメラをひょいと持ち上げ、見せつけた。
「あの……」
「言い訳とか、余計なことは話さないで。私はただ、事実を認めて欲しいの」
彼の顔が、だんだんと青くなっていく。
やめてよ。そんな顔をされたら、まるで私が魔女とかゾンビみたいじゃない?
私は別に、言い訳が聞きたいわけじゃない。
非を認めた上で、私を離して、自由にしてくれさえすればそれでいい。
非を認めろ。いけないことをしたと、はっきりと言え。
そうして、私が彼を振るシーンへ進むという、最後の共同作業をしようじゃないか。
「えっと、ええっと……」
言葉を探しているのやら、「え」と「っ」と「と」しか言わない彼をじぃっと見る。
もう二度と、こんなにじぃっと見ることはないだろうから、記念にじぃっと見つめてみる。
視線が刺さった彼の顔が、みるみる白くなる。
私は別に、生気を吸ってなんかないけどね。
「こ、今回のことは……」
「なーに?」
「誤解、だと思う」
誤解とは。
言い逃れようとしているな。
こっちには証拠があるって言っているのに。
カメラをシャカシャカ振って、見せつける。
彼は誰から吸い取ったのかわからない血を体に巡らせて、ほんの少し血色が良くなった顔で、私を見た。
少し、睨むみたいな鋭さのある視線。
悪いことをした人間がすべきではないだろう視線。
私は〝なんとか術〟みたいなものを発動したつもりになる。
彼の視線に刺される前に、私はその切先を幻の指でちょん、と止めて、彼向きに変える。
自らの視線と共に、それを丁寧に送り返す。
鋭い切先が、彼の方へと飛んでいく。
「だから、誤解だから」
「いや、証拠があるから」
「証拠があっても、誤解だから」
「証拠があるのに誤解とか、意味わからないから。これのどこに誤解があると?」
私は怒りを抑えきれず、怒りを身にまといながら、証拠写真を突き出した。
「いや、だから」
「だから、なによ」
「これ、母ちゃんなんだよ」
「……は?」
「最近腰を痛めて、一人で動き回るのが辛いってうるさいんだよ。婦人科にかかりたいからついてこいって言われて」
「いや、こんな若い人がお母さんなわけないでしょ」
「会ったことないから知らないだけだよ。母ちゃんは俺を十八で産んだから若いっちゃ若いし、歳をとっても童顔変わらず魔女みたいな女なんだよ!」
突き出されたスマホの画像フォルダの中にある写真を、スクロールして見た。
入学式やら卒業式と書かれた看板の前で、嫌そうな顔をしている彼と、見覚えのある女が笑っている写真が見つかった。
確かに、母、らしい。
怒りの熱が、放散した。
「あっそう」
何事もなかったかのように、カバンにカメラをしまう。
なんだか、気まずい。
このあとどうしようかと考えていると、
「別れよう」
彼が別れ話を始めた。さっきまで、私がしようとしていた別れ話を。
「えっと? ええっと?」
「今ので完全無理になった。ごめん。さよなら」
「え、ええっと?」
私は振られた。
いつの日か、「離したくない」なんて甘く言い合いながら繋いだことがある手をのばす。
それは彼には、いや、その人には届かずに、宙をかいた。
冷たくなっていく。
震えが止まらない。
その手をじぃっと、見つめてみる。
もう二度と、早とちりしちゃダメだよって、青白い手のひらに言われた気がした。
証拠写真と、最後の会話 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます