「あなたの話を聞きたい。」

□□□

第1話

「何でも話してほしい」

 そう決まりきったように言っては、いつも気にかけてくれた。

 優しい人なんだと思った。

 でもそこに、私が自分勝手に向けていた期待が一切なかったとは言えない。


「どんなことでもいいから」

 話してほしい、私の話を聞きたいと、友人を通じて知り合ったその人は言ってくれた。

 私は一人の時間を好むが、友人が居ないではない。

 けれどそんな私を案じてか、数少ない友人の一人が縁を運んでくれたのが彼だ。

 きっと来年度の転属で、私との時間を取りづらくなるのを考えた友人の優しさだった。

 彼は私にとっては珍しくも、自分以外の誰かが語るのを求める性分のようだった。

 大半が語りたい性分の出会いばかりしていた私にとっては、出会う機会の少ないタイプだった。

「君の話を聞きたいんだよ」

 柔和に笑って、じっと目を覗き込んで、彼は私の言葉をじっと待つ。

 語れるものなんてそう多くはない。

 私はそれほど面白みも含蓄もある人間ではない。

 それでも、向けられる期待に多少なりとも応えたいという情動くらいは持ち合わせていた。

 その程度の情から絞り出したとりとめのない雑談にも、彼はひどく満足そうに深い笑みを浮かべていた。


「話を聞かせて」

 でも、いつの頃からだろう。

 当たり障りない程度に思えていた彼からの求めが、心を重く沈めるようになったのは。

 日常も、週末の予定も、昔の思い出も、それらに散らばっていた私自身の大小さまざまな感情も、私は私が許可できる範囲で語ってきた。

 もう語れるものは、そう多くないようにも思えるくらい。

「話してほしいんだよ」

 陽だまりのように柔らかな眼差しが、澱んだ泥のようにぬかるんで見えて。

 丁寧に向けられる静かな声が、両手首を絡めとるように重みをもつように聞こえて。

 話してほしいと願われることを、少しずつ、けれど確実に、厭うようになったのは何時ごろからだった。

 気づかなかったのではない。

 気づくのが遅れる位に、緩やかな侵食だった。

 だから、気づいた時には手遅れだった。

 私はもう、彼が怖かった。



「話してほしいんだ、君の話だから聞きたいんだ」



 違う、その目で語るその言葉は、額面通りを私に望んではいない。

 『話してほしい』と願うことで、私があなたに報いていると思うように仕向けたかったのでしょう。

 あなたの願いを私が叶える体にして、私があなたに委縮しないように囲ったのでしょう。

 あなたの本懐に私が完全に気づいてしまうまで、あなたの元から逃げ出さないように。


「…………もうこれ以上、あなたに話せることがないわ」


 震える声で拒絶したのは、全てにおいて遅い判断だったと分かっていた。

 でもこれ以上、目の前の恐ろしいものの侵入を許しがたくて、私は今更過ぎる拒否を突きつけた。

 悲しい顔が、それでも笑ったまま近づいてくる。


「話してほしい、全部、君を知りたい」

「……いや…………お願い、もう、」





 もうそれ以上、話さないで。





 私は、あなたと一緒に居たくなくなった。

 精神を縛り付けられるような不快な接近に耐えられないの、だから、もう、


 お願い、


「ダメだよ」


 出会って初めての強い断定が、恐怖を加速させる。

 今まで決して強い態度を取らない人だったから、これだけは絶対に聞き入れる気がないのだと思い知らされた。

 視線が私の体を縛る。

 声が心の息の根を止める。

 嫌だ、怖い。

 彼の優しさだと思ったものが、全て剥がれ落ちるのを直視するのが耐えがたかった。



「話して、もっと、俺が君の中身の全部を手に入れられるように。君が、この先もずっと、俺の傍に居るように、」



 全部話して、全部ちょうだい。

 君が全部欲しい。

 俺が君を失わないように、だから。


 そんな事を言わないで。

 俺を遠くにやらないで。



 俺を、はなさないで。

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「あなたの話を聞きたい。」 □□□ @koten-3

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