【KAC2024】ずっと一緒に【KAC20245】

御影イズミ

傍にいたいから

「スヴェン、お茶にしましょ」

「ん……ああ」


 ヴェレット邸の夫婦の部屋。

 広く作られたこの部屋はスヴェンの研究室でもあり、辺り一面に参考文章のメモや自身の書き取りメモなどが散らばっている。

 遮光カーテンの薄暗い部屋の中、何度も何度も宇宙の神秘を探り続けていたようだ。


 けれど、それが続けば続くほど、スヴェンの体力は減っている。ましてや呼吸器系疾患を持つ彼には密閉された空間というのは、空気の巡りが悪くあまり身体には良くない。

 だからこそ、ザビーネは自分の薬学知識をフル活用して薬を用意し、彼の呼吸を少しでも楽にしてあげている。離れたくない、離したくないという想いが彼女を突き動かし続けていた。


 今日は新しい薬を用意した。

 これを最後にしたいと、ザビーネは願うばかりだ。


「ふむ……カプセルはないのか」

「粉じゃないとダメって言われちゃって」

「むぅ……」


 眉根を寄せたスヴェン。粉薬を飲むのが苦手な彼にとっては、呼吸器系疾患で苦しむ時以上の苦しみでしか無いのでさっさと飲み込む。

 ……途中、水を飲む時に盛大にむせたのはいつものことである。


 それからしばらく、スヴェンは机に向き合って再び研究と計算を続けた。

 その間にザビーネが行うことは特に無いので、息子のフェルゼンとキーゼル、娘のマリアネラと時間を過ごすことにした。

 と言っても彼らはまだ幼い。双子のフェルゼンとキーゼルはまだ3歳で、マリアネラはもうすぐ1歳。勉強をするには少し早すぎる年齢のため、リビングの広いスペースでおもちゃを使って遊ばせるのみだ。


「かーしゃ! かーしゃ!」

「はいはい、なあに?」

「まりぃがうんち!」

「あらあらあら」


 フェルゼンもキーゼルも、マリアネラには注意を払ってくれているようで、おむつの交換などを知らせてくれるのはありがたい。

 こんな子供達を持って私は幸せだ、とザビーネは微笑ましくもてきぱきとマリアネラのおむつを取り替える。

 その様子まできちんと見守っているフェルゼンとキーゼル。えらいね、と母親に撫でられて嬉しくなって、キャッキャとはしゃいでいた。



 ……だけど、そんな感情とは裏腹に、時が経つにつれてザビーネの心は少しずつくすんでいく。

 スヴェンは大切な伴侶だ。その疾患を乗り越え、死ぬまで共にいてほしいと願うほどに。

 フェルゼンもキーゼルもマリアネラも大切な子供達だ。どこにも放さないで、ずっと一緒にいてほしいと願うほどに。


 いつだって、ザビーネの立ち位置は揺らいでいる。妻、母親という立場からいずれ家族とは離れてしまう立場でもある。

 故に、ザビーネは何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も願うのだ。


 「どうか、私を離さないで」

 「どうか、私を放さないで」

 「どうか、私を――――」と。


 ……だから彼女は、ある薬物に手を出した。

 一生家族を縛り付けるため、一生家族と共にいるため。


 離さないで欲しいと願い続けた彼女の手は、違法な薬物に伸びていた。

 最初はスヴェンと共に、次に子供達と共に使おうと。

 そうすればきっと、スヴェンの体調は良くなるし、子供達の成長もぐんぐん伸ばすことが出来る。


 だから、だから、だから――…………。











「それで、違法薬物に手を出した……ってわけね」


 気づいた時には、ザビーネは床に倒れ伏して拘束されていた。

 代赭色の髪の毛がゆらゆらと揺れたかと思えば、ザビーネの顔を赤と黒の瞳が覗き込む。

 この世界を統治する組織・セクレト機関。その最高司令官たる存在のエルドレット・アーベントロート。そんな男がザビーネを見下ろしていた。


 現在は今見えた光景から3年経っている。

 今まで見えた光景はザビーネの頭の中に残されていた過去を見ていただけにすぎない。

 では、何故そんな事が行われたのか?


「先生」


 エルドレットの後ろから声をかけた少年――フェルゼン。

 彼の身体には無数の傷痕が残されており、今も治りかけな傷が多い。

 ザビーネは思わず、誰が傷つけたのか、とフェルゼンに向けて大声で問いかけたが、その問いかけに答えたのは本人ではなくエルドレットだった。


「お前さんだよ、ザビーネ・シェン・ヴェレット。薬物の影響で頭ぱーちくりんになったお前さんが自ら、息子に手をかけてんだ」

「な、な……」


  何を言っているのかわからない。

  何を言っている?

  離さないでほしかっただけなのに、傷をつけた?

  何を、言って、いるのか。


 無数に巡るザビーネの思考は彼女の身体を無理矢理にでも動かそうと跳ね続ける。

 だが、さすがは総司令官といったところか。人が動こうと微動だにせず、身一つを重力に任せてザビーネを押さえつけていた。


 それと同時に、スヴェンも発見された。彼はヴェレット邸の開かずの部屋――地下の研究室にて、今のザビーネと同じように拘束された。

 救いなのは、彼はザビーネと違って大暴れしないことだろうか。ぶつぶつ、ぶつぶつと何かをつぶやき続けているが、正気を保てていないのはフェルゼンやキーゼルでも見てわかったようだ。


「ああ、ああ、ああ!!」


  やめて、離さないで。

  私とスヴェンを離さないで。

  私と子供達を離さないで。

  やめて、やめて、やめて!


 繰り返される怨嗟の声と悲嘆の声が家の中をこだまする。

 エルドレットに何度も何度も放せと叫ぶ。


 もう聞きたくないと、キーゼルが耳を抑えて自室に戻るところまで見えた。

 もう見たくないと、マリアネラがザビーネから目を逸らすところまで見えた。

 もう話したくないと、フェルゼンが口元を抑えるところまで見えた。


 そこまで見えて、ザビーネの意識は途絶える。

 まるで電源がぷっつりと断たれたように。


「……」


 動かなくなったザビーネから手を離して、大きくため息を付いたエルドレット。

 呼びつけた職員達にザビーネとスヴェンを引き渡してから、彼はフェルゼンとマリアネラを抱きしめ、部屋に戻ったキーゼルにもそっと抱きしめてあげた。


 『もうこのことは話さないでいい』。その一言を添えて。

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