異世界でハーレム主人公が卒業し皆と別れ1人警察に就職した後の、胸を張って進むその後について

オドマン★コマ / ルシエド

アフター・ハーレムラブコメ・アフター

 これは、『彼女』がずっと見守っている『彼』が、彼女に愛される理由を知らず識らずに示していく、そんなちょっとした物語。


 其処は森。

 街道沿いに広がる森。

 人の拳3つ分ほどのサイズの魔獣の群れが、金属がぶつかり合う音を聞き、立ち上がって逃げ出した。


 金属がぶつかり合う音は、金属を精錬して武器として使う人間同士が戦っている場でしか聞こえない。それなりに頭の良い動物にとって、金属がぶつかり合う音とは『凶暴な天敵にんげん』が近くで同士討ちしているという証明となるもの。虫の知らせだ。


 街道を荷馬車が走っている。

 森林の合間に伸びる街道は今、平穏な通り道ではなく、人の命が軽い簒奪の場となっていた。


 荷馬車の前部、重い馬車を引くのに向く六本足の馬は安定感と引き換えに速度が遅く、一般人が小走りに走る程度の速度しか出せていなかった。

 それでも、人を5~6人と大量の食料品を積んでいるようであるため、一匹が引いている速度としては十分過ぎるのかもしれないが。


 荷馬車を操る男が振り向くと、土煙を巻き上げて荷馬車を追いかける、3つの追跡者が見えた。


「もう追いついて来やがった!」


 荷馬車の上で、悲鳴が上がる。


「ヒャァァァァッハァァァッ!」


 追跡者は、走るひょうが3頭に、見るからに『盗賊』と言った風体の豹を乗りこなす男が3人。

 走る豹には尾が無かった。

 西方で個人騎乗動物として人気が高い、尾が無いライオレオパードなる種である。

 尾が無いため、犯罪をして国に追われる立場になっても、……そんな験担ぎによって、犯罪者の類にも人気の種だ。


 当然、『重いものを運べるために行商人に人気の馬車馬』と、『人1人乗せて走る場合に最速の豹』では、加速力も最高速度も段違いだ。

 到底逃げ切れるわけがない。


 あっという間に荷馬車は距離を詰められ、盗賊らはロープ付きの鉤爪を投げつける。

 それが馬車に当たればロープの反対側を近場の木に投げつけて引っ掛け、大地に根を張った木の固定力で荷馬車をひっくり返すつもりなのだ。

 もうダメか、と誰かが諦めた、その時。


 『空から平和を見守る治安の象徴』である大鷹が空を舞い、鷹の上から1人の男が飛び降りた。


 3人の男が投げつけたロープ付きの鉤爪を、男は空中で警棒にて全て叩き落とし、衝撃を殺して地面に着地。そのまま流れるように跳ね跳び、荷馬車の上に飛び乗った。

 荷馬車を守った男が身に纏う、その青と黒の制服は、この国に生きる者なら誰もが知っている。


「おまわりさん!」


「警邏隊交番勤務のダズヘートです。どうも。皆さん怖かったでしょう、もう大丈夫ですよ」


 警邏隊。

 市民の守護者。

 平穏の柱。

 街に寄り添う、最も身近な秩序の味方。

 その青黒の制服は治安の象徴であり、ダズヘートは灰色混じりの短い白髪をなびかせて、鉤爪を叩き落とした警棒を握り直した。


 ダズヘートが襲われていた人達を安心させようと微笑みかけると、荷馬車に乗っていた女性がかぁっと顔を赤くして、頬に手を当ててそれを隠した。


 3人の盗賊が武器を持ち替える。

 鉤爪クロウから、洋弓銃クォレルへ。

 まず警邏隊を排除しなければどうにもならない、という素早い判断だ。

 対荷馬車用の装備と、対警邏隊用の装備を両方持って襲撃をかけた辺りに、この盗賊達のが窺える。


 強盗に使うのでなければ褒められた諦めの悪さと、罪を重ねてきたことが分かる慣れた立ち回りに、ダズヘートは深く溜め息を吐いた。


「しょうがないな……」


 盗賊達が引き金を引く。

 すると、洋弓銃クォレルから鉄の矢が放たれる。薄い鎧は貫通し、素の胸に当たれば余裕で背中まで突き抜ける矢だ。

 人喰砂漠蜥蜴マンイーターリザードの腸で作った弦の張力で放たれるそれは、射程距離こそ短くとも、軍隊装備にも通用する威力を持つ。

 ダズヘートはその金属矢を、向きはそのままに、反射の如く打ち返した。


 極めて綺麗な金属音、都度三度。


 『矢尻が盗賊の額に当たると死んでしまうから』という理由で、向きはそのままに反射された矢が、盗賊の額を強烈に打ち、気絶へと追い込んだ。


 豹から盗賊達が転げ落ち、飼い主が気を失って困惑した豹3匹が、慌てて盗賊に駆け寄っていく。

 ダズヘートは警棒を腰の吊革にしまい、再度荷馬車の人達を安心させるべく、微笑みかける。


「もう大丈夫ですよ。一度馬車を止めて下さい」


 ここからが『おまわりさん』の仕事の面倒なところである。


「ではすみません、皆さん怖い思いをしたと思いますが、少々お話を聞かせていただけると助かりますので、ご協力をお願いします」


 まず、襲われていた人達の名前と身分証明の控え。そして警邏隊が発行できる被犯罪証明書に全員の名前とダズヘートの名前を記入。これがないと、商品の納入が遅れたことについて、この荷馬車の人達が責任を追求されてしまうからだ。警邏隊が無罪であることを保証する必要がある。


「証明書を書いている間、どこで、どういう経緯で襲われたかも教えてもらえますか?」


 盗賊がどこで襲って来たかも重要だ。盗賊の活動範囲、活動内容、襲撃地点などを統計的に集められれば、犯罪者間で「ここが襲撃にオススメだ」と噂になっているであろう場所も浮き上がってくる。そうした情報を集めるのも、警邏隊の仕事だ。


「これをどうぞ。最近警邏署で配っている、盗賊団対策の小冊子です。被害を予防する方法や情報が載っているので、よければ参考にしてみて下さい」


 そして、予防を教え、ケアを完了。

 そうして、ダズヘートの規定された仕事は一通り終わった。

 一息ついたダズヘートに、荷馬車に乗っていた中年の男性が話しかける。


「あれ? 君、もしかして……レヴァンノン学園に通っていた子じゃなかったかい?」


 ダズヘートの心の表皮がざわついたが、ダズヘートは顔に出さず、人当たりのいい微笑みに人間味のある疑問を浮かべ、小首を傾げた。


「まあ、はい。どこかでお会いしましたか?」


「やっぱり! 王都アブ=ジャードで街の一角を使った大きな学園祭をしていたよね? 私もあそこで君が大きな出し物をしていたのを見ていたんだよ! 摩訶不思議な光の芸術は、今でも覚えてる!」


 懐かしさにほのかな喜びと興奮を重ねて話しかける中年の男性に、ダズヘートは人当たりのいい微笑みで対応し続ける。


「ありがとうございます。もう何年も前のことですからね。覚えてくださっている人が居て嬉しいです。友達も皆喜ぶと思います」


 中年男性の言葉には『あの時の輝いていた少年がこんなに立派になって』という素直な称賛があったが、ダズヘートの言葉の裏には、徹底的に隠された『あんまり学生時代の話はしたくないんだよな』という気持ちが埋めに埋められていた。


 『あの頃は楽しかったな』という気持ちと、『もう大人になったんだからあの頃の話はしないで欲しい』という気持ちが、ダズヘートの胸の内で渦巻いている。


「ダズヘート君、だったね? あの時の君はとても可愛い女の子達に囲まれて振り回されていたと記憶しているけど、今も彼女らと仲が良いのかい?」


「たまに連絡を取っています。皆、それぞれやりたいことができて、それぞれの道を進みました」


「そうか。もうあれから何年も経っているものな……ダズヘート君も、ガールフレンドちゃん達も、大人になるか。感慨深いなぁ」


「ははは。別に、誰かと恋愛関係になったとか、そういうことはありませんでしたよ。ぼくと皆はいい友達でしたから。あったのは友情と信頼です」


「そうか……皆が健やかならいいことだ、うん」


「そうですね」


 にこにこと、ダズヘートは波風立てないように会話を捌いていった。


 数年前、ダズヘートは片手で数えられないくらいの女の子に囲まれ、学生生活を謳歌していた。

 ダズヘートは言い繕って隠したが、そうして彼を囲んでいた女の子達は、間違いなく、一人残らず全員が、ダズヘートに恋をしていた。

 当時の彼の同級生男子であれば、全員がダズヘートのことを「性格の良いハーレム野郎」と証言するに違いない。


 かつてのダズヘートは、多くの美少女に好かれており、多くの美少女の恩人だった。

 男友達もそれなりに居て、ダズヘートに嫉妬する男の親友も1人いた。

 体育祭、学園祭、修学旅行、海遊び、ハイキング、魔物調教、奇跡論のテスト、剣術大会、巨大湖の無人島での遭難、色んなことが楽しかった。

 毎日がキラキラだった。

 そこに生きるダズヘートもキラキラとしていて、その眩しい日々こそが、人の目を惹きつけた。


 今は、そうでもない。


 何か悪い出来事があったわけではない。

 単純に、何も無かった。

 何も無いまま、色々と終わって、区切りがついて、卒業を終えて、特に理由も無く"面倒臭いから"皆とも会わなくなっていって、大人になった。


 ただそれだけで、ダズヘートは『昔はキラキラしていた少年だった成人男性』になってしまった。ただ、それだけの話。


 先程まで馬車を操っていた男が、ダズヘートの前に駆け寄り、深々と頭を下げた。


「ダズヘートさん! 少しいいですか? 実は、馬車に乗せていた子供が怯えてしまって……テルトゥの街まででいいので、同行していただけませんか? 勿論、後で警邏隊、その上の警邏団にも感謝の書面を送らせていただきます。ダズヘートさんはとても強い御方であるとお見受けします。どうか……我々の安全を守っていただけないでしょうか?」


 ダズヘートは心の中で「うーん」と思ったが、それを顔に全く出さず、人の良さそうな笑顔で彼らの頼みを聞いている。

 『はい』と即答しなかったのは、ちょっと面倒だったからだ。


 国の中央にあるのが王都アブ=ジャード。

 かつてダズヘートが通った学園がある所。

 王都より東で一番大きいと言われる街の1つが、大商業都市ハミルカ。

 ここがダズヘートの勤務先がある所。

 そして、ハミルカから東に進んだ所にある大規模農地開拓都市が、テルトゥの街である。

 彼らはハミルカから出発し、テルトゥに行きたいらしい。


 ダズヘートはハミルカ近くで彼らが襲われているということを知り、ハミルカから助けに駆けつけて、ハミルカとテルトゥの間(ハミルカ寄り)の街道で彼らを助けた。

 つまりこのまま盗賊らを連行してハミルカの署に帰り、書類を片付ければ、ダズヘートは今から一時間以内に帰宅できるのだ。


 だが、彼らの頼みを聞けばそうはならない。


 王都の東にハミルカがあり、ハミルカの東にテルトゥがあり、距離自体はそこそこあるからだ。

 つまり、おそらく彼らの護衛についた場合、ダズヘートは丸々2日は家に帰れなくなる。


「……」


 彼らを護衛して東進しテルトゥに行ったなら、まずそこで手続きをして、テルトゥ現地の地下牢に捕まえた盗賊達と、盗賊が乗っていた騎乗獣の豹を閉じ込めなければならない。

 ここからテルトゥに行き、そこからハミルカに戻るだけで、どんなにテキパキ片付けても、絶対に途中で盗賊は気絶から目覚めてしまう。

 現地点から、大都市ハミルカは近いが、開拓都市テルトゥはそこそこ遠いからだ。


 獣も殺処分か専門施設に預けるかしないといけない。盗賊が使うような戦闘力の高い種族が別の土地に根付くと、現地の動物や家畜を食い荒らしてしまい、外来種問題を引き起こしてしまう可能性があるからだ。


 そうして盗賊と豹をテルトゥで閉じ込めて、現地の警邏隊と連携し手続きし、テルトゥから西進してハミルカに行って終わり……にはならない。

 ハミルカ所属の警邏隊であるダズヘートは、テルトゥから西に進んでハミルカに行き、更に西に進んで王都に行って手続きをし、王都で証明書類を貰ってハミルカに戻って諸手続きをして、それでようやく家に帰ることができるのだ。


 不正防止のため、そういう決まりになっている。ある種のお役所仕事というやつである。


 しかも、それで2日3日かけて職場に帰って来たところで、ダズヘートの仕事を誰かが代わりにやってくれるというわけではない。

 警邏隊は皆忙しいからだ。

 溜まっていた仕事は、ダズヘートが帰った後にまとめてやらなければならない。一人で。残業で。他人の仕事に影響が出ないよう最速で。


 まさに地に足着いた地獄としか言いようがないが、ダズヘートは面倒臭いと思ってはいるものの、受けるかどうかを迷ってはいなかった。


 彼の答えは、最初から1つだけだった。


「しょうがない、か」


 誰にも聞こえないよう小声で呟き、ダズヘートはにっこり笑って、胸を叩いて快諾した。


「はい。喜んで同行させていただきます。また賊が襲撃してきて皆さんが襲われたら……なんて思ったら、夜に中々眠れなさそうですしね! ははっ」


「あっ……ありがとうございます! 本当に助かります……! 正直に言って、前にこういうことを頼んで、断られたこともあったので……」

「ありがとー!」

「ありがたや、ありがたや」

「……変わってないなぁ、学生の頃から」


「悪党に襲われることを恐れる気持ちは、ぼくも分かるつもりです。どうかお気になさらず。皆さんの税金で給料を貰ってるぼくを、今日はどーんと使い倒してくださいな!」


「いやいや、もうさっき十分助けてもらったからね。移動中ダズヘート君は荷台で休んでいなさい」


「あ、はい」


「お茶飲みませんか! おまわりさん! この水筒の中のお茶、冷めないのであったかいんです!」


「ありがとうございます。いただきます」


 気合いを入れて、入れた気合いが空回りして、お茶を受け取ったダズヘートは苦笑する。


 暖かい気持ちと、暖かいお茶を啜っているダズヘートの前に、巨大な鷹が舞い降りた。

 他の者達は驚いたようだが、ダズヘートは穏やかな表情で鷹の頬を撫で、鷹はくすぐったそうにして、ダズヘートを労うようにダズヘートの肩を翼で撫で返す。


 ダズヘートを此処まで運んできた鷹。

 かつ、彼の相棒たる鷹である。

 名はヒッティア。

 種はサンライトホーク。

 歳は5歳。

 性は雌。

 4年前、就職祝いにダズヘートの父がくれたこの鷹を、ダズヘートは家族同然に大事にしている。


「警邏隊員は大変だね、ヒッティアさん」


「クァ」


「ま、しょうがない。誰かがやらなきゃならないことだ。しょうがないと思って行こう」


「クォ」


 小さく短く、応援するように、ヒッティアは主の耳元で鳴いた。


 これは、とあるラブコメディの後日談。

 これは、とあるハーレム主人公の後日談。

 これは、とある青春の後日談。


 輝いていた日々の残骸のお話。






 盗賊3人、騎乗用の豹が3匹。ダズヘートは暴れないように拘束した上で、テルトゥの警邏署へと引き渡した。

 引き継ぎの人間に形式的な言葉をかけられ、真面目な仕事ぶりを褒められ、労をいたわられ、一区切りついたことでダズヘートはうんと伸びをする。


 ここは地下室、ゆえに地下牢の前。

 ダズヘートの背後で、牢の中の盗賊が唸る。


「おい、テメー、チョーシ乗ってんなよ」


 ダズヘートが振り返ると、盗賊がダズヘートを見下した嘲笑を浮かべていた。


「弱えイキり野郎が、オレらが娑婆に出たら震えて待ってろよ。必ずこの仕返しはさせてもらう」


 あまりにもこの世界の盗賊らしい、テンプレート的な言い草に、ダズヘートは呆れてしまった。


「しょうがない人だな。君はもうぼくに叩きのめされてるんだから、そこで力量差を理解してほしい。それに、警邏隊への復讐なんてリスクばかりあって得るものはないよ。それよりちゃんと罪を償って、君も次の人生を……」


「警邏隊なんて騎士の出来損ないだろ!」


「───」


 その言葉は、ダズヘートの心の柔らかいところを、少しばかり深く抉った。心をささくれ立たせる、鋭く悪意のある言葉。


「たった3分で全てが決まる決闘に打ち込んで来て、結果出せなかった奴らの吹き溜まり! 騎士として生きていけなかった弱ぇー奴ら! 異民族との戦いも、魔獣からの防衛も、帝国との戦争も期待されてねー国の中の戦力外! そりゃテメーらが任せられるのなんて、食うに困った農民が盗賊になった雑魚い悪党を弱いモンいじめすることくらいだよな!」


「……」


「本当に強い奴なら、王都の騎士団に招聘されてるか、国境警備隊に入れられてるか、どっかの家で剣術指南役でもやってるだろうがよ! 警邏隊なんかに居る時点で腕に覚えのねえ落ちこぼれ野郎じゃねーか!」


 ダズヘートは、その言葉を否定することも出来た。所詮盗賊の言葉。真っ向から否定することなど造作もなく、警邏隊の名誉を守ることなど容易かっただろう。


 なのにダズヘートが否定できなかったのは、彼の中に、盗賊の言葉に賛同してしまう気持ちがあったからだろうか。

 『自分は騎士の出来損ないだ』と。


「何、『ぼくはお前より強いんだ』みたいな顔してんだ? ハハッ、笑えてくるぜおまわりさんよぉ! テメーはガチで強い奴らに混じれないから、自分が勝てる程度の相手が蔓延ってる『下』に降りて来て、強い奴と戦いもしねーでイキってるだけだろうが! 騎士のなり損ない!」


 ダズヘートの心がささくれ立っていく。怒りでもなく、苛立ちでもなく、ただただ、ダズヘートの内側に自己嫌悪を誘う形のささくれ立ち。


「……ぼくは」


 ミシミシと、ダズヘートの心が盗賊の言葉に圧し潰されていくその最中に、地下の隅で大人しくしていた鷹・ヒッティアが盗賊を睨んだ。


「クィッ」


 そして、ヒッティアが翼を羽ばたかせた。

 抜き落とすように、羽根を飛ばす。

 それは風の速度で飛翔し、一本、二本と、次々と盗賊の肌に突き刺さっていく。


 ヒッティアはお怒りのようだ。

 どうやら、平気で人を傷付けられる盗賊よりも、この5歳の鷹の方がずっと人の心というものを分かっているらしい。


「いでっ、いでッ、あだだだっ!?!?」


「ちょっ……ヒッティアさん! ダメだよ! ダメだって! ヒッティアさんもぼくも怒られちゃうよ! ストップストップ!」


「クァッ」


 ダズヘートは慌ててヒッティアを抱きかかえ、地下室を走って出ていき、地下室の鍵をしっかりと閉める。

 ヒッティアの鷹の目には不満と、苛立ちと、隠しようもないほどに大きな盗賊への敵意があった。


「もう、ダメだよヒッティアさん。嫌な気持ちになることを言われても、暴力に走るのは良くないよ。痛みは無くしていくべきものであって、思い知らせるために使っていいものじゃないんだ」


「クァ……」


「でも、ありがとうね。ぼくのために怒ってくれたんだよね。君は優しい子だ。嬉しいよ」


「クォ!」


 ダズヘートに抱かれたヒッティアが、頭をダズヘートの頬に擦り付け、同意を示す。


 ダズヘートは胸を撫で下ろし、その奥の奥、ささくれ立った心を穏やかに鎮めていった。


「……はぁ」


 ダズヘートの心には、過去に刻まれた、特に大きなささくれが2つ残っている。

 片方は幼馴染のこと。片方は夢の残骸だ。


 開拓都市テルトゥの地下牢に盗賊を放り込んで、王都アブ=ジャードでの手続きを終えて、本来の職場である大都市ハミルカに戻って来てもなお、ダズヘートの心のささくれは消えはしなかった。


「もう大人になって、全部割り切れてて、誰かに何を言われても全然気にしないで居られると思ってたんだけどな……」


 時間的に、残りの仕事をこなすのは明日にした方が良さそうであったため、ダズヘートは警邏隊の騎獣飼育施設にヒッティアを預けに行った。

 かなりの歴史を感じさせる真っ黒な建物の中に、多くの生き物が蠢いている。


 サラマンダー、ワイバーン、フライングタートル、アイススパイダー、プラズマボウフラ、アイアンペガサス、ジャンピングツリー、等々。

 ここに生きとし生ける生物全てが、人でなくとも警邏隊の仲間達だと、ダズヘートは一片の疑いもなくそう思っている。


 ダズヘートはヒッティアに食餌を与えつつ、お腹を空かせていそうな生き物にも、その生き物に適した食餌を与えていく。


 ここの生き物にダズヘートはたいそう好かれているようで、ダズヘートの姿を見かけると、どの生き物も一度はダズヘートに近寄って親愛の行動を取っていく。

 特に雌が。

 クラゲは触手を絡ませ、馬は頭部を擦り付け、猿は尾で彼の尻を叩き、翼竜は彼の頬を舐める。


 だが長時間の親愛行動はヒッティアが許さず、大鷹がその翼を羽撃はばたかせて威嚇すると、どの生き物もしぶしぶとダズヘートから離れていった。


「よしよし、みんな元気だね」


 ダズヘートは、ヒッティアを彼女の住まいへと連れて行くが、そこがだいぶ汚れていることに気付いてしまうと、どうにも放っておけない気分になってしまう。


「しょうがないな」


 『仕事で疲れてても、大切な仲間の部屋を掃除するくらいはちゃんとやらないと』という意識がちゃんと備わっているのが、ダズヘートという青年に備わった美点の1つであった。


「少し外で待っててほしいな、ヒッティアさん。レディが住むところは綺麗にしておかないとね」


 ダズヘートはそうして掃除を始め、掃除をしながら、心のささくれを撫でつけ始めた。






 ヘート家の少年ダズヘートは、うんと幼い頃、漠然と『何か』になりたかった。

 それは『一番強い人になりたい』に変わった。

 とても、とても、男の子らしい夢だった。


 けれどダズヘートは、同い歳で一番強かった少年・ザイナスに負けて、その夢は『ザイナス君のようになりたい』に変わった。


「箒、箒はどこかな。前にヒッティアさんの寝床を掃除した時は分かりやすい場所に置いておいたはずなんだけど……」


 この国の貴族の中でも、最もよく名が知られた22家、その内の1つザイン家の次男・ザイナス。同年代との決闘では負け知らずで、同年代の少年は皆憧れか嫉妬をザイナスに向けていた……と、ダズヘートは記憶している。


 ダズヘートはヘート家に普通に学校に通わせてもらっていたが、ザイン家はザイナスをまともに学校に通わせることさえなく、ひたすらザイナスを剣だけの人生に漬け込んでいた。

 彼のそういう所がまた、同世代の少年達に人気があった。強さに神秘性(秘匿性)が備わっていると、それはより素晴らしいもののように見えるからだ。少年達にとっては尚更に。


 警邏隊に入って大人になってから、ダズヘートは「あれは親の虐待だったな……」と気付いたものの、当時のダズヘートは夢中になって彼に憧れたことをよく覚えている。


 『彼はそういうところが格好良かったんだ』と、ダズヘートは未だに思っている。


「色々あったけど、今頃何してるんだろうな、ザイナス君は……ぼくのことなんて覚えてないだろうけど……あ、ここも汚れてるなぁ」


 けれどもダズヘートはその後、世界で一番格が高い大会『捧剣祭』で、憧れた少年ザイナスが決勝で負ける姿を見てしまった。

 「あんなに強くても負けるんだ」と思い、「じゃあぼくが頑張ったところで」と思うようになってしまった。

 それが、7年前のこと。

 今22歳のダズヘートが、15歳の時のことだ。


 それから色んなことがあったけれども、同い年で一番強い少年が負けた姿は、『彼のようになりたい』という願いを曖昧にしていって、それはいつしか『頑張っても無駄になるかも』になって。

 やがて、『自分の身の程を知ることが大事』になっていって。

 女の子達との楽しい日々を過ごすことで、キラキラした気持ちで全てを希釈していって。

 大人になって、『結局何者にもなれなかったな』と、過去を振り返る気持ちだけが残った。


 ダズヘートは国立の上級研究学院に進学しようとしたが、受験に失敗し、就職に進路を変更して、叔父の警邏団長ギルバヘトのコネで警邏隊に入隊し、市民を守るおまわりさんとして日々汗を流している。


「ふぅ。……綺麗になったなぁ」


 ダズヘートは学生時代の、人生で一番楽しかった時期を何度も何度も振り返る。

 楽しい日々だった。

 キラキラした日々だった。

 恋と好きに溢れた日々だった。

 日々の全てが宝石のように輝いていた。


 だからこそ、大人になってから思うのだ。

 楽しいだけの日々で良かったのか。

 何かを懸命に積み上げていった方がよかったんじゃないのか。

 勉強でも、剣術でも、何か一芸でも。

 『楽しい日々を過ごすため』ではなく、『何かを極めるために過ごす』方が良かったのではないか。それこそ、剣士ザイナスのように。


 辛いことがあった日のダズヘートは、寝る前にいつもそんなことを考えている。

 けれども、そんなことを考えてしまう度に、頭を振ってそういう思考を振り落とし続ける。


 『楽しかったあの日々を絶対に否定したくない』という気持ちが、彼に『後悔』という選択肢を取らせない。そういう過去を誇らしく思う気持ちがまだあることが、ダズヘートにとって、何より誇らしいことだった。


 掃除を終えたダズヘートの横にヒッティアが降り立ち、ダズヘートに身体を擦り付ける。

 ダズヘートもまた、ヒッティアの頭を撫で、親愛の行動を返した。


「今もぼくと仲良くしてくれる女の子は君だけなのかもね。いつもありがとう。いつも凛々しく賢い君が居てくれて、本当に助かってるよ」


 終わった話だ。

 夢を見た幼い日のことも。

 剣士ザイナスに憧れた昔の話も。

 可愛い女の子達に囲まれていた青春も。

 キラキラしていた若き日も。


 全ては過去形。終わった話。


 だけど、ダズヘートの人生が終わるわけではないのだから、彼はどこか薄暗い現在いまを、懸命に生きていかなければならない。


 ダズヘートは、灰色混じりの白い短髪をかき混ぜるように頭を掻き、天井を見上げる。


 彼の人生のエンディングは、まだ先なのだ。











 翌日、ダズヘートは直属の上司に諸々の経緯を報告し、勝手に職場を離れた上で事後承諾になったことを謝罪していた。


「申し訳有りませんでした。先輩の指示を仰がず、勝手な判断を下したことはぼくも軽く考えてはいません。どんな処罰も受けるつもりです」


「大変だったねぇ。ここからも大変そうだけどねぇ。お仕事溜まってるよ」


「分かっています……はぁ……自分でやったことなのでしょうがないとは思ってるんですが……」


「ま、いいことをしたよねぇ。それならねぇ、私も君の溜まった仕事の半分をやったげるからねぇ」


「ら……ラメドゥス先輩!」


 鮮やかなオレンジの髪に、浅黒い肌、顔に付いた一直線の切り傷、切り傷に抉られた右目の跡を、眼帯で覆っているという強烈な出で立ち。それでいて柔和な表情と穏やかな喋り方というギャップ。

 ダズヘートの直属の上司であるラメドゥスは、一度話せば忘れないようなインパクトとギャップを兼ね備えた、今年40になる大男だった。


 ラメドゥスは、学園生活で鈍り受験で更に鈍ったダズヘートを鍛え直し、1から警棒戦闘術を叩き込んだ師匠でもある。

 かつて1なる勇者を支えた22の騎士の1人『潰し殺し』ラメドの子孫である彼は、元々は王都の騎士団長にも推薦されるほどの騎士であったが、かつてあった戦いで片目を失い、今は警邏隊で市民の平和を守る職務を全うしているのだという。


「いいことだよねぇ、警邏隊らしい判断でねぇ。やっぱ警邏隊うちらは騎士団とは違う選択をしていけるのがいいんだよねぇ」


「……はい」


 ラメドゥスののほほんとした声でそう言うと、ダズヘートは少々口ごもった。


「ふむ。君は盗賊に言われた、警邏隊は落ちこぼれだのという言い草を気にしてるのかねぇ?」


「……」


 人よりも察する力が高いラメドゥスは、ダズヘートが口ごもった理由を察し、声色を諭すようなものに変える。


「私の弟の話はしたことあったかねぇ?」


「いえ。家族の話自体あまり……」


「私のこの右目はねえ。弟に斬り抉られたものなんだねぇ」


「えっ……弟に!?」


 ラメドゥスが眼帯をさすり、ダズヘートは驚愕に目を見開いた。


「うちの祖先の話は流石に知ってるよねぇ?」


「それは勿論です。最も強き騎士ラメド。勇者様に付き従った22の騎士の中で最も強かった男。勇者様よりも強かったと言われ、多くの創作の題材になった方です。この国の少年なら誰だって知ってますし、誰だって好きですよ」


「そうだねぇ」


 複雑そうな表情で、ラメドゥスは顎を撫でた。


「祖先が強かったからだろうねぇ。ラメドの家の騎士は、皆強さの平均値が高かったんだよねぇ。平均値が高いからねぇ、どの時代でも最も強い騎士はラメドの誰かであることがほとんどだったんだねぇ」


「はい、聞いています。元々はラメドが最強の代名詞だったとか……」


 悪意の無いダズヘートの言葉に、『憎悪に満ちた弟の顔』を思い出して、ラメドは苦笑した。


「そう、『元々は』だねぇ。今は違うんだよねぇ、皆が思う最強の騎士というのはねぇ」


「……剣神」


「そうだねぇ。今の時代で最強と言えば剣神様だよねぇ。本当に強いんだよねぇ……」


 盗賊は、市民では抵抗も叶わない程度には強い。

 そんな盗賊も、警邏隊には敵わず、警邏隊を集めた警邏団のエース級はもっと強い。

 そんなエース級も、強い騎士達には敵わない。

 そして、強い騎士達の中でも突出して強く平均値が高かったのがラメドの一族であり……そんなラメドの一族を全員決闘で打ち倒し、世界で最も強い剣士となったのが、剣神と呼ばれる男だった。


「本当に強い人でしたね、剣神様。ぼくらの世代だと、最強の象徴ってザイン家のザイナス君だったりしてたものですが」


 うんうんと、ラメドゥスは頷く。


「だねぇ、彼も強かったねぇ。それでねぇ、私の弟は本当に天才だったんだよねぇ。当代最強は私の弟で決まるって言われてたくらいでねぇ。決闘でも弟は誰とやっても無敗でねぇ。私の自慢の弟だったんだよねぇ」


「……ああ、なんとなく空気が分かります。ぼくの世代だと、ザイナス君がそうでしたから」


「でもねぇ。私の弟の世代にはねぇ、弟と同い年の剣神様が居たんだよねぇ」


「……あ」


「剣神登場以来、弟は剣神に負けてしまってねぇ。その後も一回も剣神に勝てなくてねぇ。なんていうかねぇ……おかしくなってしまったんだよねぇ。自分には剣しかないんだ……なんて時々言うようになってしまってねぇ」


 それは、優しい兄と天才の弟、かつてあった兄弟の絆が壊れた時の話。

 という考え方にラメドゥスが疑問を持ち、『おまわりさん』について考えるようになったきっかけのきっかけ、始まりの話。


「しばらくはまともだったと思うんだけどねぇ。ずっと後になってから人を傷付ける事件を起こしてしまってねぇ。止めようとしたんだけどねぇ、負けて片目を取られてしまったんだよねぇ」


「……ラメドゥスさんが負けるなんて……」


「意外ではないんだよねぇ。私は弟には勝てたことがなかったからねぇ。弟はその後、他の人の手で斬られたと聞いてるんだけどねぇ……できればこの手で止めてやりたかったと、昔は悔いたもんだよねぇ」


「ラメドゥスさん……しょうがないことだと思います。家族の罪はあなたの罪ではありません」


「ありがとうねぇ。でもねぇ、ずっと思ってるんだよねぇ。弟がとびっきりの天才でなければ……あるいは剣神に完膚なきまでに負けていなければ……今でも弟は私の家族のままで居てくれたんじゃないかってねぇ」


 ラメドゥスの言葉には、深い実感が伴っていた。剣も魔法も奇跡もあるこの世界で、人は普通よりもずっと、他人より優れることが


 そして、誰よりも優れていたはずの自分が、あっという間に追い抜かれるという苦痛に苛まれてしまう。


 そういったどこにでもある狂乱、やけっぱち、八つ当たりによる強行を止める役割を与えられた者達こそ、警邏隊に他ならない。


「他者より優れていることも、他者より優れていないことも、人を狂わせますからね。色々と人を見てきたから……分かる気がします」


 ラメドゥスが深く頷く。


 『学園で何も考えずに楽しく過ごしていた頃のぼくなら絶対言わない台詞だな』と、ダズヘートはぼんやり思った。


「だから警邏隊が騎士並みに強くある必要はないと思ってるんだよねぇ。強さって案外応用が効かないものだからねぇ」


「ラメドゥスさんはそうお考えなんですね」


「そうだねぇ。だから君には期待してるんだよねぇ。君ならいつか、なんて思っちゃうんだよねぇ」


「……? あの、ぼくは特に何か能力や才能があるわけでもなく、警邏隊で活躍した覚えも無いんですが……どういうことですか……?」


「君はねぇ。なんだか普通の騎士と全然違うルールで生きてきた感じがするんだよねぇ。それがとてもいいと思うんだよねぇ」


「は、はぁ」


 にっこりと、ラメドゥスが笑む。


「どう敵を倒すかだけ考えて青春を使い切った男よりはねぇ、女の子をどう笑顔にするかだけを考えて青春を使い切った男の方がねぇ、警邏隊に向いていると思うんだよねぇ、私はねぇ」


 ダズヘートは皮肉を言われていると受け取り、引きつった笑みを浮かべた。






 しばらくして、仕事も終わり。

 2人で分担したことで、ダズヘートが思っていたより遥かに早いペースで、ダズヘートが離脱していた間に溜まった書類仕事は消化された。

 あと少しばかり残ってはいるが、それも明日こなしてしまえばいい程度の量である。


「んっ……」


 ダズヘートは椅子を立ち、全身のストレッチを軽く行う。こまめに肉を解しておくことが、いざという時にフルパワーで人命救助を行うコツだ。


「ダズヘートくぅん、デートに興味はあったりするかねぇ?」


「え、なんですかいきなり」


 ラメドゥスは紙に書いた地図のメモと、ダズヘートが知らない店の名前が書かれた無料券をひらひら揺らして、それをダズヘートの前の机に置いた。


「最近話した子が、ダズヘートくんのことを知っててねぇ。ダズヘートくんと是非話したいと言うんだよねぇ。可愛い女の子だったけど行くかねぇ?」


「えー……うーん……行きます」


「おやぁ行くんだねぇ」


「ぼく、女の子は普通に好きなんで。迷ったのは明日も仕事だからですね」


 ちょっとばかり嬉しそうにして、ダズヘートはメモと無料券を受け取った。


「昔は可愛い女の子に困ってなかったんじゃないかねぇ? 目が肥えてるんじゃないかねぇ? 君の基準だと可愛くなかったりするんじゃないかねぇ?」


「可愛い女の子が好きなんじゃなくて、女の子は可愛いから好きなんですよ。あとは僕がどう接するかだけです」


「雑食なんだねぇ」


「男でも女でも、ある程度付き合いが出来たら良い所が見えてきて、好きになれるものじゃないですか? 絶対に好きになれない人ってあんまり居ないと思いますけどね」


「……かもしれないねぇ、本当にねぇ」


 ラメドゥスはうん、と、深く一度頷いた。

 彼は何か、ダズヘートの言葉に感じ入るものがあったようだ。


「ダズヘートくん。何度か教えてきたやつだけどねぇ、『警察』について憶えているかねぇ?」


「はい、勿論です」


 ダズヘートは、思い出すまでもないと言いたげに、すらすらと過去に教えられたことを口にする。


「警邏隊には警邏隊の役割がある。警邏隊は一番強くある必要はない。警邏隊に求められるのは、察する力。人の気持ちを察し、人の関係を察し、事件の兆候を察する能力。警邏隊が察せる者となって初めて、『警察』という理想になれる……で合ってますよね?」


「だねぇ」


「……察するの、ちょっと苦手なんですよ。学生時代から女の子によく鈍感男って言われたりしてて……肝心なところで女の子の考えてることよく分かんなくて……」


 バツが悪そうな顔をするダズヘートに、ラメドゥスはプッと吹き出した。


「大丈夫だからねぇ、本当に生まれついての鈍感なんてねぇ、絶対に他人に好かれないからねぇ。何も察せない無神経が過ぎる人はねぇ、嫌われるものだからねぇ」


「怖いこと言わないでくださいよ」


 ダズヘートが派出所を出て、約束の店に向かう前に、一度着替えるべく自宅へと向かう。


 そんな若人の背中を、眼帯をさすったラメドゥスの温かい目線が見送っていた。


「盗賊が語るような『強い』『弱い』の話よりずっと大事なものがねぇ、世の中にはいっぱい溢れてると思うんだけどねぇ」











 しょうがない。

 しょうがない。

 しょうがない。

 ダズヘートはその人生の中で、この口癖を数え切れないほど口にしてきた。


 ただ、大人になる前と後で、『しょうがない』の意味が変わって来ていることは、ダズヘート自身にも自覚があった。


「ダっくん! あ、あの! こ、今度のお休みの日……私の家を手伝ってくれませんか!?」


「しょうがないなぁ」


「ありがとう!」


 可愛い女の子に頼られたら、断れない。むしろ頼み事をされるのが嬉しい。だけどなんだかそう言うのが恥ずかしくて、学生時代のダズヘートは、そういった気持ちを隠そうとして、『しょうがない』という言葉を使っていた。


「黙ってて! お願い! あたしのこんな秘密が皆に知られたら、学生生活終わりよ! お願いだから……なんでもするから! ね? ね?」


「しょうがないなぁ」


「ありがとっダズヘートっ!」


 学生時代からずっと、ダズヘートは頼まれれば断れなかった。女の子が頼んで、ダズヘートが応えて、女の子からダズヘートへの好意は大きくなっていった。


「ダズヘート君、私達の部の文化祭の出し物は何にしますか? 貴方が決めて下さい」


「ぼくが決めるの?」


「貴方が決めないとずっと揉めます」


「しょうがないなぁ」


 ダズヘートはいつの間にか皆の中心になっていたけれど、皆の中心になりたいと思ったことは一度もなかった。皆に好かれ、皆に信頼される内に、自然と中心になっていただけ。


 誰かの悲しみを見過ごせなかった。

 誰かの悩みを見過ごせなかった。

 誰かの頑張りに、報われてほしかった。

 その繰り返し。

 いつも「しょうがないなぁ」と言いながら、誰かを助けている内に、皆の中心になっていたのがダズヘートという少年だった。


 けれども。


「警邏隊はなんでこんな遅かったんだ! こんな……こんな……土砂崩れに飲まれた、みんなっ……もっと早く来てくれたら、みんな助かったかもしれなかったのに……!」


 大雨の土砂崩れで家族を失った老人を前にして、しょうがないじゃないか、と彼は自分を騙して。


「警邏隊なんて騎士の出来損ないだろ!」


 盗賊に言われて、しょうがないだろ、才能が足りてなかったんだ、と彼は自分に言い聞かせて。


「パパ、ママ、どこ……?」


 流行病で両親を無くした子供を前にして、優しい嘘をつくことも、真実を告げて慰めてあげることもできず、しょうがないじゃないか、何もできることはないんだ、と彼は自分に嘘をついて。


 いつからか、他人を助けるための『しょうがない』が、諦めと妥協のための言葉としてしか使われなくなっていって。


 疲れて、疲れて、疲れて。


 もう、遠い昔の記憶になりかけている青春の思い出を、宝物のように胸に秘め、ダズヘートは生きている。


 けれど、今日、この夜。


「……ダズ様?」


 時の進んだ思い出が、彼の前に現れる。


「……ロパル?」


 料理人と客として、2人は再開する。

 ヘート家の男、ダズヘート。

 ペー家の女、ペーネロパル。

 2人はかつて、同じ学園に通っていた幼馴染であり、そして……思春期特有の淡い感情で繋がりつつも、関係が進むことはなかった2人だった。






 ダズヘートの心には、過去に刻まれた、特に大きなささくれが2つ残っている。

 片方は夢の残骸。片方は幼馴染のことだ。


 昔、ダズヘートには幼馴染が居た。

 ペーの一族、ペーネロパル。

 薄緑色の髪がまるで陽光に照らされた若草のように綺麗で、立ち姿がピシッとしていてそれも綺麗な、絵に描いたような貴族令嬢だった。


 ダスヘートとペーネロパルは、いつも一緒だった。幼い頃は一緒に遊び、机を並べて家庭教師の教育を受け、同じ学校に進学し、やがてペーネロパルがダスヘートに恋をして……そんな、淡い感情で繋がった関係だった。


 ヘート家とペーの家の間で、一時2人の婚約の話が持ち上がってたという話を聞くくらいには、2人の仲は格別に良かった。


 何年も前、ダズヘートが今よりずっと無神経だった頃。ダズヘートは男友達との会話の最中、売り言葉に買い言葉で、「剣で身を立てる以外の夢なんて全部無価値だ」と言い切ってしまった。

 そして、それを通りがかったペーネロパルに聞かれてしまったのだ。


 ダズヘートは、ペーネロパルが「私はお爺様のような料理人になりたいのですわ!」と常日頃から言っていたのを知っていたし、それに「応援するよ」と言って、ペーネロパルを喜ばせながら照れさせたりもしていたというのに。


 「あ」と言ってももう遅い。

 逃げるように、ペーネロパルはその場から走り去ってしまった。


 迂闊な発言だと思ってももう遅い。

 一度積み上げた信頼を崩してしまえば、取り戻すのは難しいのだから。


 ダズヘートはその後、ペーネロパルと顔を合わせるのが怖くて、ペーネロパルに何を言われるのかが怖くて、ペーネロパルを避け続けた。

 避け続けている内に、ペーネロパルが学校を辞めたことを聞き、驚愕した。

 そして、ずっとそのままだった。


 それが、彼の心に残るささくれ。


 彼女は何故消えたのか。

 自分の言葉は、彼女を傷付けてしまったのか。

 真実を知ろうとする勇気もなく、かと言って忘れられるほど器用でもなく、ずっと心の奥に押し込んだまま、考えないようにしていたささくれだった。


「……ロパルは、今まで何をしてたんだい?」


「実家を出て、王都に料理店を構えましたわ。最近は22家の貴族の方も多くいらっしゃいますわね。ただ定期的に腕を磨くため、こうして色んな街の店で武者修行させていただいておりますわ。そうしていたら、ラメドゥス様とお話しする機会があり、ラメドゥス様の部下がダズ様だと聞きまして……」


「ああ……なるほど、そういうことね」


 深呼吸1つ、ダズヘートは気持ちを固める。

 ダズヘートは、次にペーネロパルに会った時、まず真っ先に謝ろうと決めていた。


「あの、ロパル……」


「なんですの?」


「……」


「……」


「……その……」


「ふふ。話し難い時、言い辛い時、何かダメなことをしてしまった時、言葉に詰まって耳を触る癖はずっと変わっておりませんのね」


「……そう、かな」


 懐かしげに、ペーネロパルは笑う。

 ダズヘートは申し訳無さそうに頬を掻いた。


 その時。

 店の外、窓の向こうから、ヒッティアがダズヘートを睨んでいた。

 鋭い眼光が、窓越しに彼の視界に入る。


 『情けない姿を見せるくらいなら死ね』と、大鷹は眼光で伝えていた。


 ダズヘートが奮い立ち、決意と共に、言うべきことを口にする。

 深く深く、頭を下げて。


「ロパル! すまない! あの時、ぼくは君の夢もまとめて否定してしまって! 君の夢を応援すると言っておいて、あんな迂闊な発言をしてしまうなんて……本当にすまない!」


 何年も、何年も、ただこれが言えなかったがために残っていたダズヘートの心のささくれが、溶け消え始める音がした。


 そして、ペーネロパルは。


「……? ええと、申し訳ありませんが、いつのどの発言のことをおっしゃられてるのですか……? わたくし、ちょっと思い出せなくて……」


「えっ」


 


 "そんなこと"覚えてない、と言わんばかりに、ペーネロパルは頭に疑問符を浮かべている。


「うん……? ロパルはぼくのせいで気に病んで学園を辞めたんじゃないのかい?」


「? なぜダズ様のせいで学園を辞めるという話になりますの? ダズ様のおかげで学園を辞める踏ん切りがついたのは事実ですが……」


「???」


「???」


 幼馴染2人、首を傾げる。

 2人の首を傾げる動作が鏡合わせのようにそっくりなことに気付いたのは、窓の外から白けた顔で2人を見ているヒッティアだけだった。


「そうでしたわ。わたくし、ずっと言う機会がなくて、これを言うためにラメドゥス様に貴方との繋ぎを取ってもらいましたの」


 ペーネロパルは席を立ち、感謝と共に、言うべきことを口にする。

 深く深く、頭を下げて。


「あの時、『夢が大事ならそれだけのために生きることも必要なんじゃないか』と言ってくださり、ありがとうございました。わたくしはあの時、本当に迷っておりました。夢のために全てを置いて走り出して良いのか、迷っておりました。その背中を押してくれたこと、感謝が絶えませんわ。貴方のおかげで、わたくしは今後悔せずに生きられています」


 何年も、何年も、ただこれが言えなかったがために残っていたペーネロパルの心のささくれが、溶け消え始める音がした。


 そして、ダズヘートは。


「……? えっと、なんだっけ、いつどこで言ったんだっけそれ……? ぼく、ちょっと思い出せないかもしれない……」


「えっ」


 


 "そんなこと"覚えてない、と言わんばかりに、ダズヘートは頭に疑問符を浮かべている。


「……もしかして、わたくし達」


「うん……」


「結構すれ違っていた上に、結構色んなこと忘れておりましたのね……」


「みたいだね……」


 沈黙。

 見つめ合い。

 互いの目を見て。

 同時に、笑った。


「ははっ」

「ふふっ」


 ペーネロパルは、ダズヘートがした失言を『ただの失言』としてすぐに忘れてしまい、けれどダズヘートがかつてくれた応援の言葉を『大切な人のエール』としてずっと覚えており、その言葉を支えにここまで来た。ただそれだけのことだった。


 ダズヘートが何年も抱えた苦悩は、とんだトンチンカンな悩みだったというわけである。


「でも、意外だな。ロパルがぼくの言葉をそんなにずっと覚えていてくれるなんて。学園でのロパルは恥ずかしがり屋で、時々忘れん坊だったからね」


「わたくしは、皆のことが大好きだった貴方のことを覚えています。大好きな人のために、皆のために、本気で走り回っていた貴方のことを覚えています。何一つ忘れるわけがありませんわ」


「……そ、そっか」


 真っ直ぐなペーネロパルの言葉に、ダズヘートが顔を少し赤くする。


 その言葉の羅列に、照れは無かった。


「貴方と、わたくしと、皆と……あの思い出があるからこそ、わたくしはずっと1人でも走り続けて居られますのよ。大切にされた思い出、愛された思い出、皆で1つのことに全力で取り組んだ思い出……それがなかったら、何度挫けていたことか……」


 ペーネロパルが堂々と語る、とことんまで『感謝』に満ち満ちた言葉が並んで、ダズヘートの胸の奥に染み入っていく。


 その言葉の羅列に、照れは無かった。


「あの頃のわたくしは、そんな日々をずっと広げてくれていた貴方のことが、好きでしたのよ? ふふ、もちろん恋愛的な意味で。ご存知でした?」


 少し、ほんの僅かに、一瞬だけ、2人の間に、息を呑むような沈黙があって。


「当時は気付いてなかったかな。大人になったら、流石に気付いたよ」


「まあ。やっぱり鈍感な人でしたわ」


 2人は、笑い合う。


「ありがとう、ロパル。……こんなぼくを、好きでいてくれて」


「こちらこそありがとうございました。わたくしに、人に恋する気持ちを教えてくれたのは、間違いなく貴方でしたわ」


 2人のそれぞれの人生に、目には見えない大きな区切りを置くような、そんな一瞬があった。


 心のささくれが、本当に消える音がした。


「過ぎ去ったあの日々そのものが、わたくしの今を生きる力であり、誇りですわ。……あなたはそうではありませんの?」


 ペーネロパルが問いかける。


 少し前なら、ダズヘートは昔のことを思い出すことさえ嫌がっていたはずだ。昔はキラキラしていたから。今がキラキラしていないから。


 過去が素晴らしく輝いているからこそ、薄暗い今の日々を素直に飲み込むことができなくて、それが心のささくれになっていた。憧れと夢の残骸も相まって、それは彼の胸中にずっと薄っすらとした苦しみを吐き出し続けるものだった。


 けれども、今はもう、そうではない。


「ううん。ぼくもそうだよ」


 夢と憧れの残骸も、幼馴染を傷付けたまま再会せず逃げ続けたという後悔も、キラキラした青春の日々に囚われる重みも、今のダズヘートなら全て飲み込み、未来に進んでいける。


 ダズヘートは剣に夢を見て、夢破れた代わりに得た日々の中で、ペーネロパルを助けられた。

 ペーネロパルはダズヘートの言葉に傷付けられておらず、ダズヘートの言葉で歩き出していた。

 あのキラキラとした日々に意味はあって、今もダズヘートとペーネロパルを支える心の力になってくれていた。


 全ての悔いは、全てが希望に繋がっていた。


「なら、よいことですわね」


「うん、いいことなんだと思う」


 上品に笑うペーネロパルは、屈託も無く、迷いも無く、後悔も無く、照れも無い。


 ダズヘートの記憶に残るペーネロパルは、育ちの良さから来る恥ずかしがり屋な面があった。

 少なくとも今日のように、ダズヘートへの好意の理由を余すことなく語り尽くし、あまつさえ好意があったことを語るなどと、恋愛感情があるペーネロパルには到底不可能なことである。


 ペーネロパルが語るダズヘートへの恋愛感情は、過去形だった。

 語る最中にも一切照れがないことからも、それが過去形であることは事実なのだろう。


 夢を追うことが決めた時、ペーネロパルは多くの物を置いていった。

 安定も、将来も、青春も、恋心も。

 そして、拾いに帰るつもりなど彼女にはない。


 それはおそらく、ダズヘートがペーネロパルに何をしようと、何を言おうと、もう二度と拾われないものである。


 『もう彼女の心の一番深い所に、ぼくは居ないんだ』───そう、ダズヘートは現実を理解し、受け止めた。


 人知れず、ダズヘートはぐっ、と、歯を強く噛み締めて、溢れそうになった気持ちを飲み込んだ。


「ではわたくしが数年の成果を振る舞うといたしましょうか。何か食べたいものはありますの?」


「ぼくの好きなものは変わってないよ。あの頃のままずっとね。おんなじだ」


「ま。大人になれておりませんのね」


「昔も今も、好きなものは変わらないもんだよ」


 2人して、あの頃のように笑い合う。

 決して、あの頃には戻れないけれど。

 絶対に、あの頃の関係には戻せないけれど。


 だとしても、あの頃のように2人で笑い合うことは、ダズヘートとペーネロパルに許された、永久不可侵の権利であった。


 ささくれは、もうどこにも無かった。











 話したいことを話し終え、会話を終え、食事を終え、店を出て来たダズヘートの横に、大きな翼を羽撃はばたかせたヒッティアが着地する。

 その鷹の目には、男をねぎらうような意思が見え隠れしていた。


 ダズヘートがヒッティアの頭を撫でる。

 昨日より、一昨日よりも、ずっと優しく、慈しむような手付きであった。


「さあ、帰ろうか、ヒッティアさん」


「クェ」


 ダズヘートが歩き出す。

 足取りは軽い。

 足音のリズムにも迷いがない。

 答えを得たがゆえの変化が、彼の細かな動作や所作に表れているかのようだった。

 そんな彼についていくように、鷹が跳ぶ。


「明日からも仕事だ」


 目を閉じれば、ダズヘートの瞼の裏に、今日見たものが次から次へと浮かび出す。

 明るい店。

 笑っている客。

 美味しそうな料理。

 楽しげな空間。

 そして、その中心で笑う1人の女性。


 ペーネロパルの笑顔が、ダズヘートの瞼の裏に焼き付いている。あの日から続く気持ちと共に。


 騎士団が守るものではない。

 国境警備隊が守るものではない。

 最強の騎士が守るものでもないだろう。

 それはただの一般人の日常の一幕。

 だからこそ。

 警邏隊が守るものとは、『それ』なのだ。


「皆が生きてる小さな世界をそっと守る。日々の中で皆に寄り添う。そんな素晴らしい仕事をしよう」


「クァッ!」


「ぼくらは戦う、この世界の警察だ」


 かくして、元ハーレム主人公と元ハーレムヒロインによる、青春に残してきた忘れ物、心に残ったささくれを片付ける、一夜の語り合いは終わった。


 そして、夜が回って、夜が明けて。


 また、明日が来る。


 いつものように。






 ダズヘートがペーネロパルとの気持ちの整理をつけた、翌日。

 ラメドゥスは、派出所の前で朝早くから警棒を素振りしているダズヘートを眺めていた。

 木の上に止まっているヒッティアもまた、ダズヘートの鍛錬を見守っている。


「いいねぇ、気合い入ってるねぇ」


「これまで怠けすぎてたんです、よっ!」


「いやぁ……若い台詞だねぇ……」


「なんていうかっ、目標もなくっ、ダラダラとっ、『警察』やろうとするよりはっ、目標決めてっ、毎日っ、全力ぶっこんで生きてた方がっ、絶対できることっ、多いはずなんですよっ!」


「……若いねぇ……」


 ブンブンと、息を切らしながら素振りを繰り返すダズヘート。それをラメドゥスは微笑ましいものを見る目で見ていた。


「ぼくっ、来年の捧剣祭出ますよっ! 警邏隊の肩書き付けてっ、優勝目指して行きますっ! 勝ち目はまだ全然ないでしょうけどっ!」


「……へぇ! どういう心境の変化があったのか聞かせてもらえないかねぇ? 捧剣祭が世界中から強者が集まる世界最高の大会だと分かってないわけがないよねぇ?」


 ダズヘートは汗を拭き、水を飲み、ラメドゥスの問いに力強く答える。


「人生はどっからでも最高に楽しくできるって、ぼくを見てる人達皆に、見せながら生きて生きたいじゃないですか。そこのあなたの人生も、どこからでも変えられるって、伝えながら生きていきたいじゃないですか」


「……なるほどねぇ」


「挑戦もしないで諦めて、傷付かないようにだらっと足踏みして、疲れるかどうかを行動の判断基準にしそうなダサい大人を、一回辞めようと思うんです。ぼくがこう在りたいと思うぼくになるために」


 それはまるで、『最高の時を過ぎ去ってしまった後の残り滓』のような人生を、今一度焼いて蘇らせるような、そんな人生の再稼働であった。


 今のダズヘートには、向き合っているだけで伝わって来そうなほどの、深く大きな熱量が感じられている。


「いやぁ、若さだねぇ」


 ラメドゥスが感心していると、曲がり角の向こうから現れ、歩いてくる人影が2つ。


 片方は先日、ダズヘートが盗賊から助けた、ダズヘートに学生時代の話をした中年の男だ。

 もう片方は2歳か3歳あたりの幼い少年。顔が似ているあたり、中年の男の息子のようだ。


「やぁ、ダズヘート君」

「こにゃちわ」


「あ、この前の荷馬車の時の……今日はお子さん連れなんですね」


「いやね。商売から帰って末っ子にダズヘート君の話をしたら、会いたい会いたいと駄々をこねられてね。収まりがつかなくて連れて来たんだが……仕事の邪魔になるようなら、すぐに帰るよ」


「今なら大丈夫です。ぼくは仕事前に鍛錬をしていただけなので。大変ですね、わんぱくそうなお子さんの子育てって」


「そーなんだよ! ダズヘート君なら分かってくれると思ってた! 妻は本当によく頑張ってるよ」


 幼い少年は、真っ直ぐな目でダズヘートを見つめていた。ダズヘートの顔と、手にした警棒を交互に見ている。


 そうしていると、背の高い大樹の枝から、葉が三枚ほどはらりと落ちてきた。

 ダズヘートはその三枚を、葉の位置も見もしないで、警棒にて三連撃。

 原型も残さないほど微塵に、打ち砕いた。

 葉の細胞と水分が混ざって弾け、早朝の陽光を取り込んで、キラキラと輝いて舞い上がる。


 その光景に、幼き少年は見惚れていた。

 その強靭さに。

 その流麗さに。

 その鮮烈さに。

 少年の幼い心に、夢見るような憧れが刻まれた瞬間だった。


「おにーちゃ、ぶきふってるの、かっこい! びゅんびゅん! しゅっしゅってしてた!」


「そうかい? ありがとうね」


「ぼく、おにーちゃみたいなかっこいい『けいら』になる! ぜったい! まってて!」


「───」


 夢は繋がれる。憧れは連鎖する。誰かに憧れていたはずの誰かが、いつしか誰かから憧れを向けられる者になっている。


 そこに人の生きる場所がある限り、懸命に生き続ける限り、繋がる連鎖が途切れることはない。


 ダズヘートは、大人らしい落ち着きのある微笑みで、少年に笑いかける。


「君もきっと、『何か』になれるよ。何になるかは分からないけど、きっとぼくよりずっと格好良くて素敵な大人な『何か』に」


「うん!」


「その日まで、ぼくが君達を守るから」


「ありがとー!」


「どういたしまして」


 これは、かつてラブコメ主人公だった少年の未来の話。ハーレム主人公だった少年の成れ果ての話。そして、次の時代の主人公に繋ぐ男の話。

 次の時代を生きる主人公を、ヒロインを、大人を、子供を、人々を、守り続ける異世界のおまわりさんが歩き始めた日の話。


 『青春の日の恋』に区切りを付けたことで、1つが終わり、1つが始まった。

 ここからまた、始まっていくのだろう。


「ダズヘートさん、おはようございます」


「おはようございます、ハンさん」


「今日もお仕事頑張ってくださいね」


「はい!」


 道行く人が、挨拶をして、通り過ぎていく。


「おお、おお、ダズヘート。これ、煮物だけど、よかったら食べておくれな……」


「マゴおばあちゃん! ありがとう、ぼくこれ好きなんだよ。休憩時間に食べさせてもらうね」


「ほっほっほっほ」


 挨拶をして、言葉を交わして、人が巡る。


「カロカロちゃん!? 時間見てる!? ほらこれぼくの時計見て! 走らないと学校に遅刻するよ、急いで! 急いで!」


「うっせーわー」


「いってらっしゃい! 学校頑張って!」


「……いってきまーす」


 かつて彼は、美少女達に愛される少年だった。

 だから彼は、ハーレム主人公だなんだと、同級生の男子に茶化して呼ばれた。


 今の彼は、街の人々に愛される男になった。

 皆が皆、親しみと信頼を込めて、彼のことを街のおまわりさんと呼ぶだろう。


 子供から大人に成長して、けれど芯の部分は変わらずに、ダズヘートは生きている。

 彼は、愛される形で周りを救うのだ。


「ラメドゥス先輩、空き巣の通報があったそうなので調べてきます。昼までには戻りますね」


「いいねぇ、精力的でねぇ。頑張ってねぇ」


「はい! 行ってきます!」


 街を男が行く。

 女が街角を歩く。

 子供が転んで、大人が助け起こす。

 街に見える全てが、かけがえのない日常。


 それらを眺めながら歩いていると、ダズヘートの進む先から、ペーネロパルが歩いて来た。

 かつては、好きで繋がっていた2人。

 今は、何で繋がっているのだろうか。


「おはよう、ロパル」


「おはようございます、ダズ様」


「クァッ、クェッ」


 2人の間に割って入ったヒッティアが、ペーネロパルの顔面に向かって吠えた。


「ひゃぁっ」


「ヒッティアさん!?」


 もしもこの地に彼女の同族の鷹が居たならば、『派手にメスを出してるなヒッティアとかいうやつ』とコメントしていたかもしれない。


「こら、こら、ヒッティアさん、ロパルは敵じゃないよ。そんな吠えないで……しょうがないな」


「クォッ」


「かなり本気で怖いですわ~」


 ダズヘートがヒッティアを抱きかかえ、優しく撫でて大人しくさせている内に、ペーネロパルがスタコラサッサと逃走。

 そしてダズヘートがまた歩いていると、広い川の向こうからペーネロパルが手を振っているのが見えて、ダズヘートが手を振り返り、ヒッティアがまたペーネロパルへと吠えた。


「機嫌直してくれないかな? ヒッティアさん」


「クァ」


「もー、気難しいレディなんだから」


「クァ!」


 そして、また今日が始まった。


 そして、また明日が始まるのだろう。


 この街で、いつまでも、ずっと。


 きっとずっと、続いていく。



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異世界でハーレム主人公が卒業し皆と別れ1人警察に就職した後の、胸を張って進むその後について オドマン★コマ / ルシエド @Brekyirihunuade

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