爪切りを使えば良かった

住礼ロー

第五章 そして、血が滲み出していた。(ナレ第一稿)

 私は退勤し、社屋を出ると、振り返り、ゆっくりと、深く、頭を下げた。明日からはここに務める事も無い。最後の最後に大ナタで伊勢大四郎いせ たいしろうの首を斬ることになるとは思わなかったが。


 伊勢大四郎が人事課に配属されたのは20年前だ。既に30代だったが、社内では異例の人事だと言われていた。他社がどうかは私は知らなかったが、もっとも取締役に近いのが人事課と言われており、当時の同役職のメンツは全員が50代以上で5年ほど動いていなかったため、すっぱ抜いた新聞や雑誌により、社外もそれなりに揺らしたらしいと聞いていた。もっとも、外聞について、それこそ社外の評判など気にかけるほどの余裕は当時には全くなかったのだが。


 伊勢大四郎が最初にやったのは直営工場の人員の整理だった。不要ではない、文字通りのだ。あまり詳細に書けない者から、職務中の雑談が多い程度の者(食品工場の生産ラインで、ぺちゃくちゃ喋るのはどうかしているとしか言いようが無いが)まで、非正規雇用者を結果として数千人単位で整理した。テレビの昼のワイドショー番組(一度見たが、ショーというのもおこがましい内容だった)に非人道的人員整理などとゴチャゴチャ言われていたらしいが、これにより機械化が一気に進み、業界シェアでトップになったことで、私は更に大きな仕事を行う事が出来たと思っている。

(映像字幕注釈:※正しくは「当時の月間出荷数が業界1位」ですが、原作表現を尊重し「業界シェアでトップ」という表現ママにしています。)


 - 中略 -


 この頃になると、伊勢大四郎の陰口であるところの「大ナタの大四郎」もすっかり板についていた。人員整理を行う度に私の名前がテレビに躍り出ている時は、大抵気分が悪くなる内容だったので、妻に言ってテレビは処分をさせた。

 <!--子供たちはアニメやドラマが見れないと友達と話が出来ないと言っていたが、そんなものは友達ではないし、フィクションなど読んでも勉強にもな……-->//←流石にカット。原作者説得済み。//

 唯一、多勢大四郎たぜ だいしろうという、私と同じ名前の俳優は気に入っていたが、主役をやるようなタイプでも無かったので、結局職を辞するまでテレビでドラマを見ることは無かった。


「ささくれに大ナタを振るうような横暴さ」とはよく言われたが、はみ出しているなのだから、何を使ってでもバッサリいくべきだと当時の伊勢大四郎は信じていた。今にして思えば、ちゃんと丁寧に爪切りを使うべきだったのだろうが、成功体験とはコワイものだ。


 -中略-


 最後の務めを終えて、社屋に下げた頭を上げた後、来た時と同じ荷物しか無く、花束すら抱えていないことに落ち込んできたのだった。帰っても、労ってくれる家族も、もういない。

 だがしかし、いつまでも俯いているわけにもいかなかった。来月から務める新しい職場に思いをはせていた瞬間、ドンッ、と腰のあたりに大きな衝撃。見ると、浮浪者のような小汚い男が果物ナイフをガッシリ握って突進してきていた。

 泣きながら紅潮した顔でこちらを見上げていた男の顔から、自身の脇腹に目を移すと、白いシャツが真っ赤になっていた。身体が崩れ落ちる。血の気が引いていく。

 世界がゆっくりと白黒になっていく中、視線の先に自分の腕が、手が、指先がだらりと横たわっていた。

 無意識にやったのかは今や憶えていないが、前歯でむしられたが指の皮の一部ごと、無くなっていた。

 そして、血が滲み出していた。



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 収録に一区切りがついた多勢大四郎はヘッドホンを外すと、手を組んで前方に腕を伸ばした。自分が演じている映像にアフレコするのは、何年やってもこそばゆい。

 すっかり常温になったミネラルウォーターで喉をうるおしてブースを出ると、マネージャーから伊勢大四郎氏が見学に来ていて、挨拶をしたいとのことだった。チラと音響兼任の監督の方を見ると、手を合わせながら頭を下げていた。あまりにも早い反応。長く組むと、こういうところもツーカーだ。良いか悪いは別にして。

 多勢大四郎は息を吐いて肩を落とすと、OKのサインを出して伊勢大四郎氏の元へ向かうのだった。


 車椅子の伊勢氏との会話は特筆するべきものは無かった。自身伊勢大四郎を演じたこととナレーションへの賛辞、多勢大四郎ドラマへの細かいいくつかのシーンへの絶賛がなされた後、介護人であろう若い女性が車椅子を押して去っていった。


「なんか、噂通りでしたねえ」


 横でニコニコ聞いていたマネージャーがすっかり疲れた顔で呟いた。


 伊勢大四郎氏の自伝である「爪切りを使えば良かった」には批判が殺到していた。その内容のほとんどが自己の過度な美化と誤認と偏見にまみれていたからである。

 特に第五章の自身伊勢大四郎が刺された下りはまるっきり創作で、実際には泥酔して居酒屋の店主に頭蓋骨が骨折するほどの暴行していた所を、その妻に背後から刺されたというのは、あまりにも有名が過ぎる話だった。半身不随にさせたにもかかわらず、過剰防衛が認定されなかったとして、大いに世間を騒がせたのだから当然だろう。


 あと、多勢大四郎のことを俳優として気に入っていたというのも絶対に無い。その頃はテレビやドラマでは出役はやっていなかったからだ。出版年を考えると、恐らく私が初めて主演をやったドラマがバズった年と一致するで、それを見て適当に名前を出したか、別の俳優だろう。まあ、ご高齢でもあるし、とやかく言うのも少し可哀想だ。


「本当に良かったんですか?このドラマ受けて?」


 正直、受ければマイナスしか無いオファーではあったが、一応読んだ自伝の中の一節だけが、多勢大四郎の中で妙にひっかかり、回りに回ってきた役ではあるが、受けるに至ったのだった。


使


 これが伊勢大四郎氏の本心であるならば、爪切り役になる人間がいてもいいだろう。そう考えたのだった。


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 後日、伊勢大四郎氏がセクハラで大々的に訴えられたため、ドラマは放映中止となった。


 ささくれは、出来ないように生きていくのが、一番なのかもしれない。

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