【KAC20244】シン・竹取物語

いとうみこと

お腹いっぱい食べたいんだ

 ちょっと昔、ある田舎に、四十を過ぎても独り身の治一郎という竹細工職人が工房を構えていました。治一郎はもともと腕のいい職人でしたが、長患いしていた母親を五年前に看取ってからは自堕落なその日暮らしをしていました。


 ある早春の日、いよいよ食べる物にも事欠くようになったので、治一郎は久しぶりに仕事をしようと裏山に竹の切り出しに行きました。長いこと放置していたせいで竹やぶは荒れ放題です。下草を払いながら奥へ進んでいくと、ひと際太い竹の根元がほのかに光って見えました。こんな太い竹は細工には使えませんが、どうしても気になった治一郎はその竹を切ってみました。するとどうでしょう、白黒の丸い毛糸玉のような物がすっぽりと収まっているではありませんか。恐る恐る触ってみるとふんわりと柔らかく、ほんのり温かい被毛は微かに上下して呼吸をしているようでした。


 どうやら冬眠をしているけものを取り出してしまったようだと考えた治一郎は、そのままにしておくこともできず、ひと抱えはあるその獣を工房に連れ帰りました。獣はぐっすり眠っているのか丸まったままぴくりともしません。治一郎は本格的に暖かくなるまで工房の片隅に置くことを決め、古い布団と竹籠を用意して、その中にそっと獣を入れました。


 翌朝、屋根裏の寝床から工房に下りた治一郎が竹籠の中を覗いてみるともぬけの殻でした。慌てて辺りを見渡しますが獣の姿は見えません。きっと夜のうちに目を覚まして出ていってしまったのだろうと思い、治一郎は何だかがっかりしました。


 捜しに出ようか迷っていると、台所の方から何やら物音がしました。急いで行ってみると床一面に竹籠やら野菜くずが散らばっていて、かまどの上の炊飯釜がガタゴト揺れています。中を覗くと、昨日連れ帰ったあの獣が逆さになってもがいていました。治一郎は驚かさないようにそっと抱え上げ、初めてその顔を見ました。一見熊のようですが、全体は白で目の周りと耳と手足が黒いこれまで見たことも聞いたこともない生き物です。熊の子のようなその獣もきょとんとした顔で治一郎を見つめています。暫くお互いに見つめ合っていましたが、ふわふわな見た目と違ってずっしりと重いその獣を抱え続けるのが辛くなり、治一郎はそっと土間に下ろしました。ところがその生き物は逃げることもなく、むしろすがるような目で治一郎を見上げました。


「そうか、腹が減ってるんだな」


 治一郎は天井から吊り下げた竹ざるから干し芋を取り出すとしゃがんでその獣に手渡してやりました。すると器用に前足で掴んでかぶりつき、あっという間に食べ終えました。物足りないのか、獣は治一郎の膝に前足を乗せてせがむような仕草をしましたが、その姿がなんとも愛らしく、治一郎は最後の食料である干し芋を全て与えてしまいました。


 ざる一杯の干し芋をぺろりと平らげ満足したのか、その獣は桶に頭を突っ込んで水をごくごくと飲み、のっそりと工房へ戻っていきました。それからござの上に寝そべって、ゆらりゆらりと体を揺すり始めました。ふっくらとした体と短い手足が赤子のようで、知らぬ間に治一郎は笑顔になっていました。そんな自分に気づいて治一郎ははっとしました。もう長いこと笑ったことなどなかったからです。


「お前に名をつけないとなあ」


 治一郎はその生き物をコロと名付けました。コロはとても利口ですぐに自分の名前を覚えました。どこへでもついて来たがり、夜は体を寄せて寝るようになりました。ただ、屋根裏の寝床から自分では下りられないので、治一郎は毎朝大変な思いをしてコロを下ろしました。そんなことすら治一郎は楽しくて仕方ありません。


 治一郎はコロのために仕事に精を出すようになりました。ボサボサの頭を整え、伸び放題だった髭も剃ってあちこち竹細工を売って歩きました。ついでに壊れた竹籠など直して手間賃を稼ぎました。もともとが腕のいい職人だったのでひとりで暮らす分には十分な儲けがありましたが、何分コロが大食漢なので暮らしは一向に楽になりませんでした。それでも治一郎はとても幸せでした。随分と大きくなったコロを膝に抱えて毎晩のように話しかけました。


「存分に食べさせてやれなくてごめんな。もっともっと働いて腹いっぱい食わせてやるからな。おっとうが死んで、苦労して俺を育ててくれたおっかあも死んで、ひとりぼっちで、何で俺だけ生きてるんだろうなあって思ってたんだが、今はお前のために頑張れるんだ。そうだ、俺はお前のおとうなんだよ!」


 どれだけ治一郎が熱く語っても、コロはつぶらな瞳で見つめ返すだけでした。そんなコロに向かって、治一郎はつい愚痴をこぼすのでした。


「ああ、俺ばかり話してもつまらない。お前が口がきけたらもっと楽しいだろうになあ」


 そんなある日、いつものように朝早く竹を取りに行った治一郎は、籠いっぱいの筍を持って上機嫌で帰ってきました。


「コロよ、今年はあったけえからもうこんなに筍が取れただよ。今茹でてやっから待ってろ」


 治一郎が台所に向かおうとすると、コロがすごい勢いで籠に飛びかかり、頭を突っ込んでバリバリと音を立てて筍を食べ始めました。あんぐりと口を開けてその様子を見ていた治一郎はやがて腹を抱えて笑い出しました。


「なあんだ、おめえ筍が好きなんだな。そりゃそうだ、竹の中から出て来たくらいだもんな! 筍ならこれから暫くは食べ放題だ。良かったな、コロよ」


 コロは筍を抱えて土間に座り直すと、嬉しそうに治一郎を見上げました。その瞬間、治一郎の頭の中に誰かの声が響きました。


「うまい……おとう、うまい」


「えっ?」


 治一郎はきょろきょろと辺りを見回しましたが誰もいません。いるのは目の前のコロだけです。まさかとは思いつつも聞かずにはいられませんでした。


「コロ、お前、何か言ったか」


「おとう、うまい」


 治一郎の目から涙があふれ出しました。間違いなくコロが話しているのです。しかも自分のことを『おとう』と呼んでくれたのです。


「そうか、コロよ、お前話をしてくれるのか。ありがとな、ありがとな。おとうが何でも願いを叶えてやるから言ってみろ。ほら、言ってみろ!」


 治一郎はその声を聞き逃すまいとコロのすぐそばまで近づきました。治一郎にはコロが微笑んでいるように見えました。そして聞こえてきた言葉は……








「おとう……ササくれ」

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