『アロエ』(KAC20244:お題【ささくれ】)
石束
花が瀬村異世界だより2024 その4 (KAC20244)
「それでね。今、『偵察』にいってるらしいよ」
「偵察って、なにさ」
「だからさ。千波さんちの、妹さんがどんな具合だかって、キサラちゃんが」
昼下がりの共同炊事場はにぎやかだった。
花が瀬村の中央にある村民会館。その裏にある村民グランド。その傍らにあるトタン屋根の下に、地下水をくみ上げる手押しポンプや、耐火煉瓦を積んだ竃(かまど)を備えた炊事場があるのは、そもそも、村営キャンプ場の開設準備が進んでいたためだった。
キャンプサイトは水はけのよい高台。すぐそばに、スロープを備えた駐車場も完備されていた。簡易の宿泊施設や医務室を備えた管理棟も、小さなカフェも芝生のドッグランも完成していた。隣の倉庫には半年分の薪に灯油にガソリンも貯蔵されていた。さらに相当数の貸し出し用のテントや寝袋なども、まだタグがついたままのが棚に詰め込まれていた。
花が瀬村が異世界転移に巻き込まれた時、この設備とアウトドア用具がものを言った。いざという時の防災倉庫も村民会館の隣にあったので、このキャンプ場が避難と生活再建の基地になりえたのだ。
ただ、電気や水道のライフラインの復旧は困難を極めた。故に、やむを得ず村民は自らが水のある場所に「集合する」ことにした。
古き良き、古式ゆかしき、『井戸端会議』の復活である。
「あたしね。実はいっぺんだけみたことあるの、妹さん」
「あらそう」
「最初の村民会議の時に、千波君がね、抱きかかえてきたのよ。ホラ、あの時はまだガソリンがあって、車が動かせたから」
「あ、はいはい」
「でも、やっぱり辛そうだったから、車で待ってるって話になって、長老に言われてお水もっていったの」
「そうだったんだ。無理しなくていいのにね」
「いや、『こんな時だからこそ、顔を出すのが礼儀だ』ってお兄さんを押し切ったんんだって、妹さんが」
「律儀だねえ。というか、あの千波君を押し切ったの?」
「そうなのよ。すごいよね。……それでさ、長老と診療所の先生に挨拶して、自分の病状を説明して、その上で自分の家にある薬とか包帯とかのリストを渡したんだって。診療所で足りないものがあれば言ってください、って」
「自分が一番、必要だろうにねえ」
「診療所の牧医師(せんせい)も、そう言ってたよ。それで診療所のベットも限りがあって、千波さんちは建物も大丈夫だったから、避難所よりは自宅療養の方がいいだろうって相談して、そのままトンボ返りして」
「ああ、それでみんなには会えなかったんだ」
「そうなのよ。でね。わたしもその時にチラっとみだだけなんだけど、これがまた、肌の色が真っ白で綺麗で、髪が綺麗で……それはもう、すっごいきれいでね」
「……何回キレイっていうのよ」
「そりゃもう、あんた。かぐや姫って、こんな人だったんだろうなあ、ってくらいでねえ」
「そーなのね」
「そーなのよ。ああ、そういえば――聡美さんは、この前会ったんだっけ?」
――急に、話を振られて、聡美はびくりと体を起こした。
あの月下の夜の事が脳裏によみがえった。
開け放たれた窓、幽かな風、あまい、果実の香り。
――月光の中、しらじらと浮かび上がる人影。黒髪と病的に白い肌。
それでもなお、薄闇の中で炯炯と輝く、強い意志を湛えた澄んだ瞳。
「――あいた!」
しかし、突然、指先から発した鋭い痛みに、思わず聡美は声を上げた。
水につけていた手を引き抜くと、少し前から気になってた右の中指がずきずきといたんだ。
井戸端会議に参加していた5人がわらわらと集まってくる。
「うわー、これは立派な『サカムケ』。痛そうだわ」
「え。『ささくれ』でしょ」
「『サカムケ』だってば」
「どっちでもいいよ。ホラ、聡美さんは治療に行って行って」
「診療所……よりも、管理棟の医務室が近いね。クリーム塗ってきなよ」
「うん。後はやっとくからさ。あのハンドクリーム効くからね」
「あーあー、あの蓋にマジックで『おーがにっく』って書いてるヤツ」
「現地産なら、まあ、問答無用でオーガニックだわね」
すみません、と断わりを入れて聡美は仲間の言葉に甘えた。水場を離れて村営キャンプ場の管理棟に向かう。
「……」
キャンプ場の医務室は管理棟にある事務所の隣りにある。
キャンプ場の管理棟は、太陽光発電と地熱発電を併用してある程度スタンドアローンで住環境を維持できるという花が瀬村が誇る最新設備で、自前の温泉を活用した大浴場までも完備されていた。
「衣食足りて礼節を知る」ではないが、共用で順番待ちの制限付きとはいえ交代で入浴までできる施設の存在は、ストレスの多い集団生活でささくれた村民の心に潤いを与えたものである。
生活再建が進むにつれ使用頻度は下がったが、それでも田舎の共同施設らしく「使う前よりきれいに」の精神で今も丁寧に掃除されているので劣化もすくなく、この建物の中に入ると、聡美は自分が異世界にいるのが「たち」の悪い夢なのではないかと思うことがある。
「……」
そうして聡美は、医務室に入った。普段常駐する人もいないが整然としており、ガラスの薬棚には誰にでもわかる様に薬効ごとに薬が並べられた上で簡便な鍵がかかっている。今後補充が見込めないための措置で、長老と診療所の医師がカギを持っている。そんな中、唯一「使い放題」の例外は机の上の黒い蓋のついた海苔のビンで、中には透明なジェル状の物体が詰まっていた。
これは村の境界に生えている巨大なアロエから採取した、100%アロエのジェルである。ただ、ほぼ水分の元の世界のアロエと少し違い、ワセリンやグリセリンでも混じっているかのような適度な粘性と保湿力があり、少量擦り込むだけでお肌がしっとりすべすべになるという優れモノである。
このトンデモ「アロエ」も、例によって、姿が似ているから「アロエ」と呼んでいるだけで、それに似た異世界産の「何か」ということになる。実際は千枚通しの代用も出来そうな金属感のある針を備えた、樹高3メートルにもなる見た目凶悪な異世界産植物だが、針を切り落として捌きさえすれば、ハンドクリーム代わりになるジェルがリットル単位でとれるとあって、男女問わず村人から重宝されていた。
そして、その――おそらくは贈答用の海苔の瓶であったろう容器の黒い蓋には、白マジックで
「おーがにっく」
と書かれていた。
ひらがなの書き文字は健太のものだ。たぶん一緒に取りに行った女性陣あたりに、教えてもらったのだろう。
そして、それが聡美にわかるのは、もう少し小さな瓶にやはり同じく「おーがにっく」と書かれた現地産ハンドクリームが彼女の手元にもあるからだ。
それは健太が聡美のために取ってきたもの。
手荒れで辛そうにしていた彼女のために――彼女の、誕生日に。
――良い子に育ってくれた。
思いやりのある良い子に、そして一本筋を通す真っすぐな子になった。あるいは困難にもへこたれず前へ進む強い子になった。
自分一人だったらどんなことになっていたか。有形無形、村の大人たちのお陰で、なんとかここまでこれた。
だが、その一方で聡美は自分の無力を、あるいは至らなさを思わずにはいられない。
あの日だってそうだ。
胸が潰れるほど心配して、心配して、それでも見つからずに、やっと、白い家で健太をみつけた。
どれほど心配したことかと言いもしたし、みっともなく泣いて抱きしめた。
しかし、強くは叱らなかった。
あの不思議な少女に気圧されたとは、意地でも思いたくなかったが、叱れなかった。
今度こそは、危ないことをしないように言おう。今度という今度は、手を上げてでも叱らなくては、と直前までは覚悟も決めていたのに。
「……できるわけない」
そんなことできるわけがない。
あの子は、健太は。
自分の子ではない。佳純の子だ。
本当の親でもない自分が、佳純の子に手をあげるだなんて、そんなことできない。
では、どうすればよかったのか。
ずっと、ずっと、毎日毎日迷ってきた。
一度も納得できる答えなんて出なかった。
ふと、聡美は自分自身の弱く傷だらけの部分が、不意にあらわになるのを感じた。時々鈍い痛みをともなって訪れる「それ」は、この指と同じ、精神における「ささくれ」のようにどうしようもなく、耐えて癒えるのを待つほかなく、それでいて癒えては傷つきを繰り返す手荒れのようで、痛みを感じなくなったことなど、一度もなかった。
誰もいない医務室で、鈍い指先の痛みをそのままに、聡美はくずれるように膝をついた。
「ごめんね、佳純。わたし、ぜんぜん、あの子の母親、できて、ない……」
健太のいない場所で、幾度となくそうしてきたように。
花が瀬村異世界だより2024 その5 『優しく雨ぞ降りしきる』につづく
https://kakuyomu.jp/works/16818093073814052337/episodes/16818093073814147472
『アロエ』(KAC20244:お題【ささくれ】) 石束 @ishizuka-yugo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます