親不孝通り

スロ男

Unfilial street

 親不孝通り、と呼ばれる場所がある。

 全国津々浦々に親不孝通りはあり、諸説はあるものの大抵は親泣かせな場所、つまり居酒屋や遊興施設、風俗店などが多数あり、放蕩息子が遊びに耽ってしまう歓楽街を指す。

 今回の舞台となる横浜は曙町の親不孝通りは、居酒屋や麻雀荘よりも風俗店が目立つ場所だ。だが通りがピンク色に染められはじめたのはそれほど昔のことではない。風俗店を阻む最後の砦だった病院が廃業となってからのことで、大体Jリーグが始まった頃のことだという。

 戦前からの歓楽街ではあるが、一時はカフェーなどが建ち並び、横浜港に立ち寄るギリシャ人船員の憩いの場だったりもしたそうである。散策してみると、いかにもな風情の廃業したスナック店があり、外装の下部にギリシャを思わせるレリーフがあった。

 案内人を務めてくれた知人のY氏曰く、この店は十五年ほど前までは立派に営業していたのだそうだ。

「建物は結構残ってるけれど、営業してるのはほとんど風俗店ばかりだね、いまは」

 Y氏の案内でいくつかの店舗で女の子の話を聞くことができた。屈託なく朗らかに話す子が多く、親不孝を感じさせるような気配はほとんどなかった。ある子は学費を稼ぐため、ある子はホストへ貢ぐため、またある子は趣味と実益を兼ねて、中には生活費を稼ぐためといった子もいたが、安い給金でいいように使われてた前の職場よりよっぽどいい、と笑いながら語った。家族の生活を支えるため、といったお涙頂戴的な話は、前時代的なのかもしれない。

 いやしかし学費を稼ぐため、と語った子は屈託があったかもしれない。論調は明るかったが時折、険のある言葉があった。同席していた私にはあまり目配りせずY氏へと弁舌を奮っていたが、曰く『男なんてどうせおっぱいにしか興味がない』『会話を楽しもうとする余裕すらない』『本気で嫌がってるのにフリだとか思い込んでる』などといっていたかと思えば、ついには『胸の大きい女は実際バカが多い』と偏見をあらわにする始末。偏差値の高い有名私大に通っていると聞いたのだが、学歴と視野の広さには特に相関関係はないのかもしれない。

「俺は賢い女は好きだよ」とY氏がいうと彼女は嬉しそうに笑った。

 ひとつ訊いてもいいですか、と断りを入れて私からもひとつ質問をしてみた。

「あなたにとって親不孝とはなんですか?」

 彼女は考える仕草をするでもなく、挑戦的な眼を向けて即答した。

「秘密にしとけばいいことを、黙っておけないこと。いくら今はオープンな時代だっていったって、風俗で働くのを親孝行だと思う親はいないって」

 ひとつの見解ではある。最後に挨拶をしようとしたとき、彼女は名刺を渡してきた。

「今度、体験してみない?」

 答えず、名刺を受け取るだけは受け取った。店を出てからY氏は憤慨した。——チラチラそっちを見てるからおかしいとは思ったんだよ!

 ところで、とY氏にも先ほどと同じ質問をしてみた。彼は少し思案した。

「俺は自分の仕事に誇りとかは持ってないけど、でもやり甲斐はあるし、楽しい。幸い親も理解があるほうだし、応援もしてくれてる。出来のいい息子ではないけど、親不孝はしてないと思う。けど、強いていうなら、そろそろ嫁さんはもらわなくちゃな、とは思う。孫は可愛いっていうだろ、……あ、これは親不孝じゃなくて親孝行の話か」

 妙に照れた調子でいうので、思わず吹き出してしまった。親不孝通りで為された、親孝行についての会話。不幸の反対が孝行とは限らず、その逆もまた。

 それにしても親不孝通りで働くことが親不孝なのか、そこに通うことが親不孝なのか。親不孝になるまいと自分を殺して生きてきた挙句、結局最大の親不孝をしてしまう人物は果たして孝行者といえるのか。

 そもそも尽くす価値のある親ばかりでないことは、近年よく知られたことである。急に人でなしが増えたのではなく、人でなしの定義が変わってきただけのことで、いまや人ならざるものが跋扈している時代だ、ということなのかもしれない。

 最後にY氏の言葉を引用させていただく。

「俺、ささくれひとつないキレイな手してるでしょ。これって親不孝してない証拠だと思うんだよね」

 屈託なくそういえる彼は、親不孝と詰られるようなことはしてこなかったのだろうし、きっとこれからもしないだろう。


(坂井龍斗)



   ******


「おい、タツの字、なんだこの記事?」

 呆れた調子でデスクが言うが首をすくめることしかできなかった。

「いや確かに好きに書いていいとは言った。言ったよ? 広告が落ちた埋め草だ。けどね、俺が最初に聞いたのと全然違くね? 親不孝通りか、これ?」

「ダメですか……?」

「ダメっていうか、何読まされてんの、って感じ。いや、おまえが作家先生ならいいよ、こういうのもアリだよ。ファンなら喜んで読むさ。けど、ウチさあ、芸能ゴシップの雑誌だよ。どうせならもっとこう下世話な感じかさ、ちょっとエッチな感じにしなよ。せっかくの署名記事なのに、なにこれ、だよ。最初のほうは悪くないけど、途中からほんと……こういうのは趣味だけにしときなさい」

「はい……」

「にしても、よく風俗嬢に取材なんてできたな。それとも妄想か?」

「あ、いいえ。吉田って友人がいて、そいつが風俗情報誌でライターやってんです。そのツテで」

「へえ。持つべき者は友ってか。ご学友か?」

「ええ、まあ。専門学校時代の。焼肉奢るっていったらふたつ返事で」

「焼肉食う仲か」

 デスクがにたっと笑ったのでわたしは思わず声を荒げた。

「それセクハラです」

「なんでもかんでもセクハラセクハラって。じゃあ、この際だからいうが、どうせ署名記事書くなら顔出せ。ペンネームも本名のモジりじゃなくていいからちゃんと付けてな。それができるなら、埋め草なんかじゃなく4色用意してやる。ウチの誇る美人編集ってな」

「美人だなんて」

「おいおい本気にするな、器量が並でも若けりゃなんでも美人って冠つけること、おまえさんも知ってるだろうに。おまえが本当に誇れるのはおっぱいだけだ、おっぱい。そこだけは掛け値無しに認めてやる」

「それセクハラじゃなくて、もはや暴力なんですけど」

 デスクは腹を抱えて笑った。前時代的な価値観が生きる場所は、まだそこかしこにある。


 親不孝通りを散策したあの日、取材を終え、焼肉と酒を腹いっぱいに詰め、よろめきながらも、ウチで休んでいけという吉田の腕を振り払ってたどり着いた黄金町駅、北風に凍えながら電車が来るのを待っていた。

 吉田とはほんとにただの友達で、けれど親不孝な気分のせいか、酒に酔ったせいか、勢いのまま寝てもよい気にはなっていた。奴さんはそれなりにツラもいいし、気配りもできる。秘密は守る風俗嬢も、熱い視線をずっと向けていたぐらいだ。

 けれどわたしは、なんとなく持て余した性欲をそのまま発散するより、ブスブスと燻っていたほうが、より楽しい気がしたのだ。

 女だてらに下世話な編集部にいてごめんなさいお母さん。

 下心があるのをわかっててふたりきりで酒を飲んで、それでいて自分もその気なのに密やかな愉しみのために男を袖にするようなふしだらな娘でごめんなさいお父さん。

 夜風が身に染みるが、その寒さが心地好い。

 黄金町は各駅なんだっけ、と空中庭園のような吹きっさらしのホームで時計を見ながら考え、なんとなく上るんじゃなく下ってみようかという気持ちがムラムラと湧き上がってきた。逗子とか三浦に行ってしまおうか。

 ふと手を猫の形にし、指先を見た。

 人差し指にささくれができている。

 わたしは科学的な人間なので、親不孝だとささくれができるという迷信は信じない。信じないが、できていようがいまいが親不孝は親不孝。そのことを愉しむようなことこそが、一番の親不孝だ。

 高学歴風俗嬢の、最後の科白を思い出してムカッ腹が立ってきた。

「なにが『体験』してみない、だ。胸がないからひがんでんのかアホウ」

 死んでも風俗嬢なんてやるもんか、と思ってから、偏見があるのは自分も一緒か、と悲しくなった。

 それから、もしかしたらあの子はわたしの貧乏くさいファッションを本気で心配してくれて、それでお小遣い稼ぎに来ないか、と誘ってくれたのかもしれない、と考えた。

 絶対そんなわけないけれど、そう考えるとちょっと可笑しくて喉の奥で笑った。

 電車が来た。

 残念ながら上りだった。

 こんな寒さの中、あとから来る電車を待てるほど、わたしは根気強くないのだった。

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