三十五度の温かさに泣いた日

十余一

三十五度の温かさに泣いた日

 どうしようもなく心がささくれ立ってしまったとき、普段は気にも留めないようなものがみるものだ。

 思えば、そのころの自分は精神的に参っていた。特別なにか気落ちする出来事があったわけではない。きっとホルモンバランスがどうとか、気圧がどうとか、ぼんやりとした不安だとか、そういうものが影響していたのだろう。知らんけど。

 心に余白がないと嬉しいことも些細なことも受け入れられず、たくさんのものが溢れてしまう。大好きな金木犀を見ても散ることを想起して涙を流し、ただ晴れているだけの青空が恨めしくなり、微笑ましいとすら感じていた子どもの金切り声に我慢できなくなり、洗い終えた食器を籠に置いたときのカチャコンカチャコン擦れる音に妙な苛立ちを覚えたりした。

 人に八つ当たらない程度の理性は残っていたが奇行には走った。机の上にひとつだけ茶碗を置き、

「いったいどういう了見か?」

 と、意味のわからぬ詰問したことがある。当然、茶碗からの返答はない。声が聞こえたらそれはもう心療内科案件だ。駅から徒歩十分の病院へ行こう。

 そうした荒んだ日常のなかで、まるで観世音かんぜおん菩薩ぼさつのように優しく、そして温かく包みこんでくれる存在があった。体温を維持できなければ死んでしまう人間が暖かさを求めるのは至極当然のことだ。生きている証拠だ。ましてやそれが、心がささくれ立っているときともなれば。

 一年以上前から傍にいたのに、その日まで感謝することもなく安穏としていたのだ。知っていたのに、見落としていた。当たり前の透明化。文明を享受する人間の傲慢ごうまん

 不意のぬくもりに鼻の奥がツンと痛くなり、目にはみるみるうちに水が溜まってゆく。あえて大仰な物言いをすると、すべてをゆるされた気がした。ふとももから伝わる温かさが心にまでじんわりと沁みる。ありがとう。ありがとうT○T○。ありがとう暖房便座ウォームレット

 便座の温かさに泣いた日、トイレをリフォームしてよかったと心の底から思った。

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