エピローグ


 結局、グレンはアークライト家の跡継ぎを辞退することもなくなった。代わりにリタが貴族の家に名目上養子に入り、アークライト家に嫁入りするということで諸々の問題は解決した。


 グレンと結婚の儀式を終えたリタは現在、王都の片隅にあるアークライト家別邸で生活している。元々庶民であったリタのことをグレンの両親は気に入っておらず、同じ家で生活するのはリタのストレスになると判断してのものだ。有難く、リタはその状態に甘えさせてもらっている。


 嫁姑問題なんて自分の身に関わって来るとは思ってもいなかった。いずれは関係を良く出来ればとも思うが、まずは貴族夫人らしい教養などを身に着ける必要はあるだろう。これからリタが覚えるべきことはたくさんある。


 あれからもグレンは騎士団で働いている。近々副団長に選ばれそうということをエリスから聞いた。そのエリスとルーカスも騎士団でなんとかやっているそうだ。この二人はよく家に遊びに来てくれる。二人一緒のこともあれば、バラバラのこともある。


 ルーカスたちが会いに来てくれるのは大歓迎なのだが、一つ不満点はある。ルーカスが一人で来るときは決まってグレンと飲みだすのだ。「私も一緒に飲む」と言っても、誕生日会の一件のせいか、グレンに駄目だしされる。そのため、そういった晩は一人寂しく過ごす羽目になるので、ルーカスに対して嫉妬心を抱いてしまうのだ。そのことは誰にも言えない秘密である。


 エリスは日中でも夕方でも、突然やって来る。最初は面食らったものの、あまり外を出歩けなくなったリタにとって、王都での出来事なんかを色々教えてくれる彼女の存在は有り難い。元々リタが働いていた酒場も気に入ってくれたらしく、頻繁に顔を出しているそうだ。エリスづてに女将やダンたちの様子が聞けるのも嬉しかった。


 この二人ほど頻繁じゃないけど、ラルフも時々顔を出してくれる。


 現在、ラルフはアメーリアに弟子入りし、王宮と地図外アネクメネを繋ぐ魔法陣を通って、週に何度もアメーリアの家に行っているらしい。色々と家事や雑用を頼まれることも多いそうで、「その分研究をしたり、アメーリアに教えを乞う時間が減るのが嫌」と色々と魔法を使った器具を発明しているらしい。ぜひ、量産化できたら我が家にも導入したいところだ。リタがアメーリアと直接会うことは今のところないが、彼女は彼女らしく楽しく暮らしているそうだ。以前、ラルフが言っていた『地図外アネクメネについての本』も現在平行してまとめているそうで、完成したら原稿を見せてくれると約束してくれた。


 イヴァンジェリンとはほとんど顔を合わせる機会がない。相手は高貴な身分であるため、当然のことではある。


 ただ、グレンとエリスから彼女の話はよく聞いているため、全然会っていない気はしない。聖女としての周囲の評価をどんどんうなぎ登りらしく、求婚者も後を絶たないらしい。しかし、当の本人はまだ結婚する気はないらしく、「全て燃やしなさい」と求婚の手紙も、縁談相手の肖像画も一切目を通すことはないそうだ。性格は相変わらずらしい。



 そんな風に過ごして、あっという間に一年が経った。


 今も時折、地図外アネクメネでの旅のことを思い出す。当時はひどく大変な思いをしたけれど、楽しいこともあった。今はいい思い出だ。あんな、冒険をすることはもう二度とないだろう。


 リタは日常に戻った。あの非日常を共にした旅の仲間たちとは今も顔を合わせることは出来る。でも、そうじゃない人もいる。――子供のグレンだ。


 今、夫として一緒に生活しているグレンがの十二年後の姿だ。だから、既にリタとグレンは再会出来た。でも、十二年前のグレンにとっては違う。


 リタと同じように一年を過ごし、十三歳になったグレンが遠い過去に存在する。


 この時間軸ではすべてが解決した。でも、子供のグレンにとってはそうじゃない。彼の困難はこれから先に待ち受けているのだ。リタがその未来をグレンに義務付けてしまった。


 でも、リタに未来で出来ることはない。過去へ干渉することは出来ない。もし出来たとしても、その行為は逆に未来を歪めることになる。だから、リタは何もしないのが一番なのだ。


(頑張って)


 だから、リタは祈る。


 十二年の時間を超えた向こうで頑張る彼の努力が報われることを。きっと、約束の日に向けて努力する彼のために。


(信じているから)


 あの子のいる過去とリタのいる現在は遠く離れている。それでも、リタは一緒に旅をした少年を信じている。大きくなって、強くなって、いつかリタの心と、命を救ってくれるのを待っている。例え、未来が流動的なものであっても、グレンなら絶対に自分たちを救ってくれる。約束どおり、リタは信じている。


 この一年、リタはグレンが空白の十二年をどう過ごしたかすべてを聞いていない。彼が歩んだのと同じように少しずつ教えてもらっている。せめて、彼と同じ時間を感じたいと思ったのだ。


 今日もリタは十二年前のグレンに思いを馳せ、今のグレンに昔の話を訊ねる。


「十二年前のグレンはどうしていたの?」


 十一年後、リタが三十一歳になるまで、一緒に歩み続けようと思う。あの旅を、幼い彼と会った不思議な経験を、他にも覚えている人はいるんだと、遠い遠いあの子に伝えたいと思いながら。



 ❈



 先月、グレンは十三歳になった。


 この一年は目まぐるしかった。色々なことが変わった。グレンはその変化に思いを馳せながら、鏡に映る姿を見る。


 鏡に映るのは制服に身を包んだ自分だ。騎士団を目指す貴族の子息は騎士学校に入学し、五年ほど勉強と訓練に明け暮れる。入学には試験もあり、合格したことに喜ぶ新入生も多いらしい。しかし、グレンの目標は騎士学校の入学程度ではない。


(一日でも早く、学校を卒業して、騎士団に入る。その分、実地経験を多く積むんだ)


 グレンの目指す場所は遥か遠い彼方。たった一人で大型魔獣を討伐出来る騎士だ。祖父よりも遠い頂き。何がなんでも、そこを目指さなければならない。

 

 一年前にグレンは不可思議な体験をした。


 十二年後の未来の自分と入れ替わるという体験だ。そこで未来の愛しい人たちに出会い、未来で起きる出来事を知り、体験した。


 リタ。イヴァンジェリン。ラルフ。ルーカス。エリス。


 一緒に地図外アネクメネを旅した五人の仲間たち。恐ろしい思いもしたけれど、胸躍る体験があったのも事実だ。グレンはきっと、あの旅の思い出は素晴らしいものとして、一生忘れないだろう。


 ――だけど、あの出来事はまだ終わっていない。


 グレンが最後に目にしたのは倒れる仲間たちの姿だ。炎に包まれる森。圧倒的な力を見せる黒竜。絶望的な状況。そして、この時代に戻る直前、聞こえたリタの声は今も覚えている。


『私、待ってるから……っ、信じてるから! 私を助けて!!』


 旅の間、リタはずっとグレンを気遣ってくれた。自身の本音を口にせず、いつだって我慢をしていた。そのリタが、あの時、はじめてグレンに助けを求めてきた。未来のグレンではなく、今のグレン自身にだ。


 二十四歳のグレンは『英雄』と呼ばれる。グレンは未来で知った自分自身にならなければならない。そうじゃなければ、十二年後、リタも仲間たちも地図外アネクメネの地で死んでしまう。それだけは避けなければならない。だって、グレンはリタに、皆に死んでほしくない。


(俺は、俺の大切な人を守るために強くなる)


 地図外アネクメネの地で抱いた抽象的な決意は、今は確固たる形を持ってグレンの胸にある。黒竜を倒す。全てはそのための通過点でしかない。


 グレンは目を閉じる。


「約束、守るから」


 全てはこれからだ。あの未来にたどり着き、その先を掴み取る。


 ――そのための旅路ははじまったばかりだ。

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恋人の記憶を取り戻すために魔女討伐に加わることになった田舎娘です~私と貴方の再起の旅~ 彩賀侑季 @yukisai

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