第八章 彼との約束⑦


 ルーカスとエリスと共に馬車に乗り、リタは王宮を目指す。


 二ヶ月前まではまさか三度も王宮に入ることになるとは思わなかった。連れて来られた先は以前も来たことがあるイヴァンジェリンの私室。そこにはグレンの姿もあった。


(――グレン)


 彼とも顔を合わせるのは四日ぶりだ。騎士団やアークライト家の方で色々忙しかったのだろう。リタの家に『しばらく会いに行けない』と手紙が届いた。


 久しぶりにグレンの顔を見た事で思わず顔が緩む。しかし、同室に王女がいることを思い出し、顔を引き締め直した。


「呼び出して悪かったわね。今日呼んだのはお前達の褒美の件よ」


 そう言って、イヴァンジェリンはグレンとリタに座ることを許した。彼女の向かいのソファに腰かける。


「今回、お前達二人の働きがなければ、わたくしの目的を果たすことは出来ませんでした。改めて、望みを聞こうと思って呼んだの。何か望みの物はある?」


 リタは目を見開いた。


 まさか、自分にまでそんなことを聞かれると思っていなかった。


 慌てて、口を開く。


「いえ、そんな! 私の望みは、その、グレンが記憶を取り戻すことだったので、王女殿下の目的が望みそのものというか」


 勢いで口を開いたため、言いたいことがまとまらない。


「ええと、なので、特に望みの物はないです」

「……そう」


 王女は少し思案する様子を見せてから、今度はグレンに視線を向ける。


「グレン。お前の望みは?」

「はい」


 グレンは元々答えを考えてきたのだろう。笑顔で答える。


「アークライト家当主の跡継ぎ、あとは騎士団の団員という立場を捨てたいです」


 一切迷いのない答えだった。とんでもないグレンの希望に、リタは開いた口が塞がらない。リタは清々しいくらい爽やかな笑みを浮かべるグレンを見つめる。


「理由を聞いてもいいかしら」


 リタと違い、イヴァンジェリンは落ち着いていた。淡々とした口調で訊ねる。


「そもそも俺が今の地位にいるのはリタや王女殿下を助けるためであって、それ以上の何かは特に望んでいません。むしろ、両方とも邪魔だと思っています」

「それで、お前自身はその後どうするつもり?」

「俺は何でも――体力には自信があるので、探せばいくらでも仕事はあると思いますし、贅沢さえしなければ暮らしていると思ってます」


 それはかつて、リタが子供のグレンにした話だ。まさか、十二年経ってもそんな話を覚えいていたなんて――リタは立ち上がる。


「グレン! そういうのは良くないと思う!」


 彼は不思議そうにこちらを見上げる。


「だって、騎士団で頼りにされてるんでしょう? アークライト家の次期当主って期待されてるんだよね!? グレンがやめたら、皆困るよ!」

「先にそれを提案してきたのはリタだろう」

「いや、そうなんだけど! そうなんだけど!」


 あの時と今とでは状況が大分違う。確かにグレンが本当に嫌だと思うなら、貴族子息の身分も騎士という地位も捨ててしまうというのは一つの選択ではあるが――困る人は絶対にいるはずだ。


「グレン」


 イヴァンジェリンが口を開く。彼女はどこまでも冷静だった。


「なぜ、アークライト家の当主の座と騎士の仕事が邪魔だと思うの?」

「このままだと、リタと一緒にいれませんから」


 その言葉にリタは固まった。グレンの横顔は真剣だった。


「ずっと、黒竜を倒すために強くなることしか考えていませんでした。そこから先の未来に思いを馳せる余裕もありませんでした。だから、王女殿下に褒美をいただけると聞いてからずっと考えてたんです。俺の望みはリタと一緒にいることです。リタは結婚する気はないということなので、アークライト家に入ってもらうことを強要することも出来ません。なら、俺が自由な身になって、リタの傍にいようと思ったんです」


 真顔でかなり恥ずかしいことを言われた気がする。リタは顔が赤くなるのを感じる。だが、それ以上に気になる発言があった。


 リタは口を開く。


「えっと、私が結婚する気ないって何の話?」

「前に言ってただろ。『貴族に嫁ぎたいと思ったことはない』『結婚願望はない』って」


 当たり前のようにグレンが答える。


 少し考えて思い出す。――確かに言った。


 リタは気づく。グレンがとんでもない発言をしたのは、彼にとって十二年前の自身の発言のせいなのだと。


 どんどん顔から血の気が引いていく。イヴァンジェリンが咳払いをした。


「どうやら、わたくしたちは少し席を外したほうがよさそうね」


 そう言って、彼女は立ち上がる。


「特別にわたくしの部屋を貸してあげるわ。三十分後に戻って来るから、それまでの間に今後のことを話し合っておきなさい」


 イヴァンジェリンは扉の傍に控えていたルーカスとエリスを連れて、部屋を出ていった。残ったのはリタとグレンだけだ。

 


 ❈



 リタは改めて座り直した。グレンの方を向き、口を開く。


「えーっと、まず、訂正しておくと『貴族に嫁ぎたいと思ったことがない』って言うのは本当です。ただ、お金とか地位に興味がないってだけで、グレンと結婚したくないって言ってるわけではありません」


 グレンはどこか不思議そうな顔でこちらを見ている。


 重責から解放されたせいか、戻ってきてからのグレンは時折少し幼い表情を見せるようになった。新たな一面を知れたようで嬉しいと思っているのは、完全に惚気だろう。


「次に『結婚願望がない』っていうのは、この国の常識である女性は若いうちに必ず結婚するべきという考えに共感出来ないという意味です。――前世で暮らしていた国では結婚って好きな人同士でするの。結婚したい相手がいなかったり、そもそも結婚制度そのものに興味がなかったら、一人で生きていくのも自由なのよ。私はそういう考えってだけ」


 そこでリタは言葉を区切る。


「……私だって、好きな人とはずっと一緒にいたいと思うし、結婚したいと思ってるよ」

「リタ」


 グレンの手が頬に伸びる。でも、恥ずかしくて、リタは顔をあげられなかった。


「私、ずっとグレンとは生きる世界が違うんだと思ってたの。今は一緒に居られても、いつかは別れなきゃいけない。グレンは貴族の御曹司で、奥さんを迎えなきゃいけないし、……ただの庶民の私はグレンとは結婚できないと思ってた」

「生きる世界が違うわけないだろ。だって、俺達は今、同じ時間にいて、同じ場所で生きてる」


 前世では身分の差なんてなかった。でも、この世界には身分がある。その違いを誰よりも気にしていたのはリタだったのかもしれない。身分差なんて関係なく、グレンのことを好きと思いながら、自分が庶民であることに囚われ過ぎていた。


「リタ。君が昔いた国ではプロポーズをする際の作法はどういうものだったんだ?」


 その言葉がプロポーズの予告であることに気づかないほど、リタも鈍感ではない。体中の血が顔に集まったかのような熱さだ。


「そうだね、色々方法はあるけど……番典型的なのは、指輪を用意して『結婚してください』って言う方法かな」


 「でも」と言葉を続ける。


「好きな人にプロポーズしてもらえるなら、何でもいいよ」


 昔、『憧れのプロポーズのシチュエーション』について友達と話したことがある。皆色々な希望を言っていたし、前世のリタも『サプライズがいいな』と言っていた。でも、今なら分かる。好きな人にプロポーズしてもらえるなら何だっていいのだ。その行為自体がとても喜ばしいものなのだから。


「リタ、こっち向いて」


 最初、グレンに告白したのはリタからだった。だから、好きなのはこっちばかりだと思っていた。


 リタは恥ずかしさを堪え、グレンを見る。緑色の瞳は今まで見たことないくらい、優しく甘いものだった。


「俺と結婚してもらえますか」


 答えは決まっている。


 涙を浮かべ、「はい」と答えたリタはそのままグレンに抱き着いた。首に頭を摺り合わせると、また名前を呼ばれ、体を離された。しかし、それは一瞬のことだ。顔が近いと思ったら、すぐに唇が塞がれる。リタは改めて、腕をグレンの首に回した。

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