【KAC2024お題作品】ささくれできたら親不孝って知ってる?

カユウ

第1話

「あ、痛っ!」


「どした?大丈夫?」


「……大丈夫大丈夫、ささくれひっかけちゃっただけだから」


 痛みの走った指先を見ると、いつの間にかささくれができていた。血は出ていないので、たたんでいた洋服に軽くひっかけたようだ。心配してくれた樹に返事をしてから、手にしていた洋服を確認する。見る限りで血はついていないようで、ほっと息をつく。


「ささくれひっかけると痛いよね。服たたむの変わるよ」


「あ、いいのいいの。水仕事ありがと。いっくんはソファで休んでて」


 近づいてきた樹を押し留め、爪切りを取り出す。ささくれを切り、ついでに手の爪も切る。爪を切っていると、子どもの頃に言われた話を思い出した。


「いっくん。ささくれができると親不孝って言葉、知ってる?」


「ささくれ?親不孝?うーん……聞いたことないかな。ことわざ?」


 腕を組み、頭を悩ませている樹を見ると、つい吹き出してしまう。


「あはは。違うよ、迷信ってやつ」


「ささくれと親不孝がつながらないんだけど」


 爪切りを片付け、再び乾いた洋服の山の横に腰をおろす。先ほどささくれをひっかけた洋服を手に取り、たたみ直す。


「ささくれができると水仕事ができなくて、親が水仕事をやらないといけなくなるからだって。あと、親の教えに反して不摂生した結果、ささくれができたからっていうことも書いてあった」


「どっちも親の都合じゃん。絵里は、そんな言葉どこで知ったの?」


「小学校のときの先生。おばあちゃん先生でね、授業に関係ない知恵袋的なことをよく教えてくれたんだ」


 洋服をたたみながら、脳裏におばあちゃん先生とのことが浮かぶ。


「すっごくよくしてくれた先生だったんだ。わたしが家に帰っても誰もいないって知ってたから、たくさん話し相手になってくれてね」


「いい先生だったんだね」


「でもね。ささくれの話をしたのって、わたしの指にささくれがあったからなんだ。おばあちゃん先生は、いつも通り知恵袋として話してくれたの。でも、そのときのわたしは親不孝って言葉に過剰に反応しちゃって。うわんうわん泣いちゃってさ。先生には申し訳なかったなー」


 物心ついたときから、わたしの家には母しかいなかった。父は今まで見たこともない。小学校低学年のころまでは、何人か継父を名乗る男が入れ替わるよう家に来ていた。だが、わたしが小学校高学年になったあたりから、継父を名乗る男が家に来ることはなくなった。その分、母が帰ってこなくなった。


 毎週日曜日、リビングに1万円札が1枚だけ置いて行かれた。これで生活のすべてを賄えということだったのだろう。学校の年間予定を見たり、友達の母に聞いたりして、なんとかやりくりしていった。そのおかげで、樹と一緒に家事をしたり、家計を管理したりできるので、今では砂粒くらいの感謝を母にしてもいいと思っている。


 おばあちゃん先生がささくれの話を教えてくれたのは、母が帰ってこなくなり始めたころ。今までは2、3日に一度は見ていた母を2週間近く見ておらず、1人で心細くなっていたときだった。そんなとき、信頼していたおばあちゃん先生から親不孝と言われ、ショックだったのだろう。堤防が決壊してしまったためか、夜遅くまで泣いてしまった。


「だからさ、いっくんには親孝行してほしいわけよ。涼香を産んだから初孫の顔は見せたでしょ。幼稚園の入園式にもきてもらったし。次はみんなで旅行に行きたいな」


「いや、ささくれできたのは俺じゃなくて絵里だし。ささくれと親不孝ってつながってないし」


 洋服をたたみ終えたわたしは、不満げな顔を作りながら樹の隣に腰をおろす。腕に体を押し付けるように身を寄せ、上目遣いで見上げる。


「かわいいかわいい妻からの、お・ね・が・い」


「っ!……旅行に行くのはいいけど、あっちの都合も聞かないとだろ」


 勢いよく顔をそむけた樹は、絞り出すような声で了承してくれる。


「ありがと!いっくん、大好き」


 ガバッと抱きつき、ソファの上で押し倒すように体重をかける。


「うわっ!」


 横から押された形になった樹が、びっくりしたような声を出してソファに倒れる。わたしは抱きついたまま、樹の耳元に口を寄せ、そっと囁く。


「あと、やっぱり家を継ぐのは男って言うじゃない?だから、2人目も、ね」

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