ですく

香久山 ゆみ

ですく

 入居型高齢者施設で図書室整備のボランティアをしていたところ、急遽夜勤の職員の数が足りないということで、手伝いを頼まれた。

 当然介護の心得などないのだが、電話番と雑用程度でいいという。本当に猫の手も借りたい状況のようだ。俺のことを何でも屋かなにかと勘違いしているのではないかと思ったが、現に仕事がなくてボランティア活動に勤しんでいるところだったので、引き受けた。一緒に作業していた書店主の詩織は、店の仕事があるからと帰っていった。

 一階の事務室は改装中だということで、二階エレベーターホール前のナースステーションのようなところに案内された。全体を見渡せる位置に設けられた事務机の前に座らされる。電話が架かってくれば出ることと、利用者からの呼び出しコールが鳴れば部屋番号を確認して巡回の職員へ連絡すること。それだけを任せると、説明してくれた介護士の冨久司ふくしは忙しそうに廊下を駆けていった。

 しばらく電話機とコールランプと睨めっこしたものの、鳴らない。

 早速持て余して、事務机に頬杖をついてぼんやり廊下を眺める。

 二階の利用者は自力で体を動かすことが困難な人が多いと聞いていたが、そんなこともない。何人かのお年寄りがうろうろと歩いている。勝手に外に出て行かぬよう注意せねばならないな、と意識を向けてすぐ気付く。

 違う、こちらの方々は幽霊だ。

 ここで最期を迎える人も多いせいか、やはり普通の場所よりも視える数は多い。

 その脇を職員がパタパタと通り抜けていく。

 こんなにもたくさんの霊がいるのに。皆、視えていないのか。それとも、視えないことにしているのかは分からない。なにせとても忙しそうだから。

 とはいえ、害もなさそうだし、まあいいだろう。どうせ俺は視えるだけで、霊の声を聞いたり何かしてやることなどできないのだから。

 館内を一回りして、ようやく冨久司が巡回から戻ってきた。と思ったら、すぐにコールが鳴る。

「あぁ~、はいはい。すぐ行きまぁす」

 独り語ちながら、また廊下へ引き返していく。

 しばらくして戻ってきたと思ったら、またコールが鳴る。

 それを何度か繰り返し、やっと落着いたと思ったら、もう次の巡回時間だ。

 俺が一人で留守番している時には一切鳴らないものだから、なんだか申し訳ない。

 冨久司が戻ってきたら、鳴る。どこかで見ているのかと思うくらい絶妙なタイミングだ。

「まあ、いつもこんなもんですよ」

 冨久司が苦笑する。

「あれ、また209号室ですね」

 あまり具合が悪いようなら救急車など呼んだりするのだろうかというつもりで訊いたが、返ってきたのは予想外の台詞だった。

「ああ、なんか寝てると誰かに手を触られるんですって」

「え?」

「引っ掻かれたり。さっきは指を摘ままれたって言っていたかな」

「けど、209号室って個室ですよね」

 部屋には本人以外誰もいないし、またこのフロアには勝手によその部屋に入っていくような元気な利用者もいないはずだ。

 すわ心霊現象か? ならば、今こそ俺の出番だ。腰を浮かしかけると、冨久司に制せられる。

「大丈夫ですよ。年取ると色々よくあることですから。霊能探偵のお力を借りたい時には、内線鳴らしますんで」

 と言って、冨久司は出て行った。

 俺は浮かしかけた腰を下ろして、溜息を吐く。あまり暇過ぎるのも困りものだ。どうしても余計なことを考えてしまう。机の隅に押しやったスマホに、先程着信があったのも気付いている。勤務中を言い訳にして、無視した。だってもうあの厄介な件には関わらぬと決めたのだ。首を突っ込むとろくなことにならない。だから考えたくないのに、考えるだけの時間を与えられる。

 折り返そうかどうしようか悩んでいるところ、電話が鳴った。

 スマホではない、内線電話だ。

「はい」

 受話器を取ると、冨久司からの連絡だった。

 頼まれた物を持って、209号室に駆けつける。

 どうしたのかと事情を聞きたかったが、事務室を留守にしてはいけないと、物を受け取るとさっさと追い返されてしまった。

 五分程して冨久司が戻ってきた。

「もう209号室からのコールはないと思いますよ」

 冨久司の宣言通り、その夜はもう209号室からの呼び出しコールが鳴ることはなかった。

「一体どうして? さっき渡した物で何かしたんですか?」

 尋ねると、冨久司はいたずらっぽく笑った。

「あれで、彼女の手にいたずらしていた悪者をやっつけたんですよ」

で?」

 素っ頓狂な声を出すと、冨久司は種明かしをする名探偵のように解説してくれた。

「犯人は、小さなささくれでした。彼女が寝返りを打つたびに、布団に引っ掛かって、誰かに引っ掻かれたなんて感じていたようです」

 あっさり言ってのける。

「なんだ、あんなに大騒ぎして、結局が原因だったってこと?」

「そうです。大事件に見えることでも、案外解決してみれば大したことじゃなかったりするんです」

 まあ、もっと早くに気付いてあげられればよかったんですけど。じっくり見てみないことには分かりませんからね。と、冨久司がしみじみ言う。

 ようやくコールも収まり、夜食で一息つく冨久司と入れ替わりに、トイレに行くと告げて事務室を出る。

 ひと気のない階段の踊り場で、スマホ画面を開く。着信履歴を確認し、通話ボタンを押す。

 厄介事はごめんだ。けれど、蓋を開けてみれば案外些細なことかもしれない。

 それに、例の件はずっとささくれのように引っ掛かっているのだ。放っておくとどんどん大袈裟になるかもしれない。気になるささくれは、さっさと抜いてしまえばいい。

 とはいえ、夜も深い。もう電話の相手も寝ているかもしれない。

 相手が出ることを期待しているのか、そうでないのか、自分でも分からない。けれど、この気が変わらないうちに、出てくれ。

 十数コールして、ようやく通話相手が出た。

「もしもし。おう、未解決事件番号No.9について調べが付いたぞ」

 元同僚の刑事は、電話の向こうで不穏な言葉を口にした。

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