夫婦になるということ、親になるということ、一緒に生きるということ

日乃本 出(ひのもと いずる)

夫婦になるということ、親になるということ、一緒に生きるということ


「ねえ、ちょっと見て」


 そう言って妻が自分の腕を僕に見せてきた。

 その人差し指には、見事なささくれが出来上がっていた。


「痛むかい?」


 僕が聞くと、妻は小さく頷いた。そして、微笑みを浮かべながら、


「これで、一緒だね」


 と、僕の人差し指にできているささくれを見ながら言った。


 妻はなんでも、僕と一緒がいいと言う。


 レストランで食事をするときはメニューが一緒。風呂も一緒で、寝る時も一緒で、しまいにはトイレすらも一緒。


 これは、妻と結婚する前からわかっていたことだった。


 当時、なんか変だな? と思ったことをよく覚えている。


 だが僕は、まあ今は恋人同士だからそんなものなんだろうと、妻のその口癖を甘く見ていた。


 それに、僕と妻は年齢が十二歳も離れているのだ。干支がちょうど一周する年齢。だからこそ甘えてくるのだろうと、そう高をくくっていた。


 しかし、そんな僕の思いは、実に浅はかなモノであったということを痛感することになる。


 それは、初めて妻のご両親にご挨拶に行ったときのこと。


 妻の父から、思いもしなかった言葉を聞くことになったのだ。


「悪いけど、うちの娘と付き合うっていうんなら覚悟がいるぞ」


 僕は試されてるんだろうと思い、ええ、わかっていますと答えたのだが、妻の父は、


「いいや、わかっちょらんと思う。うちの娘はの、発達障害とパニック障害ばもっちょる。極めつけは軽度の知的障害もある。それが原因でいじめにもおうたし、仕事場で倒れて寝たきりになりかかったりもした。三桁以上の暗算もできん。お前、そんな娘ば嫁さんにできるんか?」


 なんの冗談だろうかと思った。


 今まで妻と付き合ってきて、そのような素振りはいっさい感じられなかった。


 だが、その言葉で、僕はあることに気が付いた。


 それは、妻の口癖である。


 一緒がいい。


 これはつまり、自分に自信がないことの裏返しだったのだ。


 一緒にいないと、捨てられるかもしれない。


 これは後に妻に確認したのだが、やはりこの時の僕の推測は当たっていたそうだ。


 そして妻の要求に応えられなかったり、少しでも僕が疑わしい行為(この場合、僕が友人と飲みに行くなど、妻のあずかり知らぬ時間を作ってしまうこと)をおこなってしまえば、妻はパニック発作を起こしてしまうかもしれない、という事実でもあったのだ。


「どげんか? お前、それでもうちの娘と一緒になりたい言うんか?」


 妻から一言もそんなことを聞いたことのなかった僕は、妻の父のこの言葉に即答ができなかった。


 思わず、妻の方へと目を向けると、そこには身体を小刻みに震わせ、今にも泣きだしてしまいそうな妻の姿がそこにあった。


 迷わなかったと言えば、嘘になるだろう。即答できなかったことで、妻を傷つけてしまったという、悔しさもあった。


 だが、そこで僕はあることに思い当った。


 今まで、僕は妻がそんな風な苦しみを背負っていることに気づかなかった。そしてそれは、今まで妻が僕の前で一度もそのような決定的な発作などを起こしていないという証左でもある。


 ということは、だ。


 思い上がりかもしれないが、僕と一緒なら、妻はその病気を克服できるんじゃないのか?


 僕は、その瞬間、反射的に答えていた。


「そうかもしれませんが、僕は娘さんと一緒にいたいと思います。娘さんが一緒にいたいと口癖のように言うように、そしていつかその口癖を言わなくなれるように、僕は娘さんと一緒にいたいと思います」


 僕の言葉に、妻の父は一瞬なにかを考えるような素振りを見せたが、すぐに僕にこう言った。


「なら、好きにしろ。そんかわし、娘の病気が原因で別れるとか言ったら、お前を殺すけんな」


 実に激しい言葉だ。それだけ、妻を愛してたのだと、よくわかる。


 僕は深々と義父に頭を下げたことを覚えている。


 そして僕と妻は結婚し、一緒に暮らし始めた。


 妻との共同生活というものは、それはもう筆舌にしがたいものだったと言っていい。


 毎日のスマホチェック等の徹底的な監視から始まり、家計管理は私がやりたいと言い張ったのだが計算関連があまりできないので家計の管理が無茶苦茶になり、それを僕にバレないようにするために借金をしたりもした。


 それに僕が気付き、どうしてそういうことをしたのかと問い詰めると、パニックの発作が起こる。


 夫婦喧嘩をしようものなら、それこそリストカットでもしかねない勢いだった。


 だがそれでも、僕は妻に寄り添い続けた。


 妻の不安の根源は、僕が離れてしまうのではないかというものなのだ。


 その不安を取り除いてあげなければならない。


 そしてそれができるのは、他の何者でもない、僕にしかできないのだから。


 そんな思いで必死に妻に寄り添い続けて、およそ二年が過ぎたころだろうか。


 スマホのチェックもしなくなった。


 家計の管理も、二人でやれるようになってきた。


 パニックの発作も、ほぼ無くなったといっていいほどに少なくなってきた。


 夫婦喧嘩をしたとしても、ちょっと声を荒げるだけで、お互いにすぐに謝ることができるようになってきた。


 そして――なんでも一緒に、というあの口癖を言わなくなってきた。


 ああ、ひょっとすると、僕たちはやっと、夫婦というものになれてきたのかもしれない。一緒になんて口に出さずとも、常にそばにいて当たり前な空気のような存在になれてきたのかもしれない。


 そんなことを思い始めた、ある日のことである。


「ねえ、そろそろ子どもが欲しい」


 妻のこの一言に、僕は一瞬だけ、ためらいを覚えた。


 だが、この時の妻の屈託のない笑顔が僕の心を後押ししてくれた。


 夫婦にもなれたんだ。きっと、僕たちは親にもなれる。


 それから妻はめでたく妊娠をしたのだが、妻は異常なまでのつわり体質で、それはもう壮絶な妊娠期間だった。


 食事の準備などできるはずもなく(つわりがひどい人は、ごはんの炊ける臭いすらダメなのだ)、食も細くなり、入院を余儀なくされたこともあった。


 それでも妻は必死に耐え、待望の第一子を二年前に授かった。


 この出産の際もかなりごたごたが起こり、子供が妻の子宮の中で便をしてしまい、そのせいで羊水が汚れてしまい、肺に穴が開いてしまうという、危険な出産となってしまったのだ。


 それでも生まれたきた命は、必死に生きようとしてくれた。


 僕も、妻も、神に願った。


 どうか、命を拾ってくれ。たとえ、どんな状態だったとしても、僕は君を生涯をかけて愛するから、どうか、命を拾ってくれ。


 すると、僕たちの祈りが神に通じたのか、子供はどうにか一命をとりとめてくれ、治療の必要があるとはいえ、無事に峠を乗り切ってくれたのだ。


 あの時の感情は、とてもじゃないが簡単には言い表せない。


 自分の半身が、死の淵から必死に這い上がろうとするのを、ただ黙ってみることしかできなかったあの焦燥感と絶望感。


 そして、一命をとりとめてくれた時の、あの脱力感と感動。


 自分の語彙力ごいりょくの低さを痛感するが、こればかりは本当に言い表せない。


 まさに、地獄から天国に引き上げられたようだった。


 それから二か月ほどでなんとか子供が退院できるようになり、今まで二人だけの生活に、新たな活気が注入された。


 もちろん、子育ては大変だ。


 妻もパニックを再発しそうになったりしたが、それをギリギリで耐え、なんとかそれなりな子育てが夫婦で行えたんじゃないかと思う。


 すくすく育ってほしいと思っていたが、子供が一歳半になったところで、子供がある症状の可能性が強いと、医師から宣告された。


 その症状とは、多動症と発達障害児。


 その宣告を受けた時の妻のショックは、計り知れないものだったろう。


 自分のせいだと泣き叫ぶ妻を、何度あやしたかわからない。


 それでも泣き叫ぶ妻に、僕はこう言ったことを、今でもよく覚えている。


「いいじゃないか、発達障害で。君と一緒なんだよ。確かに生きづらいかもしれないけど、少なくとも君は今不幸ではないんじゃないかな。大丈夫。君なら子供のことを一番よくわかってあげれるはずだ。だからこそ、わかるんじゃないかな。この子が、不幸になんかなるはずがないって」


 この言葉のおかげかわからないけど、妻はそれからつきものが落ちたかのように明るい笑顔を取り戻してくれた。


 そして先月、息子が二歳となった時にも同じ診断が下されたときも、妻は動じることなく、


「そうですか」


 と、笑顔で一蹴してくれたのだった。


 そんな中、先日、妻が僕に言ったのだ。


 僕と似たような場所にできたささくれを見て。


 子育てをするために、家事仕事を分担していてできた、ささくれを見て。


 僕は介護職。そして妻は、以前からは考えられないような、飲食店のアルバイトをしている。つらい中、二人で共働きをしていてできた、ささくれを見て。


 借金だって残っている。


 これからも不安がないと言えばうそになる。


 だけど、妻は実のところ、僕の数倍も不安なのだ。


 だからこそ、妻はつい、口走ってしまったのだ。


 確認のためにも。


 一緒に、生きていけるよね? と確認するために。


 もちろん、僕は二つ返事をした。


「ああ、一緒だね。きっと、これからも一緒の場所にささくれができるよ。これからも、ずっとね……」

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