ネオンに沈む
相上おかき
ネオンに沈む
光があれば影が生まれるように、ネオンライトに煌々と彩られる不夜の街アトロは、犯罪都市の名を持っていた。
路地裏は血溜まりと吐瀉物のアートが無数に飾られ、何日も放置されたであろう死体の集団に蝿が群がっている、地獄の淵のような場所だった。ネオンの眩しさなのか、誰もが見て見ぬフリをする。ここは何を捨てても許される場所。私もその一つだ。
親に殴られてできた額の傷が命を救ってくれるなんて思いもしなかった。日常的に暴力を振るう両親から逃げたいとは願ったが、人攫いに遭うのは話が違う。突然拉致され、遠くの国に売り払われるとなった時、人攫いは私が傷物であることに気がついた。そして、要らなくなったからと当然のように私をここに捨てた。
一週間経っても来ない助け。私はついに親にも捨てられた。でも、自我が擦り減る日々を生きるだけなら、血ヘドロの空気の中で眠っていた方が生きている感覚を失わずに済む。
側にあったゴミ箱に身体を預け、そのまま目を閉じた。
私の家はアトロから数百キロも離れた、都市だけれど田舎っぽさが少し残った場所にある。ネオンに包まれた街なんて、ニュースで報道される華々しい姿を憧れのように見るだけで良かった。犯罪都市であることは誰もが知っているから、アトロにいるのは自衛が出来る富裕層、犯罪者、そして不夜のネオンに包まれて孤独を紛らわしたい者くらいだ。
「……さん、お嬢さん」
近くで声がしたので目を開けると、燕尾服を着た老紳士が私と目線を合わせるようにかがみ込んでいた。綺麗な艶のある白髪から真っ直ぐな黒い瞳を覗かせている。
「我々と一緒に来ませんか」
そう言って老紳士は口角を上げてにっこりと微笑んだ。
「だ、れ……」
老紳士は「我々」と言ったが、この路地裏には私と彼の他に生きている人間は居なそうだった。何度も辺りを見渡していると、彼の背後から黒フードに黒マスクの全身黒服人間が影から出てくるようにぬっと現れた。そして、切れ長の目で私を一瞥し、馬鹿にするような声で笑った。
「なはは、爺さん。コイツただのガキじゃねぇか。しかも、路地裏で生きてるヤツかよ」
「ええ、そうですよ。彼女を仲間に入れたいのですが、良いですか」
仲間……?
「爺さんが引き入れたいンなら仕方ねぇな」
困惑している私を横目に二人は話していたが、黒服人間は突然こちらを向くと、「お前、俺の後輩な」と言い、また笑った。
「いやぁ、これで俺の仕事も少しは楽になんだろ」
「リプトくん、君の仕事は山ほどありますから、楽になることはないですよ」
「はぁ? 仕事多すぎンだよ。ロウドーキジュンホー違反だぜ」
「そんなものがアトロに存在しないことくらい分かっているでしょう」
「ケッ」
リプトと呼ばれた黒服人間は手をポケットに突っ込み、唇を尖らせて分かりやすく不満そうな顔をした。そしてそのまま背を向けると、路地裏の奥へと進んでいった。ネオンが漏れた微睡んだ灯りで照らされるこの場所とは違ってリプトが向かった先には光が無かった。黒服なのもあって、闇と一体化して肌だけが浮き出ている様子を見ると、この先に進んで良いのかと疑わざるを得なかった。
「早く来いよ」
闇に切れ長の目が光る。
初めて来た街の知らない場所。でも私は自然と立ち上がり、リプトの後を付いていった。そうするしかなかったのかもしれないが、彼らと共に行けば自分の中の何かが変わると確信していたからだ。
「お嬢さん、お名前を伺っても?」
「セノ。セノです」
「美しい名前ですね。セノ嬢、そう呼ばせてください」
嬢と呼ばれるほどの品格を私は持ち合わせていないが、自分の名前を呼んでもらえたことが心なしか嬉しかった。
しばらく歩いていると、小さなガス灯が目印になっているレンガ造りの建物の前で彼らは立ち止まった。「ここです」と中に入るよう促され、玄関に入ると室内灯に照らされた自分の服の汚さに驚いてしまった。あまり服を汚さないように過ごしていたが、食事を探すときや壁に寄りかかったときに付いた、何とも表しがたい色に所々染まっていた。それに、まともな食事を摂っていないせいで空腹だ。
「えっと、着替えとか、ありませんか。あと、食事を分けていただけたら……。ざ、残飯でも大丈夫なので、お願いします」
「食事を分ける?」
老紳士は不思議そうな顔で私を見た。その表情が私を蔑む親の目のように見えて気が縮む。この人は違う、そう分かっていても自分の存在を否定される恐ろしさが離れない。
「す、すみません。やっぱり大丈夫、です。気にしないでください」
「どうして謝る必要があるのですか。食事は一緒に食べた方が楽しいですし、美味しいですよ。本日の夕食はリプトくんが作ってくれた山羊のミルクシチューです」
「俺の得意料理だ。まぁ、これしか作り方知らねぇンだけどさ。あ、ちょっと待ってろ」
リプトは奥の部屋に向かうと、服を数着抱えて戻ってきた。黒い服であることに変わりはなかったが、彼が着るようなサイズより一回り小さそうだった。
「これやるよ。新しいのは爺さんに買ってもらえ」
リプトは私に服を押し付けてから、また奥の方に戻っていった。
それから老紳士に風呂場に案内され、シャワーを浴びた。一週間ぶりに浴びる水はとても心地がいい。髪を掻き上げ鏡を見ると、額にある十センチほどの傷が目立っていた。普段は前髪で隠しているが、目に入るたびに殴られた時の痛みと血気の表情で本を振り上げる母親の表情を思い出す。
ごめんなさい、生きていてごめんなさい。もうしません、逆らいません、逃げようとも思いません。良い子でいるから。これ以上はやめてください。お願いします。
膨れ上がる感情を抑えるように、私は傷跡をなぞった。少し膨らんだ縫合の跡が、もう過ぎたことなのだから忘れてしまいなさい、と語りかけてくるように思えた。
リプトがくれたシンプルなポロシャツと黒染めされたジーンズを着て、二人のいるリビングに向かった。木製の机や椅子、ベンチが綺麗に配置され、事務所と自宅を合わせた場所のようだった。ダイニングテーブルの上にはシチューと厚切りされた食パンが並べられている。リプトと老紳士は四人がけのテーブルに対角に座り、私がどこに座るのかを待っていた。
私は入口から近かったリプトの右隣(老紳士の前)の席につくと、リプトは老紳士に向かって勝ち誇ったような顔をして、嬉しそうに皿にパンを盛り付けてくれた。そして、私がシチューを一口食べ、「美味しい」と呟くと、さらに嬉しそうに笑った。
「あの、貴方たちは?」
二人とも忘れてたと言わんばかりに驚いて、
「申し遅れました。我々は『メンデル』。アトロの治安を陰ながら守っています。なかなか報われずに、犯罪件数が増えてしまっているのも事実ですが」
「俺の名前はリプトで、爺さんがラドだ」
と、それぞれ紹介をしてくれた。
アトロに初めて来たと伝えると、ラドはアトロについて教えてくれた。不夜の街になったのは七年ほど前の話で、それ以前は他の地域と変わりない街だったこと。街のリーダーが変わったのも同じタイミングで、住民の考えを押し切ってアトロの改革を実行したこと。元いた住民は去り、犯罪者が増えるようになったこと。ラドは以前の街を知っていて、友人を数多く失ったこと。リプトは何も話さず、黙って夕食を食べていた。
「ラドさん、どうして私を誘ってくれたんですか」
「そうですね、人手が足りていなかったのもありますが、あそこにいたセノ嬢を一人にするわけにはいかないと思いまして」
「ありがとうございます」
「ははは、構いませんよ」
ラドはにこやかに笑ったが、リプトはその様子をよく思っていないようだった。
「なぁ、爺さん。セノにも仕事やらせンのかよ」
手を顎に当て、少し悩む仕草をしてから、「はい」とラドは答えた。
「セノ嬢はどうお思いですか」
「私は……」
悩むことは無かった。捨てられた私を拾ってくれた二人に恩を返すため、親に縛られずに私として生きるため。これは私の選択だ。私がそうしたいと願ったから。
「何でもします」
「あーあ、爺さんに仕事回されまくって辞めたーいとか言っても助けねぇからな」
「いいよ。貴方の分も私がするから」
私はリプトに向かって笑ってみせると、リプトは悔しそうな顔をした。
「俺が先輩だからな! ちゃんとウヤマエよ」
「ははは、二人とも仲が良いですな」
ラドは食パンをシチューに浸しながら楽しそうに見ている。
もっと早く貴方たちに会えたらよかったのに、と願った私の心は少しずつネオンに沈んでいった。そして、もう浮かび上がることはないだろう。
ネオンに沈む 相上おかき @AiueOkaki018
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ネオンに沈むの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます