ささくれたささがき
鳥辺野九
ささがきごぼう
仕事の帰り道。とぼとぼと歩いていたら、アスファルトにささがきができているのを見つけた。
なるほど、花粉の報せも聞こえてくる季節だというのに、まだまだ空気の乾燥状態は続くというわけだ。
それでもアスファルトのささがきなんて私の帰宅には何ら関係ないことだ。蹴つまずかないよう、避けて歩けばいい。そもそも元気なく俯き気味に歩いているのが悪いんだ。だからアスファルトのささがきなんかを見つけてしまう。
近所のスーパーに寄って帰ろう。こんなローな気分の時は美味しいのを食べるに限る。
でも、見つけてしまったささがきをそのまま放置して帰るというのもどうか。気が引ける。
私は靴の踵の硬いとこでささがきを優しく踏み付けて、目立たないよう慣らしておいた。
スーパーで普段なら見向きもしない新ごぼうを買ってみた。炊き込みごはんにしようか。いやいや、ごぼうの香りをダイレクトに味わえるきんぴらごぼうだ。
私はきんぴらにメンマを投入する。あと人参、レンコン、胡麻油で味を仕上げる。レシピを考えるだけで小鼻がピクピク動いてしまう。気持ちが上向く。
早速ささくれごぼうを作る。ピーラーを使えば素早く均一にささくれを作れるだろう。でもそれでは味気ない。せっかくの新ごぼうだ。包丁を使った長めの不揃いささくれに挑戦しよう。
まな板の上。左手に新ごぼうを斜めに構える。鉛筆を削るような要領で右手の包丁でごぼうを一皮削り切る。シャキッ。みずみずしく小気味いい繊維破断音。さすが新物だ。
一欠片削ったら、左手をくるり回転させる。クルッ。ごぼうを新しい角度で削る。シャキッ。包丁がまな板を打つ。トンッ。リズムに乗ってごぼうをもう一回転。クルッ。シャキッ。トンッ。
料理はリズムだ。音楽をかき鳴らすように食材の音を奏でて、ささくれごぼうの山を成せ。
『ピンポーン』
不意に鳴る呼び鈴。ささくれごぼうとやさぐれ私のセッションは唐突に邪魔された。
誰だろう。こんな時間に私を訪ねてくる人間などいない。
「はい」
せっかくリズムに乗ってきたクルッシャキットンッ包丁を置き、玄関へ不機嫌さを滲ませた声を投げかけてやる。
返事はない。
ドアノブに手をかけ、ドアスコープを覗く。
はたして、そこに立っていたのは平均的ビジネスマンだった。ささがきのように逆立った奇妙な髪型をしている点を除けば害はなさそうに見える。こんな時間帯に営業訪問だろうか。ドアを開けてやる。
「こんばんは」
彼は穏やかに言った。
「こんばんは」
私も静かに答えた。
「先程助けていただいたアスファルトです」
想定外の彼の言葉に私は固まってしまった。なんだって? 誰が助けた? アスファルト?
「どうしてもひと言お伝えしたいことがありまして、こうして人の姿を借りて参りましたアスファルトです」
「それは難儀ですね」
一人暮らしの女性の部屋に押しかけてきたアスファルトに私は正直に伝えた。
「ご丁寧にありがとうございます。では、お伝えします」
「はい。聞きましょう」
「あなたは先程捲れ上がってしまった僕の一部を修繕してくれました」
「ああ、あの時のアスファルトですか」
「ええ。あの時のアスファルトです」
そして彼は勿体ぶって言うのであった。
「あなたは『ささがき』と『ささくれ』を取り違えています。正しくは『ささくれたアスファルト』です。『ささがきアスファルト』ではありません。『ささがきごぼう』です。『ささくれごぼう』ではありm──」
「どうでもいいじゃん」
私はドアを閉めて強制的に会話を終了させた。
さて、ささがきごぼうの続きに取り掛かるか。
ささくれたささがき 鳥辺野九 @toribeno9
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