お湯が出ない

悪本不真面目(アクモトフマジメ)

第1話

ジャージャージャー。手を出すと男はすぐにひっこめた。水だ。しかもいつもより冷たい。男は風呂に入ろうと思っていたが、これでは夏でも断念せねばならぬほどの冷たさだった。男は眉をひそめ、その場でスマホを出して、「お湯出ない」と検索しようとした。しかし、男の手は濡れていて、スマホがうまくスクロールしない。しかも男はキーボード入力でいつも文字を打つので、文字の打ち間違いが起きる。男はイライラして持ってたスマホをぶんぶんと振ってしまい、ぽちゃんと溜めたままにしていた冷たい浴槽に落ちた。男は慌てて、スマホを取り出そうと再び冷たい水に触れてしまった。しかも袖をめくらなかったので、袖もビショビショになった。そのことには気づいていたが、それより急いでスマホを拭きたかったので濡れた袖で拭いてしまった。余計に濡れたスマホに慌てた男は、ユニットバスだったので近くにあったトイレットペーパーで拭こうと濡れた手で触る。トイレットペーパーは水に濡れると力が出ないので、水に溶けて全く使いものにならなくなった。男は厚手のパーカーの乾いている部分で手を拭き、再度トイレットペーパーに挑戦する。ラックにかかっているタオルを使えばいいものを、男は意地なのかそうしなかった。しかし、少しでも濡れていては結局使いものにはならない、男はイラついて持っていたスマホをぶんぶんとまた振ってしまった。ぽちゃん。男はスマホが沈んでいくのをサイコパスな目でじっと見ていた。


男は普段なら袖が濡れたぐらいでは替えないが、どうもあの水はなにやら負のオーラをまとっているとスピリチュアル的なことを感じ着替えることにした。男は先ほどのパーカーより生地の薄いジッパーが付いたパーカーを着て、寒い体を温めるためにホット缶コーヒーでも買いに外へ出た。スマホは反省しろとでも言いたいように浴槽に置き去りにした。外を出ると辺りは暗く、冷たい風が吹いている。男は鍵を閉めず、エレベーターを降りる。エントランスの扉を開け、直角に左へすたすたと曲がっていく。一直線にお目当ての自動販売機へと向かう。その間、ズボンのポッケに手をつっこみながらぶつぶつ文句を言う。

「いつもお湯沸かすと五月蠅い給湯器がよ、なんで今日は静かなんだよ、最悪や、もうこのパーカー寒いわ、やっぱ濡れててもあっち着て来ればよかった。やっぱ服買わないといけない、ハァ~余計な出費が、てかこれ給湯器修理とかしないといけないのか?だったらいくらかかるんだ?全く、なんでこう、ハァ~。」

そんなことを言ってる間に、自動販売機の前へ着いた。男は間違えて、アイスコーヒーを買うようなドジをしないよう、ちゃんとホットコーヒーの位置を確認する。

「あっ!」

男は何かに気づいた。そして思わず拳を握りしめて自動販売機を殴った。

「小銭、あの濡れたパーカーの中じゃんか!いいや、コンビニでキャッシュレス・・・・・あ、スマホ置き去りにしたんだ!」

男の眉と目と唇が下がって、泣きそうな顔になる。仕方なく帰ろうとするが、冷たい風邪が帰る方向と逆に吹いてくる。男はその風に挑むほどの気力が残っていなく、トボトボ逆方向を適当に歩いて行った。歩いているとズボンがズレ落ちそうになったので、紐をきつく結んだ。歩いていくうちに、そういえば公園があったなと思い出し、男は公園へと向かった。誰もいない公園のベンチに体を預け崩れるように座る。男は体をこすったりして、なんとか温まろうとするが無駄だった。

「はぁ~疲れた。」

男はもうこするのをやめてボーっとする。茫然と空っぽになっていく。そして次第に目が虚ろになり眠った。


男は目が覚めた、なんだか気分が良い。もう寒くなかった。なんだか体の中がポカポカする。風もやんでいたので男は帰ることにした。しかし、なんでこんなにもポカポカするか男には分からない。しかも、ぽかぽかしていた体はどんどん熱を帯びてゆく。時間が経つ度どんどんと熱くなっていく。体の中がお湯が入っているように熱い。何故だか男の頭にはあの五月蠅い給湯器が浮かんだ。男は走る。急いで家へ戻ろうと、速く戻らなければいけない。熱い。熱い。お腹が、やけるように熱い。男は苦しそうにしているが、それでも走り続けた。男の視界には白い煙が見える。これは息の白さではない。湯気だ。男の体温は今何度なのだろうか。息が荒くなる、体が熱く思うように走れない。しかし歩くことはしない。こんな時にあの憎たらしい冷たい風は吹かない。吹いたところで意味はないだろが、気休めでも今は冷たさが男には欲しかった。走る。走る。歩いている時よりも長い時間をかけてマンションへ着いた。男は鍵を取り出そうとポッケを探るが、鍵がなかった。男は焦る、焦る。汗が出てくる。熱い冷や汗。鍵は部屋の中だということは気づいていても、男は無謀にもポッケを探る。探る。熱い。熱い。せめてパーカーを脱ぎたい。しかし、チャックが噛んでしまって、脱げない。もういっそズボンでも、マンションのエントランスだけれど、せめて、せめて、しかし、先ほど固く紐を結んだので、うまく紐が外れず脱げない。

「ぐわぁぁぁ!!」

熱い、熱い。もう風呂の温度とか超えている。人間が耐えられる温度は確か五十度がぎりぎりのライン。今何度なのだろ。男には聞こえた。給湯器の嘲笑いが。地面に寝転び少しでも冷やそうと、意味がないが、何もしないなんて命に失礼だと男は思った。すると、誰かが降りてくる。男は胸を押さえながら、誰かがエントランスの扉を開けるのを見る。ガチャ、開いた。相手は若い女性だった、男はその女性に倒れ込む形でエントランスに入った。ダイナミック痴漢と言われても否定は出来ないが、女性はそれよりも違うことに驚いていた。

「熱い!熱い!なんなんですか?ちょっと!熱い、大丈夫ですか!?」

男は何故か女性の胸を揉んでしまった。男は今まで彼女が出来たこともない。

「熱い、胸が!ちょっと!ねぇ!」

エレベータの上のボタンを腕を伸ばし、男は押す。エレベータはすぐ開き、倒れた女性の顔を這って中へと入った。

「顔が熱い、熱い!」

女性は顔を冷やそうとうつ伏せになった。男はエレベータの中で手すりにつかまり、なんとか立ち上がって自分の階の八階を押す。

「ハァハァハァ、もっと平熱な時に胸触りたかった。」

そんなことを言っている間にエレベータの扉が開いた。男の意識はもうろうとしている。自分の部屋の扉の前へ立つと、おぞましい声が聞こえる

「ゴッゴッゴーゴッゴゴー」。

給湯器だ、地獄の音だ。扉を開け中へと入る、給湯器の音が五月蠅い。圧がすごい。これほどまでに禍々しく死を誘おうとしている給湯器があるのだろうか。男は給湯器を壊そうと、六弦が切れて三日であきらめたエレキギターで叩いた。男はこのギターで地獄のようなメタルバンドのスレイヤーのレイニング・ブラッドを弾きたかった。今はこれで地獄を壊そうとしている。皮肉だ。熱い、熱い。壊れない、給湯器は傷一つつかない。男は給湯モニターを見て、今何度か確認する。

「どんどんあがっている、60、65度!?」

ありえない数字だ。とにかく熱い、熱い。生きているのが不思議だ。男の脳がぐつぐつ言っているように感じた。男はもう、分からない。とにかく熱い。冷やそう。男は服のまま望んでいない浴槽に溜まった冷たい水へダイブした。ざぶーん!!!


三日後、浴槽から衣服を着たまま男性が死亡した。しかし奇妙である。

「警部、変ですね。この遺体。」

「ああ驚きだ、死体なのに体温が三十六度五分、平熱だ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お湯が出ない 悪本不真面目(アクモトフマジメ) @saikindou0615

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る